41校の不採用通知を経て。東福岡高校バレー部を日本一に育てた藤元聡一監督の執念

春高バレーをはじめ、過去6度の全国優勝を果たした東福岡高校バレーボール部。いまや日本一の常連校ですが、かつては地区大会1、2回戦で敗退するようなチームだったといいます。20年前の2002年に就任し、生徒たちを導いてきたのが藤元聡一監督。徹底した人間教育でチーム力を高める指導の背景には、藤元監督自身の苦闘の歩みがありました。
※対談のお相手は門馬敬治さん(東海大学付属相模高等学校 硬式野球部監督/当時)です

山形から鹿児島まで門前払い

〈門馬〉
藤元先生は最初からバレーボールの指導者を志していらっしゃったのですか。

〈藤元〉
僕は山口県の出身で、小学2年の時にバレーボールを始め、小・中・高校時代にはそれぞれ全国大会にも出場させていただいて、おぼろげながらゆくゆくは高校バレーの監督になりたいと思うようになっていました。

東京の大学に進学してからもバレーボールは続けていたのですが、4年生になる前に見に行った春高バレー決勝戦で、日本一になったことがなかった岡谷工業高校(長野県)が初優勝を飾り、監督がもみくちゃにされながら胴上げされたんです。その感動の様子を目の当たりにして「自分がやりたいのはこれだ」と。

それで奮起して、4年生から教職課程に本気で取り掛かりまして、大学卒業の1年後に免許を取り終えました。最初は山口県の公立高校の社会科の教師を目指したのですが採用試験はかなりの狭き門で、アルバイトの非常勤講師をしながら、3年間を掛けて北は山形から南は鹿児島まで私立学校ばかり42校を回りました。

お金もなかったので「青春18きっぷ」を買って旅し、車掌さんに「この地図にある高校は私立ですか」と聞いて、私立と分かったらそのまま履歴書を持って行ったりと、そんなこともやりましたね。届くのは不採用の通知ばかりでしたが、とにかく全国のどこかの高校で指導者になりたかったんです。

〈門馬〉
すさまじい執念ですね。

〈藤元〉
そうやって3年後、ようやく受け入れてもらったのが東福岡高校です。いまでも覚えているのですが、履歴書に「僕はバレーボールの指導者になりたい。必ず貴校を10年で日本一にします」と書いていたら、それをご覧になった徳野常道理事長(当時)が「うちでできますか」と。「はい」と答えたら、3日後くらいに採用のお返事をいただきました。ですから東福岡高校は、僕を拾ってくれた本当に神様のような存在なんです。

苦しい場面で周囲を鼓舞できる人間

〈藤元〉
東海大相模という大看板を背負うことの厳しさが門馬先生のお話からヒシヒシと伝わってきました。僕の場合、赴任当時の東福岡は県大会はおろか、地区大会で1~2回戦の状況でしたので、失うものは何もありませんでした。

なおかつ41校不合格通知をもらった後の念願の高校バレーボールの指導者だったので、とにかく恩返しのつもりで練習、練習、また練習の毎日でした。夜9時に体育館の電気が消えた後も、外のグラウンドに車を持ってきてライトをアップにして練習していました。

当時、短時間の集中練習のほうが効果的という流れがありましたが、僕は100本の集中より、1000本やったほうが勝つと自分に言い聞かせて練習量で勝負しました。これは26歳とまだ若かったからできたことかもしれません。

〈門馬〉
そうですか。私も全く同じことをやっていましたよ。

〈藤元〉
科学的といわれるいろいろな練習法を取り入れながら、飽きないように練習を工夫することも大切ですが、飽きるほどの練習を飽きない心でやり抜く、ということのほうが、もっと大切だと身をもって学び、僕なりのスタイルが確立されていきました。いつしか隙が少ない、粘り強いチームに仕上がっていったように思います。

最初の頃、あまりの厳しさに35人ほどいた部員が5人にまで減ったことがあります。それでも残った選手たちは必死でついてきてくれましたね。最初は地区1回戦で敗退していたのが地区のベスト8に残るようになり、次の代は県のベスト4に入りと、一歩ずつでしたけれども、監督3年目には全国大会に初出場できたんです。

先ほど門馬先生がおっしゃったように、苦しい時ほど人間の本性が出るという話は本当ですね。僕はこれを性根と言っているのですが、苦しい場面に出くわした時に、逃げる者、投げ出す者、嘘をつく者、人のせいにする者、グッと堪える者、いろいろですが、グッと堪えながらも周囲に対する慮りができてこそ周囲を感化できるし、そういう立ち居振る舞いができる人間を中心にチームの絆が生まれてくるように思うんです。


(本記事は月刊『致知』2021年8月号 特集「積み重ね 積み重ねても また積み重ね」より一部を抜粋・編集したものです)

◇藤元聡一(ふじもと・そういち)
昭和50年山口県生まれ。法政大学を卒業後、平成14年東福岡高等学校バレーボール部コーチに就任。18年監督となり、20年インターハイで初の全国大会出場。翌21年も2年連続の3位入賞を果たし、春高バレー出場2度目でチームを準優勝に導く。27年第67回春高バレーで初優勝と同時にインターハイ、国体の全国3冠を達成する。翌28年第68回春高バレー、国体で共に2連覇し2冠。令和3年1月の春高バレーで3度目の優勝。

◇門馬敬治(もんま・けいじ)
昭和44年神奈川県生まれ。東海大学野球部で原貢監督に師事し、卒業後の平成11年、東海大学付属相模高等学校硬式野球部監督に就任。12年就任2年目で選抜高等学校野球大会(春の選抜)優勝。23年春の選抜で2度目の優勝。27年全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)でチームを45年ぶり優勝へと導いた。令和3年春の選抜で3度目の優勝。家族共々チームを支える。


◉『致知』2021年8月号「積み重ね 積み重ねても また積み重ね」に対談の全文が掲載されています。本対談では、

・「『心の耐力』でコロナ禍を克服」

・「練習を通して積極的忍耐心を育てる」

・「必死さの中で生まれた発想」

・「目標は全国制覇日本一 目的は人間教育、人格形成」

・「春の山登りと夏の山登り」

など、指導者として組織や人材を伸ばし、勝利へと導くための要諦が満載です。本号は「致知電子版」でお読みいただけます!【致知電子版の詳細はこちら

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