2021年04月15日
不遇の時代も決してペンを手放さず、書き続けることで今日を築いてきた作家・北方謙三さん。障碍が重なり、全盲ろうという大変な困難の中でも障害者支援に尽力し、北方作品に心励まされてきたという東京大学教授・福島智さん。お二人の対談は、北方さんの作家としての原点に迫っていきます。(北方さんの言葉や相槌は「指点字」通訳者を通して福島さんに伝えられました)
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青春とは
〈福島〉
執筆のご苦労が伝わってくるようなお話でしたけれども、北方先生は学生の頃からずっと小説を書いてこられたんですよね。
〈北方〉
はい。最初は純文学といって、自分の心をえぐり出すような小説を書いていたんですが、20歳の時に文芸誌に載りましてね。編集長から「君は大江健三郎以来の学生作家だ。頑張れ」と言われたんです。3作くらい活字になって、自分のことを天才だと思い込んでいました。
ところが4作目ぐらいから一切載せてもらえなくなったんです。書いても書いても突き返される。全部ボツです。
5年くらい経つと、天才じゃないかもしれないと思うわけです。だけど俺には才能があるんだと言い聞かせて書き続ける。さらに5年経つと、もうそのへんの石っころにしか思えなくなってくる。こうなったら、石っころでも磨けば光るんだと世間に知らしめるしかないな、と思いながら懸命に書いていましたね。
〈福島〉
北方先生にもそんな時代があったんですね。
〈北方〉
実は18歳の時に肺結核になりましてね。就職はできないだろうから、小説家になるしかないと思ったんです。結核というのは小説の世界ではエリートなんですよ。結核文学というのがあるくらいですからね(笑)。ところが3年半で治ってしまって、文学的なエリートになる道からも落ちこぼれてしまった。
それで肉体労働を始めましてね。月のうち10日間くらい働くと、ひと月分の生活費が稼げるんですよ。ですから10日間肉体労働をして、あとの20日間は書くっていうことを延々と繰り返してきたんです。
〈福島〉
どんなお仕事をなさっていたのですか。
〈北方〉
あの当時はまだコンテナ船があまり発達していなかったので、クレーンで船倉に運ばれた積み荷を、指示されたところに担いでいく仕事とかね。
あとはごみ屋さん。ごみ収集車って、昔は荷台の縁の高いトラックでしてね。ごみの収集場所を回ってポリバケツの中身をその荷台に積み込んで、夢の島に捨ててくるんです。そういう汚れ仕事は日給がよかったんです。
〈福島〉
お話を伺っていて、いろんな登場人物が頭に浮かんできました。彼らは先生のそういうご体験から生み出されるんでしょうね。
〈北方〉
体験というのは、たぶん小説を書く時の10パーセントぐらいの核にはなっていると思います。あとはその体験に、いろんな願望や想像力が加わって小説になっていくんだろうと思いますね。
ですから私の20代の10年間というのは、そういう肉体労働をしながらひたすら小説を書き続けたわけですが、その間のボツ原稿がどのくらいあるかというと、400字詰めの原稿用紙を積み上げて、背丈を越えます。
〈福島〉
はぁ、ものすごい枚数だ! そういう不遇の時代があったから、その後の創作のエネルギーに繋がっていったんでしょうね。
〈北方〉
あの10年間はいったい何だったのかとよく考えるんです。そしてあれは青春だったと思います。
青春というのは意味のあることを成し遂げることじゃないんです。どれだけ馬鹿になれたか。どれだけ純粋で一途になれたか。それがあの背丈を越えるボツ原稿だとしたら、捨てたもんじゃないと思いますね。
青春時代にすべてを完成させようと思っていると、チマチマと小さくまとまった生き方になってしまうだろうと思うんです。けれども私は10年間馬鹿になって突っ走った。転がっては突っ走り、転がっては突っ走り、それの集積が背丈を越えるボツ原稿の山。これはなかなかのものだと思うんですよ。やってる最中はとんでもなかったですけど(笑)。
(本記事は月刊『致知』2015年2月号 特集「未来をひらく」より一部抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
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【著者紹介】
◇北方謙三(きたかた・けんぞう)
昭和22年佐賀県生まれ。中央大学法学部卒業。56年『弔鐘はるかなり』でデビュー。58年『眠りなき夜』で吉川英治文学新人賞、60年『渇きの街』で日本推理作家協会賞長編部門、平成3年『破軍の星』で柴田錬三郎賞、18年『水滸伝』(全19巻)で司馬遼太郎賞をそれぞれ受賞。他に『三国志』(全13巻)『楊令伝』(全15巻)など多数。
◇福島 智(ふくしま・さとし)
昭和37年兵庫県生まれ。3歳で右目を、9歳で左目を失明。18歳で失聴し、全盲ろうとなる。58年東京都立大学(現・首都大学東京)に合格し、盲ろう者として初の大学進学。金沢大学助教授などを経て、平成20年より東京大学教授。盲ろう者として常勤の大学教員になったのは世界初。社会福祉法人全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表などを務める。著書に『生きるって人とつながることだ!』(素朴社)『盲ろう者として生きて』(明石書店)『ぼくの命は言葉とともにある』(致知出版社)などがある。
累計約1,000万部の大ベストセラー「大水滸伝」を生み出した作家と、
18歳で全盲ろうになった東大教授。
互いに深く尊敬し合う二人が、自らのルーツや人生観について語り合った
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