この国の立志立命——志を持つ国にするために、何をなすべきか(藤原正彦×米長邦雄)

藤原正彦氏

「ニート」「引きこもり」と呼ばれる人々が巷に溢れる現代日本。仕事がないわけではないのに、働く意志を持たない若者は年々増えているといいます。
明治維新の志士たちに限らず、かつての日本人は当然のように、自分の志を抱いて生きていました。そんな「立志立命」の気概ある生き方、社会をどう取り戻すか――?
片や数学者、片や将棋棋士の立場から、教育に鋭い提言を発する藤原正彦さんと米長邦雄さんの貴重な対談をお届けします。
(初出『致知』2006年1月号)

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生き残ってほしい民族を挙げるとしたら日本人だ

〈藤原〉
昭和12年から20年までは軍国主義が強すぎて教育も何もかも随分壊されてしまいましたが、日中戦争が始まった12年7月以前は、日本はれっきとした民主国家でした。民主主義は戦後アメリカがもたらしたなんてとんでもないことで、普通選挙にしても既に大正時代にあったわけです。 

民主主義国の最先進国イギリスに遅れること、わずか7年です。その意味でも12年以前の教育に戻すことは大事ですね。

米長さんは志を立てる上で大きな障害になっている金銭至上主義に触れられましたが、まさに本質的な問題だと思います。ところが、歴史を遡ると、日本は金銭に関して世界一高貴な国なんです。

16世紀にキリスト教を日本に伝えたフランシスコ・ザビエルが、まず何に驚いたかというと、金のない武士が金のある町人たちに尊敬されていたという点なんです。貧乏人が金持ちに尊敬されている国はヨーロッパにはないので驚嘆するわけですね。

もう一人、大正の末期から昭和初期にかけて駐日大使をやっていたフランスの詩人でポール・クローデルという人がいました。この人が日本の敗戦色が濃くなった昭和18年にパリでこう言ったんです。

「日本人は貧しいが高貴である。世界でただ一つ生き残ってほしい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ」と。

つまり、彼が日本にいた大正末期から昭和初期にかけての日本にはまだ世界一の道徳、国民の高い志が息づいていたわけなんですね。

〈米長〉
ところがいまはそうではない。

〈藤原〉
ええ。クローデルの主張とは反対に「日本人は金持ち、だが下劣な国」となってしまった。アメリカニゼーションに染まって万事カネカネカネの世の中になりました。いまの子供たちは二言目に、これをやって何の役に立つかと質問します。 

例えば数学やって何の役に立つかって。これは国家として日本がどん底に落ちた証拠ですよ。 子供が役に立つかどうかを質問するなんて、最下級の国家の証しです。 役に立たないということと、価値がないというのはまったく別です。

文化、芸術、伝統、そういうものがなくても確かに人間は平和に生きていけるかもしれない。人によっては役に立たないと見る人がいるかもしれないけれども、文化や芸術は人間と獣を分かつ大切なものでしょう。

そういうものを切り捨てて、役立つものだけを尊重しようとする風潮は、日本が誇るべき国柄を捨てていることなんです。

〈米長〉
将棋連盟会長として発言させていただくと、金に飽かせていろんなことをやる〝成り金〟至上主義では駄目だということですね(笑)。

志を持つ国にするために、いま何をなすべきか

〈米長
藤原さんは、この日本はこれからどのような志を立てて、どのような国になるべきだとお考えですか。 

〈藤原〉
私は日本が世界に誇りうるのは素晴らしい情緒と形だと思うんです。先ほどお話しした非常に繊細な美的感受性、こういうものは世界でも飛び抜けてナンバーワンなんですね。

それから二つ目には日本人が作り上げてきた美しい形です。卑怯を憎むとか、名誉と恥とか、忍耐と誠実とかその多くは武士道精神から来ています。とりわけ 取り戻さなくてはならないのが惻隠の情でしょう。

 〈米長〉
弱者に対する思いやりの心ですね。

〈藤原〉
ええ。私はよくNHKで将棋や碁の対局を見るんですが、途中で席を立って戻ると勝負が終わっていた場合、どちらが勝ったのか分からない。勝ったほうが負けたような顔をしている。 「勝った勝った」と大喜びしない。ここに日本文化の奥ゆかしさを感じます。

いま日本経済は規制緩和など市場経済によって一層弱肉強食の様相を呈しています。貧富の格差が大きくなっています。惻隠の気持ちを取り戻すことが特に大切です。 そして美しい情緒と形、世界でダントツだった道徳心を取り戻すことが重要と思います。

それは同時に、日本人が世界に果たしうる最大の国際貢献でもあります。西洋の近代合理精神の限界が明らかになってきたいま、それを打 開する一番の方法は日本人 の美しい情緒や形を世界の人々に教えてあげることではないでしょうか。

〈米長〉
私も藤原さんとまったく同意見ですね。一番は、やはり日本の伝統文化の見直しでしょう。アイデンティティーという言葉があるように、日本人は自分たちの伝統文化に誇りを持ってポジションを定めることが大事だと思います。


(本記事は月刊『致知』2006年1月号 特集「立志立命」より一部を抜粋・編集したものです)

数学者として知られる藤原正彦氏は長年、日本の国語教育のあり方に警鐘を鳴らし続けています。読書力の低下で、文学や詩歌など美しい国語に触れない日本人が増え、同時に人間としての大切な情緒が失われつつある現状もその一つ。そうなった背景は何なのか、失われた日本語をこれからどのように取り戻していけばいいのか。『致知』2022年7月号では大局的な視点からお話しいただきました。詳しくは下のバナーから!

▲7 月号ピックアップ記事 /「国語を忘れた民族は滅びる」

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◇藤原正彦(ふじわら・まさひこ)
昭和18年旧満州新京生れ。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。理学博士。コロラド大学助教授等を経てお茶の水女子大学教授。現在名誉教授。53年、数学者の視点から眺めた清新な留学記『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。著書に『国家の品格』『国家と教養』(共に新潮新書)『日本人の誇り』『名著講義』(共に文春新書)など多数。

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