2024年04月17日
長期人気連載「歴史の教訓」の執筆や対談、セミナー企画など弊誌ともご縁の深かった渡部昇一先生。2017年4月17日に86歳で逝去されましたが、その教えはいまも日本人を導く指針となっています。
渡部先生が若い世代に向けて綴った日本通史の決定版『渡部昇一の少年日本史』では、神武天皇に始まり、楠木正成や徳川家康といった人物はもちろん、「教育勅語」「五箇条の御誓文」、第二次世界大戦に至るまで、転換点となった出来事が分かりやすく紐解かれています。日本史のエッセンスがこの一冊にまるごと凝縮。現役高校生も感動した300頁を超える本書に、渡部先生はどんな思いを込め、遺されたのでしょうか。そのまえがきをすべて公開します。
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「歴史」とは何か
少年少女諸君! 今日はこれから皆さんに日本の歴史についてお話ししていきます。
歴史というと、皆さんは学校の授業で習っているでしょう。しかし、これから私がお話しするのは、皆さんが授業で習っている内容とはちょっと異なると思います。
私は今までいろいろな歴史についての本を書いてきましたが、今日は今までに類のない「歴史歴史というけれど、歴史とはいったいなんだろう?」というところから考えてみたいと思うのです。
皆さんは歴史とはどういうものだと考えているでしょうか?
歴史というと年表を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、年表に書かれている事件が歴史なのでしょうか?歴史が実際に起こった事件からできているのはその通りなのですが、年表に書かれているのは、「確かに起こりました」と確認されている出来事なのです。これを歴史的事件とか歴史的事実(史実)と呼びます。
ここで大切なのは、歴史的事件や歴史的事実をすべて積み上げてみても歴史にはならないということなのです。わかりやすい例をあげてみましょう。
皆さんは毎日、新聞やインターネットでさまざまな情報に触れていると思います。それらにはさまざまな事件が起こったことが報道されていますが、そんな情報の一つひとつを集めて1年、5年、10年と積み上げていけば、それは歴史になるでしょうか? 実はそう簡単にはいかないのです。歴史的事実をどれだけ積み上げたところで、それは歴史とはいいません。
覚えておいてほしい第一の点
では、歴史とはなんだろう? イギリスのバーフィールドという学者は歴史を「虹」にたとえて説明しています。
雨が降った後の空には無数の細かい水滴が残っています。この細かい水滴の一つひとつが歴史的事実なのだとバーフィールドは言います。毎日の新聞に記録されているような事件ですね。でも、この水滴をいくら集めても虹にはなりません。
ところが、この水滴の集まりをある角度から、ある距離をとって眺ながめると、はっきりとした七色の虹となって見えてきます。
虹というのは不思議なものです。もっと近くに行ってよく見たいと思って近づきすぎると消えてしまいます。逆に、遠くに離れすぎても見えなくなります。今見えているのとは違う場所から見ようとしても、見る角度が合わなければ見えません。美しい虹を見るためには、適当な角度と距離が必要なのです。
さて、歴史は虹のようなものだと言った意味がおわかりでしょうか? 水滴をいくら集めても虹にはならないように、歴史上の事実や事件をたくさん集めても、それは歴史にはならないのです。
歴史というのは、水滴のように限りなくある歴史上の事実や事件を適当な角度と距離をとって眺めることによって浮かび上がってくるものなのです。
ある角度というのは、たとえば日本という場所を考えるといいでしょう。日本の国に住む国民の目にだけ見える歴史があるのです。距離というのは一定の時間と考えてみてもいいでしょう。そのときにはわからなくても、時間が経つとはっきり見えてくる歴史の真実というものがあるのです。
つまり、この虹というのは、無限の歴史的な事実や事件の中から、ある国の国民の目にだけ七色に輝いて見えてくるものなのです。そういう歴史を「国史」(=国民の歴史)と呼びます。そして、そのような歴史の虹を見るためには正しい歴史観を持つことが大切です。
ところが、最近の歴史研究は、しばしば水滴だけの研究をいう傾向があります。もちろん水滴とはいっても歴史的事実を一つひとつ研究することは尊いものですし、尊重すべきです。しかし、それだけでは決して虹にはならないということを、まず頭の中に入れておくことにしましょう。
これが歴史を考えるうえで覚えておいてほしい第一の点です。
(渡部昇一著『少年日本史』(致知出版社刊)より抜粋)
◎渡部昇一先生からの『致知』へのメッセージ◎
『致知』と私の関係は、現社長の藤尾さんが若い編集者として私に物を書かせようとして下さったことからはじまる。藤尾さんは若い時から「自ら修養する人」であった。私も修養を重んずる人間であることに目をつけて下さったらしかった。
それから35年経つ。その間に私は老いたが、『致知』は逞しく発展を続け、藤尾さんには大社長の風格が身についた。発行部数も伸び、全国各地に熱心な愛読者を持つに至った。心からお慶び申し上げたい。老人になると日本の行く先をいろいろ心配したくなるが、その中にあって『致知』の読者が増えてきていることは大きな希望である。部数がもう3倍になれば日本の代表的国民雑誌と言ってよい。創刊38周年の後は、創刊50周年を祝うことになるわけだが、その時には代表的国民大雑誌になっていることを期待します。
◇渡部昇一(わたなべ・しょういち)
昭和5年山形県生まれ。30年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。平成13年から上智大学名誉教授。29年逝去。