2021年10月27日
『老子』の教えは癒やしの哲学。そう語るのは精神科医として45年間、多くの患者と対話してきた野村総一郎さんです。『老子』の提唱する「人と比べない生き方」は、固定の価値観に囚われてしまった病める人々の心にスッと沁み込むと語る野村さん。「ジャッジフリー」という独自の考え方をキーワードとして、『老子』の思想を紐解いていただきました。※記事の内容や肩書はインタビュー当時のものです。
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鬱病の特効薬にもなる 『老子』の魅力
──野村さんは精神科医として、『老子』の教えをもとにカウンセリングをされていると伺いました。
〈野村〉
これまで45年間で10万人以上の患者さんと向き合ってきましたが、10年ほど前、投薬以外の新しい治療を模索している時に『老子』に出合い、この考え方は治療の役に立つと直感したんです。
私は精神科の中でも特に鬱病を専門としており、『老子』を一読した時、「この本は鬱病について書かれた本だ」と感じるほど、鬱病を発症する原因や治療法が明確に書かれていて驚きました。
老子が生きていた時代には鬱病という概念がないにも拘(かかわ)らず、『老子』の説く考え方には頑張り過ぎる現代人にとって必要な哲学があると思ったんです。非常に不思議な感覚でしたね。
──『老子』の教えが鬱病の治療に役立つと気づかれた。
〈野村〉
ええ。残念ながら、鬱病患者数は年々増え続けています。その原因を一概に言うことはできませんが、誤った考え方や認識の仕方が少なからず影響していると私は考えています。
「頑張っているのに誰からも評価されない」「自分は能力が低く、何もできない」「友人たちは充実した生活を送っていて羨(うらや)ましい」「お金がある人は幸せ、ない人は不幸」
無意識のうちに自分と他人を比較し、そのジャッジ(判断)に自らが苦しめられている。日本人は特に、ジャッジをし過ぎる傾向があることは否めません。
──他人との比較が苦悩の根源であると。
〈野村〉
そのジャッジから解放されるという意味を込めて、私は「ジャッジフリー」と呼んでいるんですけど、人の目を気にして精神的に疲労が溜まりがちな人ほど、このジャッジフリーの思考を実践してほしいと思っています。
『老子』には「自分と他人を比べるな、他人との関係性に必要以上に苦しめられるな」という内容が表現を変えて繰り返されているため、精神疾患に苦しむ患者さんとのカウンセリングの中で、『老子』の言葉を紹介し、このジャッジフリーの生き方をご提案しているんです。
蛍雪の功
──患者さんにはどのようにお伝えされていますか?
〈野村〉
『老子』の言葉はどれも伸びやかな言葉で分かりやすく書かれてはいますが、元は漢文ですので、どうしても解釈が難しい面もあります。
そのため、医学的に解説したわけではありませんが、医師である私が独自に「意訳」したという意味を込めて、「医訳」と称して解説を加えています。
鬱病というのは心の病であるわけですが、罹るのには4つの要因があると私は考えています。1つは劣等意識。「自分は弱い」「ダメな人間だ」と。次に「自分は損をしている」「被害を受けている」と感じる被害者意識。3つ目が完璧主義で、4つ目が自分のやり方に必要以上にこだわってしまう執着主義です。
これらの心的傾向を『老子』の教えに当てはめて考えてみると、面白いほど対応しているのが分かります。
例えば、強がりの背景にあるのは劣等感だと言われていますが、老子はしつこいほど弱さを強調しています。有名な「上善は水の若し」の言葉を例にとり、私が患者さんと一緒に読み上げている医訳をご紹介します。
「上善は水の若(ごと)し」
〔医訳〕最高の存在とは水のようなものである。人が嫌がる「低いところ」へ流れ、そこに留まる性質がある。水というのは、やわらかく、弱い存在であるかのように思えるが、実際には岩をも砕く強さがある。水は、弱く、争わない存在であるが、結局は勝利を収める。中途半端に強くなろうとせず「水の若く」あえて弱さを選択するのも一つの方法である
水は下へ下へと流れる冴えない存在で、蒸気になったり氷になったりと姿かたちを変えて主体性のないようにも思えます。
しかし、時には岩をも砕くほど荒々しい滝となる。水の弱さ、すなわち柔軟性があるからこそ、強固なものに打ち勝つことができる。そう捉えると、弱さこそが武器になると言っているのです。
──弱さは時として武器になると。
〈野村〉
他にも、こう言っています。
「曲(きょく)なれば則(すなわ)ち全(まった)し」
〔医訳〕何かを成し遂げるには曲がりくねっていることも大事。直線的に生きるより、曲線的に生きるほうがいい
私はこの教えを分かりやすく眼鏡のつるに譬(たと)えて説明しています。眼鏡はつるの曲がっている部分があるからこそ、耳にフィットしてずり落ちずにいられます。
同じように、世の中には「曲がっていること」が大切な場面が必ずあります。ですから、できないことを嘆くより、どうせ自分は他人と違うのだからと開き直ってみることも大事だと患者さんに提案しているのです。
(本記事は月刊『致知』2019年9月号 特集「読書尚友」より一部を抜粋・編集したものです)
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◇野村総一郎(のむら・そういちろう)
昭和24年広島県生まれ。慶應義塾大学医学部を卒業後、テキサス大学、メイヨー医科大学に留学。帰国後、藤田保健衛生大学精神医学室助教授、国家公務員共済組合連合会立川病院神経科部長。平成9年防衛医科大学校教授、24年防衛医科大学校病院病院長に就任。27年六番町メンタルクリニックを設立し、院長に就任。18年から現在まで、『読売新聞』の「人生案内」での回答者も務める。著書に『人生に、上下も勝ち負けもありません』(文響社)など多数。