「どんな姿になっても生きていて」喉をがんに冒された校長先生が運命を受け入れた理由

下咽頭がんで肉声を失いながらも、人工喉頭器を使って道徳の授業を行う校長先生がいます。山口県にある市立川中中学校校長の児玉典彦さんです。辛いがん宣告を受けた後、声を失うという決断、大手術を経て、その心はどう変わっていったのか――人工喉頭器を通して語られた感動的な歩みをお届けします。

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迫られた二者択一

〈児玉〉
初めて喉に違和感を覚えたのは平成15年1月のことでした。冷たいものや温かいものを飲み込む度に、しみるような痛みが喉に走るようになったのです。

すぐに学校の近くにある病院で診察を受けると、ちょっとしたアレルギーだろうというのが医者の見解でした。気になっていただけに、ほっとした思いで再び校務に専念する毎日を過ごしました。

処方された薬を飲めばすぐによくなるだろうと思っていただけに、それから2か月を過ぎても症状が改善しないことに再び不安が募ります。ところが再度病院に行こうにも、年度末から年度初めにかけては学校が最も忙しく、当時中学校の教頭だった私は多忙を極め、病院に行く時間を全く捻出できずにいました。

迎えた3月25日のことです。午後に予定していた仕事が急遽キャンセルになったため、予定にぽっかりと穴があきました。そこで以前から勧められていた少し遠い病院を訪れたところ、紹介状を書くので山口大学付属病院にすぐ行くようにと医者に促されます。不安を抱えたままに附属病院に着くと、その日は精密検査用に喉の細胞を採取するだけで終わりました。

校務の合間を縫って検査の結果を聞きにいったのは、それから一週間後のこと。家族には伏せていたため、単身病院を訪れました。

下咽頭がん。これが医者から告げられた病名でした。聞けば喉にできた悪性の腫瘍が進行していて、完治する確率は数十㌫だというのです。呆然とする私を前に、医者は2つの治療法を提示しました。

一つは手術、もう一つは放射線治療です。説明によると、手術をすれば命が助かる可能性は高まるが、声帯を除去するために声を失う。一方、放射線治療であれば声は残るが生存率が低くなる、というのです。

声を失う。私はそのことに大きなショックを受けました。当時の私は声帯を除去しても声を出せる方法があるとは知る由もありません。つまり手術を選べば必然的に話すことができなくなるので、教師を辞めなければならないと考えたのです。

しかし、23年間にわたる教師生活を振り返ると、その決断を下すのはあまりに辛く耐えがたいものでした。

決断を促した娘の涙

附属病院でがんを宣告された帰り道、私の頭の中は迷いと苦悩が渦巻いていました。

いっそのこと、がんのことは誰にも告げずに仕事を続け、命が尽きるまでやれるだけやればいいじゃないかという考えに傾きもしました。しかしそれはあまりに自分勝手で家族に申し訳がたたないので、放射線治療にすべてを託そうと思い至ります。

家に戻ってすぐに妻と二人の子供を部屋に集めると、私はゆっくりとこれまでのことを話し始めました。そして精密検査の結果はもちろん、示された2つの治療法のことを話した上で、「私は放射線治療をやってみようと思う」と伝えました。

すると突然、大学4年生になる長女の目からボロボロボロボロ涙がこぼれ落ちると、嗚咽する声が部屋にこだましました。そして顔をくしゃくしゃにして泣きながら、「お父さん、どんな姿になってもいいから生きていて」と私に頼むのです。それも何度も何度も。

この時、私の心理状態はとても複雑でした。声を失いたくないという思いに加えて、手術に対する恐怖心が私を支配していたのです。医者の説明によれば、この手術は決して簡単なものではありませんでした。

手術に要する時間は10時間以上で、声帯を含めた喉と食道を繋ぐ部分を全部取り除いた上で、開腹して取り出した腸の一部を使って食道を再建するというものです。自分はどうなってしまうのだろうかという思いが、私を頑(かたく)なにしていたのです。

しかし娘の涙をじっと見ているうちに、私はこの子のために生きなければいけない、そのためにも生きることを優先させようと決意しました。

自分のことばかりを考えていた私に、娘の涙が一筋の光を与えてくれました。自分以外の誰かの幸せのために頑張ろうとした時、乗り越えられないと思っていた壁を残り越えられることを、私はこの時に教えられたのです。


(本記事は月刊『致知』2014年9月号 特集「万事入精」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇児玉典彦(こだま・のりひこ)
昭和31年山口県生まれ。同志社大学卒業後に奉職。当時教頭だった平成15年に下咽頭がんが見つかり声帯を切除する手術に踏み切る。16年から3年間山口県教育委員会下関教育事務所勤務を経て、19年美祢市立厚保中学校校長に赴任。22年下関市立菊川中学校校長を経て、26年4月より下関市立川中中学校校長として現在に至る。

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