2021年08月07日
東京オリンピックでの熱のこもった解説が話題を集めるスポーツジャーナリストの増田明美さん。しかし、マラソン選手を28歳で引退してスポーツライターとして歩み始めた当時は、漢字を読み間違えるなど、失敗の連続だったといいます。そんな若き日の増田さんを励まし支えたのが作詞家・永六輔さんの言葉でした。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
「選手である前に人である」という信念のベース
〈増田〉
1992年28歳で引退し、第二の人生をスポーツライターとしてスタートしました。半年後にラジオのパーソナリティのお声が掛かり、挑戦することに。ところが最初は「結納」を「けつのう」、「門松」を「もんまつ」などと幼稚な読み間違いを重ね、リスナーの方から小学生用の国語辞典が送られてくる始末でした。
そんな私がいま、スポーツ解説やナレーションなどで活躍できるようになったのは、永六輔さんのおかげです。
同じ局で番組を持っていらっしゃった永六輔さんは、失敗を繰り返して落ち込む私を気に掛け、いろんな話を聞かせてくださいました。永さんの語りが大好きだった私は、「どうすれば永さんのように、風景や匂いが伝わるような話ができますか?」と聞いてみました。その時永さんからいただいたアドバイスは、いまも私の仕事のベースになっています。
「自分が会いたい人、興味のある事柄については現場に行きましょう。五感で感じたことを、ありのままに自分の言葉で話すといいですよ」
「取材というのは材を取るって書くでしょ。だから人前で話す時は、元になる材料を仕入れておかなければいけません」
1993年に初めて世界陸上の解説という大役をいただいた時、私はそのアドバイスをもとに、事前に出場選手を徹底取材して得た情報をフルに活用して本番に臨みました。
それをご覧になった永さんからいただいた
「増田さんの解説は金メダルだ」
という言葉は、一生忘れることはありません。「選手である前に人である」という信念をもとに、競技のことだけでなく選手の人柄や人生にもスポットを当てる私の解説スタイルは、その時に定まりました。
こうして改めて振り返ってみると、私の20代は失敗の繰り返しでした。では、失敗を恐れてオリンピックに出場しなければよかったか、ラジオの仕事を受けなければよかったかというと、決してそうは思いません。前向きにチャレンジしたことは、たとえ失敗してもすべて栄養になり、いまの私を支えてくれているからです。
◆増田明美さんが『致知』に贈るメッセージ◆
物事に挑戦する時はハッピーなエネルギーを持って臨むことが大切です。オリンピックでメダルを取る人は皆、大舞台を楽しんでいます。やるだけのことはやったと納得できる努力を重ねたからこそ、あとは楽しもうという境地で本番に臨めるのです。
同じ意味合いの「知好楽」という言葉を、私は後に『致知』で教わりました。「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」。この『論語』の言葉は、いまでは私の大切な座右の銘になっています。失敗してなお前に進む力を与えてくれるのが読書から得られる教養です。そして「知好楽」という言葉を教えてくれた『致知』こそは、私の〝父〟なのです。
(本記事は月刊『致知』2021年1月号 連載「二十代をどう生きるか」から一部抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
※購読動機は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
◇増田明美(ますだ・あけみ)
昭和39年千葉県生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立。59年のロス五輪に出場。平成4年に引退するまでの13年間に日本最高記録12回、世界最高記録2回更新という記録を残す。現在はスポーツジャーナリストとして執筆活動、マラソン中継の解説に携わるほか、ナレーションなどでも活躍中。著書に『カゼヲキル』(講談社)『認めて励ます人生案内』(日本評論社)など。