もう一つのバレンタインデー 「空の神兵」と呼ばれた父

2月14日といえば、バレンタインデーを思い浮かべる日本人がほとんどですが、実はこの日は日本にとって歴史的な奇襲作戦が行われた日でもありました。いまや忘れられてしまった「もう一つのバレンタインデー」の史実を後世に語り継いでいる「空の神兵」顕彰会会長・奥本康大さんに、奇跡といわれる大作戦の真実を語っていただきました。

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バレンタインデーは「パレンバンデー」

2月14日と聞けば、バレンタインデーを思い浮かべる人がほとんどでしょう。しかし、いまから76年前、昭和17年のこの日、日本にとって歴史的な奇襲作戦が展開されたことを多くの日本人は知りません。

インドネシア・パレンバンの空に約330個の落下傘が開き、敵陣の真っ只中に若い日本兵士たちが飛び降りたのです。オランダ軍の重要拠点である飛行場や製油所を陥落させるための作戦で、その中には小隊長である私の父・奥本實(当時陸軍中尉)の姿もありました。

父は降下後、鬱蒼としたジャングルに放り出されたものの、偶然にも市街地と飛行場を結ぶ一本道路に出ることができました。また、早い段階で集結できた4人の隊員とともに、ジャングルの茂みに身を隠す、道の起伏を巧みに利用して奇襲攻撃を仕掛ける、といった作戦で、約30倍もの敵兵を掃討。これによって敵の兵力は分断され、飛行場を無傷のまま占拠することに成功しています。

落下傘部隊はドイツやアメリカ、イタリア、ロシアなどでも採用されていますが、無防備のまま地上から狙い撃ちされる極めて危険な戦闘方法であり、実際、外国では5~6割の死者を出しています。父の落下傘にも敵弾による穴が空いたそうですが、それでも日本兵の戦死者は1割ほど。まさに奇跡という他ない大戦果を挙げたのです。

私が「大戦果」という表現をしたのは、パレンバンの戦いが大東亜戦争における重要な位置づけを占めていたからに他なりません。開戦前、欧米列強による経済封鎖により石油をはじめとする多くの資源が不足し、それが戦端を開く要因となったことは誰もが知るとおりです。決死の奇襲作戦により、約24時間でパレンバンの飛行場、製油所を制圧し、約300万トン(当時の日本の年間消費量の6割)の石油を確保したことで、大東亜戦争が戦えたと言っても過言ではありません。

この戦功により、父は翌昭和18年、昭和天皇に単独拝謁を賜わりました。最前線部隊の小隊長である21歳の中尉が陛下に拝謁するなど、まさに異例中の異例というべき出来事でした。

ところで、12世紀前半、東ジャワのジョヨボヨ王が書き残した『バラタユダ』という民族叙情詩にこのような一節があります。

「我らが王国は、白い人々に支配される。彼らは離れたところから攻撃する魔法の杖を持っている。この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人々がやってきて、白い人を駆逐する」

350年間にわたってオランダの過酷な支配を受け続けてきたインドネシアの人たちは、落下傘部隊とこの詩を重ね合わせ、日本人兵士を「空の神兵」と称えたのです。大東亜戦争が欧米列強からの植民地解放の戦いだったことを考えると、日本人であれば2月14日は「パレンバンデー」と称すべきではないかと私は思います。

戦争という時代を命懸けで生き抜いた父でしたが、戦後になると社会の風潮は一変。元軍人は社会から厄介者扱いされる存在になり、それまで英雄だった父も、薬剤師だった母と大阪で小さな薬局を開業。社会の荒波と向き合いながら3人の子供を育てました。

戦争で生き長らえたことへの申し訳なさを胸に抱いていたためか、薬局の仕事は母に任せ、自らは慰霊のための活動を続けていました。戦友のご遺族を訪ね歩き、また寄付を集めて慰霊碑を建立することに精力を注いでいました。私が子供の頃に見ていたのは、そんなことに東奔西走する父の姿でした。

いまでも忘れられない思い出があります。祝祭日に玄関に国旗を掲げるのが、長男である私の大切な役目でした。ある日、それを失念していた私は、父から強いビンタを食らったのです。教育熱心というわけではありませんでしたが、殊国への忠誠心や公徳心については妥協を許さない一面がありました。

近所で火災が起きた時など、真っ先に駆けつけて消火活動に当たっていた父の姿も、懐かしく思い出されます。また、そういう父の後ろ姿から犠牲的精神というものを教えられたように思います。

家族に戦争を語ることはほとんどなかった寡黙な父でしたが、時折、「日本の戦争は間違いではなかった」「戦勝国が敗戦国を裁くなど、とんでもないことだ」「戦争は絶対に繰り返してはいけないが、国を守るには軍隊が必要だ」と断片的に口にしていました。

父は平成23年、90歳の長寿を全うしました。筆まめな父は、夥しい量の手記を遺していました。いまだにすべてを読めてはいませんが、その一部であるパレンバン戦闘記録だけは、多くの支援者のおかげで書籍にすることができました。多くの方に当時の若者の勇気と気概を感じていただければと思っています。また父の真の思いを知ったのは父が逝ってからであり、父の思いを受け継ぐのが自分の役割だと感じています。

正しい歴史を後世の人たちに伝えること、国難に殉じた英霊を手厚く慰霊すること。父のこの願いを果たすために、私は現在、講演会や慰霊の旅などの活動を行っています。まだ緒に就いたばかりですが、ささやかな活動であったとしても、日本人が自国に対する誇りを取り戻すきっかけになれば、命を賭して戦った父祖たちの思いに応えることができると信じています。


((本記事は『致知』2018年6月号「致知随想」より一部抜粋・編集したものです)


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◇奥本康大(おくもと・こうだい)=「空の神兵」顕彰会会長

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