実は天下を狙っていた? 名軍師・黒田官兵衛の優れた将器に迫る

戦国時代の名智将として知られる黒田官兵衛。豊臣秀吉を天下人へと導いた彼には、数百年の時を経たいまもなお、卓越した先見性が窺える数々の逸話が残っています。今回は多くのファンに愛されたNHKの人気番組『その時歴史が動いた』の司会を務めた松平定知さんに、軍師・官兵衛の様々な一面について語っていただきました。

◉誰の人生にも、よい時と苦しい時があり、その時々で心に響く言葉は違う。仕事にも人生にも、真剣に取り組む人たちの糧になる言葉を――月刊『致知』のエッセンスを毎日のメルマガに凝縮! 登録特典〝人間力を高める三つの秘伝〟も進呈しております。「人間力メルマガ」こちら

秀吉をも恐れさせた知略の才

官兵衛を番組で放映するに当たり私たちは「戦国最強のナンバー2」と紹介しました。放送開始直後、まだタイトルだけで、何も喋っていない時に、NHKには視聴者の皆様からお叱りの電話がかかってきました。

「『最強』やったらナンバーワンじゃろう。ナンバー2とは何ごとぞ」と仰るわけです。これはナンバーワンを狙わない、いわば官房長官に徹する生き方を貫いた人の中でぴか一という意味で、つけたタイトルだったのですがと、スタッフが丁重にご説明し、ようやく納得していただいたのでした。

実際、官兵衛は秀吉の名軍師と言われました。主君に忠義を尽くし、その天下取りに大きな功績を挙げています。

本能寺の変の翌日には、秀吉は主君・信長の死を告げられます。農民出身の秀吉を側近にまで引き上げた恩人の死を知った秀吉は激しく動揺し、号泣します。

ようやく秀吉の気持ちが落ち着いた頃、官兵衛はツツツと秀吉に近づいて秀吉の膝に手を当てて、言います。

「ご運が開けましたな。さあ、天下をお取りなさりませ」

この言葉を聞いてハッと我に返った秀吉は、すぐに毛利と和議を結び、いわゆる「中国大返し」を敢行し、6月13日には、天王山の麓、山崎で光秀を破り、以後、天下人の道をひた走ることになるのです。

官兵衛は戦国きっての鋭利な頭脳の持ち主でした。彼のお陰で秀吉は天下人になれたのです。しかしそれゆえに秀吉は次第にその存在を恐れるようになります。

ある日、秀吉は側近たちに「もしわしが死んだら、代わって天下を治めるのは誰と思うか」と質問します。ヤレ「家康」。ヤレ「前田利家」。側近たちは口々に言い募ります。しかし秀吉はひと言、こう言い切ります。「黒田官兵衛」

その言葉に自分が危険視され、敬遠されそうになっていることを感じた官兵衛はただちに出家して隠遁。「私には何の野心もありませぬ。私の心は無色透明の水のようです」。以来、彼は「如水」と名乗るようになります。

如水が再び世に出たのは天正18(1590)年のことです。天下統一の最後の砦である小田原城攻略に苦しんだ秀吉が、隠居した知恵者・如水に救援を請います。幾多の戦場をくぐり抜けてきた如水は北条氏政に和睦を持ちかけ、開城に成功する。信長もなし得なかった天下統一を秀吉が事実上果たした瞬間でした。

このように黒田官兵衛(如水)は表に出ることなく、ナンバー2に徹し続けた男であり、それが私にはたまらない魅力だったのです。

不発となった「天下取り」の野望

ところが、史料を調べる中で、私がもっと彼を好きになる、意外な事実が分かってきました。官兵衛(如水)は決してナンバー2であり続けようとは思っていなかった、なになに、彼は大いにナンバーワンを狙っていた男だったのです。

慶長5(1600)年、関ケ原。両軍合わせて16万人という、あの天下分け目の大合戦です。その頃、隠居して豊前国・中津に身を潜めていた如水は、この合戦を前にある戦略を立てました。

これだけの大合戦となれば終結までに1か月、2か月と要するに違いない。その間に自らの手で九州、中国を平定し、関ケ原で、勝ちはしたが疲労困憊しているであろう勝者を壊滅させれば天下を取れる……。要するに、日本を懸けて、1回戦の勝者と、優勝決定戦をやろうという戦略でした。

しかし、関ケ原の戦いは如水の予想に反して、わずか半日で東軍に軍配が上がり、如水のこの「優勝決定戦構想」も不発に終わってしまいます。東軍に属した如水の息子・黒田長政が一番の武功を挙げ、それが東軍の勝利に結びついたのは何とも皮肉なことでした。 

如水にしてみれば、息子にも伝えられないほどの、これは極秘事項だったのです。九州に戻った長政は、如水の顔を見ると喜色満面に「家康公は私の戦功をきちんと評価してくださり、私になんと御手を差しのべてくださいました」と手柄話をします。

如水はそれを讃えつつも「その手はどっちの手だった」と質問します。「右手でした」と答える長政に如水は「その時、おまえの左手は何をしていた」と聞き返しました。

「刺そうと思えば、おまえは家康を刺せたではないか」と迫ったというのです。如水が思わず本音を漏らす、背筋がゾクッとするようなシーンです。

さっきも言いましたが、「史料」は主人公をよりグレードアップさせるために後世の作家が書いたフィクションが含まれていることが多いということで言えば、もちろんこれらは「出来すぎ話」ではありますが、しかし、さっきの信長といい、この官兵衛といい、こうした言動には、ワクワク、ゾクゾクするのです。


(本記事は月刊『致知』2008年8月号 特集「人生を潤す言葉」より一部を抜粋したものです)

各界トップリーダーもご愛読! 月刊『致知』のご購読・詳細はこちら各界リーダーからの推薦コメントはこちら

◇松平定知(まつだいら・さだとも)
昭和44年NHK入局。高知放送局を経て東京アナウンス室勤務。平成19年暮、退職。現職に。これまでに『その時歴史が動いた』『NHKスペシャル』をはじめ数多くのテレビ番組を担当。現在はテレビ出演に留まらず、アナウンスの専門技術を活かした朗読や読み聞かせ、講演活動など幅広い分野に亘って活躍している。

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に1年購読 10,500円(1冊あたり875円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 28,500円(1冊あたり792円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

閉じる