初代内務卿・大久保利通が示した国家指導者のリーダーシップ

明治維新の三傑の一人・大久保利通。何かと批判も多い人物ですが、その実像を見ていくと、日本の国づくりに命を懸けた冷静かつ勇敢な指導者としての姿が浮かび上がってきます。長年、大久保の人物像を研究してきた国士舘大学文学部教授の勝田政治氏に、「明治の元勲」の卓越したリーダーシップについて伺いました。

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大久保利通をどう評価すべきか

〈勝田〉
明治維新の立役者・大久保利通。しかし、維新から150年近く経ついまなお、大久保の評価は定まっていません。独裁者、権謀術数を巡らす策士、西南戦争で盟友・西郷を討った冷徹な人物等々悪評がつきまといます。私自身もそう思う一人でした。マイナスイメージばかりが先行していたので、歴史家でありながら積極的に研究テーマとして取り上げる気にならなかったのです。

しかし、ある時、それが先入観であると知るようになります。きっかけは戦前まであった内務省を研究テーマに学位論文を書いたことでした。内務省を知るには明治維新を知り、創設者である大久保を知らなくてはいけません。調べれば調べるほど、それまで見えなかった大久保の一面が明らかになり、私はいつの間にか彼の人柄と並外れた指導力に魅せられるようになりました。

大久保は決して世間で言われるような独裁者ではなく、欧米列強と肩を並べられる国家体制の樹立という、明治維新期の最大の国家的課題に立ち向かい、そのために一身を捧げた最も優れた政治リーダーだったのです。

倒幕に尽力した明治維新の三傑といえば、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允です。これに倒幕派公卿の岩倉具視を加えた4人の維新前後を見ていくと、木戸の場合、廃藩置県までは強力な牽引力で新政府を導きましたが、精神的な病を得て次第に影響力を失っていきます。西郷は明治6年の政変で大久保に敗れて下野し、岩倉は尊王攘夷派に睨まれ幕末の一時期、京都を離れて政治活動を断念せざるを得ない状態でした。

つまり、維新前後、全期間にわたって指導者として居続けたのは大久保のみであり、大久保なくして明治維新の全貌を語ることはできません。見方を変えれば、大久保の足跡を丹念に追っていくことで、維新というものの本質が分かってくるのです。(……)

イギリスをモデルに近代日本を建設

〈勝田〉
明治政府における大久保の最初の役職は参与でした。そこから参議、大蔵卿、内務卿などの役職を得ていきます。参議は明治政府の政策を決定する重要な役職ですが、複数の人間がいました。大蔵卿、内務卿はいまでいう大臣ですが、これも一ポストにすぎません。新政府内では西郷や木戸が依然強力な統率力を有しており、この段階でも大久保はまだトップリーダーというわけではありません。(中略)

では、大久保はいつトップリーダーへと登り詰めたのでしょうか。中央集権を達成した新政府が次なる目標として掲げたのは、不平等条約を改正して欧米列強と対等な関係を築くことでした。新政府はその方策を模索するために1871年、岩倉を長とする使節団を欧米に派遣します。大久保もまた副団長として参加するわけですが、この欧米視察こそが、大久保をトップへと押し上げる大きな力になったと私は見ています。

倒幕や中央集権など当面の問題について取り組んできた大久保が、日本の将来について明確なビジョンを描いたのは、まさにこの時でした。

つまり、条約改正のためには何よりも国家の真の実力が必要で、実力をつけるにはイギリスの立憲君主制や工業力をモデルに近代化を成し遂げなくてはならないことを痛感したのです。(……)

黙考し果断に実行

〈勝田〉
大久保の人間性やリーダーシップとはどういうものだったのでしょうか。それを図る上での一つの物差しは、同時代を生きた人たちが大久保をどう評価していたかです。ここでは複数の証言を盛り込みながら、私なりの分析をしてみたいと思います。

一つのキーワードは大久保が日記の中で頻繁に用いる「熟考」という表現です。現実を直視しながら、熟考して今後の方向性を見定めた後は、果断に実行し、困難に直面しても最後までやり遂げる意志の強い政治家。そう言えるのではないでしょうか。

大久保を支えた大隈重信はその回顧談の中で「大久保の特質は意志の堅固と冷静と決断力に富んでいたこと」「熟考し再考し三考するという風で、沈思黙考の結果、善いと確信したならば、彼は猛然進んで毫も余力を残さないというやり方であった」と述べています。

それを端的に示す大久保の逸話が残されています。1874年、台湾出兵をめぐる清国との紛争処理のため大久保は、清国に自ら出向くことを直訴します。時の太政大臣・三条実美はそういう大久保を評して、岩倉に宛てた手紙に「(大久保は)御為と見込候は確乎(かっこ)動くべからざる」、つまり決意したことは確乎として動かない人物と称えているのです。

また、外交官・林董が「難局にあたって、一切の責任を自分で引き受けて、難きは自ら任じ、易きは人にさせる……公はその責めを一切自分一人で背負った」と述べていることからも、その責任感の強さを知ることができます。

大久保のリーダーシップは、人材登用面においても、いかんなく発揮されました。特に藩閥主義の強い明治初期に、能力主義による登用を行い、しかも一度任せた仕事には干渉しないという見識と手腕は注目に値します。

大久保が内務省を創設したことは先に述べました。本来なら気心の知れた薩摩の優秀な人間ばかり側近に置いても不思議ではありません。しかし、大久保は越前や丹後宮津、鳥取などの藩出身者や薩長と対立関係にあった元幕臣までも登用しています。そこに大久保の器の大きさを感じるのは私だけではないのではないでしょうか。

石川県令などを務めた千坂高雅はこれについて「大久保に心服していたというのは、あの公平無私、至誠至忠の点にある。閥族などという考えは少しもなかった。内務省には鹿児島県人はいくらもいなかった」と述べています。

富士製紙を創業した河瀬秀治は「公は……部下がやるだけのことをやらせるという風であった。……万事仕事は君たちに任すから力一杯やれ。その代わり責任はおれが引き受けてやる。顧慮せずにやれと言われた」と述懐しています。

このように国家的指導者である大久保の人生を振り返った時、頭に浮かぶのは「熟考」「果断」「責任感」という3つの言葉です。大久保はまさにそのような人でした。現代に生きる私たちが大久保に学ぶべきもまた、この点にあるように思います。


(本記事は月間『致知』2016年1月号 特集「リーダーシップの神髄」より一部抜粋したものです)


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◇大久保利通(おおくぼ・としみち)
文政131830)年~明治111878)年。鹿児島県出身。明治維新の指導者。島津久光のもとで公武合体運動を推進。やがて討幕へと転じ、薩長連合を成立させる一方、岩倉具視らと結んで慶応3(1867)12月、王政復古のクーデターを敢行。版籍奉還や廃藩置県を推進し、新政府の基礎を固める。参議兼内務卿となり政権を掌握後、地租改正、殖産興業の推進など、重要施策を実行。明治11年士族に暗殺され死去。

 ◇勝田政治(かつた・まさはる)
昭和27年新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。同大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得退学。国士舘大学教養部専任教員を経て現職。著書に『廃藩置県-「明治国家」が生まれた日』(講談社)『内務省と明治国家形成』(吉川弘文館)『〈政事家〉大久保利通 近代日本の設計者』(講談社)など多数。

 

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