ファッションデザイナー西田武生さんが終生燃やし続けた〝強烈な願望〟

日本の代表的ファッションデザイナーであり、『致知』の愛読者でもあった西田武生さんがお亡くなりになりました。最晩年にあってなお、新境地を開拓し続けた西田さんの生きる姿勢には、学ぶところが数多くあります。生前のご厚誼を深謝し、連載「二十代をどう生きるか」より渾身のメッセージを紹介いたします。
 ※記事中の写真は西田さん提供

「憧れられる存在になりたい」

〈西田〉
召集解除となって富山の実家に帰参したのが昭和20年。地元百貨店・大和高岡店の宣伝部で働き始めたのは終戦から2年が経った、25歳の時のことでした。

宣伝部の仕事は、主に店内装飾やウインドウディスプレイ、ポスターづくり。一方、同じ百貨店の洋裁部を率いていたのが、後の私の妻でした。仕事上の付き合いから親しくなり、百貨店で働いている女性たちを集めては、二人でファッションショーを開いたこともあったほどです。

29歳の夏に妻と上京を果たしてからは、独自にデッサンを勉強するなどデザイナーになるチャンスを窺う日々を過ごしました。そのチャンスを掴んだのが伊勢丹主催の「婦人子供服デザイン・コンクール」で、上京から僅か半年後のことです。

もっとも、当時はどこのコンクールも、入選者は文化服装学院や山野服飾学院といった専門学校に通う学生ばかり。

「おまえが出したところで、受かるわけがない」

といった周囲の声を押し切っての出品でしたが、3点のうち1点が特選に選ばれたのには私自身も驚きました。

美しいものは美しいと必ず認められるはずだという信念に基づいた挑戦でしたが、これは裏を返せば自分に対する自惚れだったのかもしれません。たとえそうだとしても、若い頃にはそういった自分を信じる心の強さが必要だと私は思うのです。

改めて二十代の自分を振り返った時、常に私の心のうちにあったのは、「なる人になる」という思いでした。

言葉を変えれば、「憧れられる存在になりたい」ということです。

そうなったのは、常に憧れの人物を心の中に宿していたからだと言えるでしょう。例えば、マレーネ・ディートリッヒなどの人気女優は、学生時代の私にとってまさに憧れの的でした。

また、戦前に伊東洋裁研究所をつくられた伊東茂平先生の雑誌『私のきもの』には、
どれほど感動を得たことでしょう。

いつしか伊東先生への憧れは、先生に師事したいという強い思いへと変わっていき、上京後にはその思いが現実のものとなりました。こうした経験から、人間、思い込みが大事であるとつくづく思うのです。

人との出会いに恵まれたことも、私の大きな財産でした。若い頃に多くの方とのご縁をいただく中で、

「二流ではなく、やはり一流になりたい」

という強い願望を抱くようになったのもそのおかげでした。
一流人は厳しいながらも立ち居振る舞いが実に見事で、その人間性の高さに魅了されたのです。

また、自分が興味を持った分野の方が、自然と周りに集まってきてくれたことも、いま思えばなんとも不思議なものです。私自身を省みると随分とずぼらな人間なだけに、どれだけ周囲の方々に助けられたか分かりません。

ゆえに出会いを大切にしてきたことはもちろん、これまで自分から友人と袂を分かつことは一度もありませんでした。様々な人との出会いが、すべて私の身になっているのです。

自分を信じる心の力

「深刻がらず、流れに抵抗せず、決めたら実行する」

とは、私が指針にしてきた言葉であって、私の人生信条です。

「深刻がらず」とは、あまり頭に詰め込まないで、すぐに忘れていくこと。ちょっと抜けているくらいのほうが、深刻にならずに済むと思うのです。

また、流れというのはとても大事で、流れがとまればそこに淀みができて濁ります。そうならないようにするためには、自分の運命に身を委ねて、その流れに乗ることです。

よく「運が悪い」という言葉を耳にしますが、それは運を馬鹿にしていると思います。私は「運が悪い」と思ったことは一度もなく、何か事が起こった時には、いつも自分が悪いんだと言い聞かせてきました。そして、決めたことは即実行する。

もしかしたらこうした姿勢を貫いてきたことが、私に運を呼び込んでくれたのかもしれません。

ファッションデザイナーとして、私には一つの道を切りひらいてきたという自負があります。日本中を私のデザインした洋服で埋め尽くしたいというのが長年抱いてきた私の偽らざる思いであり、いまも多くの方が西田武生の洋服を着ることにプライドを持ってくださっているのは本当にありがたいことです。

私も今年(※編集部注:掲載当時)で96歳、随分と長く生きてきましたが、「なる人になる」という思いはいまも衰えることはありません。そのためには、何よりも明日に向かっていく心の力が大切だと思うのです。

そう思うにつけ、二十代の頃に強く抱いていた、あの自分を信じる心の力を、私はいまも求めてやまないのです。


(本記事は月刊『致知』2018年3月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部を抜粋・編集したものです)

▼『致知』ってどんな雑誌? 誌名の由来からおすすめの読み方、読者様の声まで、すべてお答えします!

◇西田武生(にしだ・たけお)
大正11年富山県生まれ。昭和13年伏木商業学校卒業後、横浜造船横浜工場に入社。15年伏木富山港の税関貨物取扱人になる。19年中国北東部へ徴兵応召。22年大和高岡店に就職。26年上京の後、28年みくら入社。37年西田武生デザインルームを創設し、ブランド「タケオ ニシダ」を始動。平成24年新ブランド「レディ ニシダ」を立ち上げる。

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