「チャンスは何度も巡ってこない」──走る哲学者・為末大が語る挫折の乗り越え方

陸上男子400メートルハードルの日本記録保持者であり、オリンピックをはじめ数々の世界大会で活躍してきた為末大さん。「走る哲学者」として引退後も多彩な活動を続ける為末さんに、20代で経験した挫折と、それをいかにして乗り越えたかについて語っていただきました。

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一度の勝負にすべてを懸ける

私が陸上の道に進んだのは、幼い頃にいろんなスポーツに挑戦する機会を与えてくれた母のおかげです。学校の先生の導きで走ることの楽しさを知り、中学2年の時に陸上部に入って短距離走を始めました。中学3年の時に100メートルと200メートルで全国1位になり、高校時代にはオリンピック出場をハッキリと意識するようになりました。

ところが、初めて出場した国際大会では、世界のレベルにはとても手が届きそうにないことを肌で感じました。その時私の目に留まったのが、同じ会場で行われていたハードル競技でした。この競技は、まだ技術を洗練させていける要素が十分残っている。これならいまから挑戦しても、世界と互角に渡り合えるのではないか。

陸上の花形であり、日本でトップに立ったこともある100メートル走を断念することへの葛藤はありました。しかし私は、どうせやるなら少しでも世界一になれる可能性の高い道を選ぶことにしたのです。高校3年の時でした。

この決断は間違っていませんでした。実際にハードルを始めてみると、他の選手が苦労しているハードル間の歩幅の調整が、私は息を吸うように自然にできました。そして練習の成果も実り、2000年にはシドニーオリンピックへ出場することができたのです。

しかし、五輪初挑戦の結果は苦いものでした。レース中にあえなく転倒し、予選敗退を余儀なくされてしまったのです。

このままでは駄目だ。最初から全面勝利を目指すのは現実的でないと考えた私は、まずは1台目のハードルをトップで通過することを目標にしました。それによって、たとえレースで負けても、ある瞬間だけは勝つことができる。そうして自信を重ねていき、前半でリードする私の走りのスタイルが確立していったのです。

それほど負けず嫌いでもなかった私がそこまで競技に打ち込めた背景には、母の影響がありました。ごまかしが嫌いな母には、何事も全力でやり抜くよういつも言われて育ちました。ドライなところもあり、一度やって駄目だったことには執着しない潔さにも感化されました。

チャンスは何度も巡ってこない。たった一度の勝負にすべてを懸ける。その姿勢で競技に臨んだことが、よい実績に結びついたと思っています。


(本記事は月刊『致知』2021年11月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです)

月刊『致知』2021年11月号では、この後も為末大さんに20代の競技生活を振り返っていただきながら、「弱点の後ろには長所がある」「極限の舞台で力を発揮するには」など、人生・仕事のヒントを語っていただいています。ぜひご覧ください!

◇為末 大(ためすえ・だい)
昭和53年広島県生まれ。中学、高校時代より陸上競技で活躍し、平成13年エドモントン世界選手権及び17年ヘルシンキ世界選手権の男子400メートルハードルで銅メダルを獲得。シドニー、アテネ、北京とオリンピック3大会に出場。男子400メートルハードル日本記録保持者。24年に引退後は、会社経営などを通じてスポーツと社会、教育、研究に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『為末メソッド』(日本図書センター)など。

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