「一言半句、悪口が見当たらない」渋沢栄一を貫く無私の精神——渡部昇一×谷沢永一

「日本の資本主義の父」「日本の株式会社の祖」と称される渋沢栄一。500社を超える株式会社の創設に携わり、日本の近代経済の確立と興隆に比類のない貢献をした渋沢ですが、その事業経営の根底には「私利を追わず公益を図る」という信念がありました。渡部昇一氏と谷沢永一氏、お二人の貴重な過去の対談から偉人の人格を読み解きます。
(対談の内容は2003年当時のものです)
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決定的転機となった西欧視察

〈渡部〉
私はね、当時の農民の上層部が積んでいた修養、倫理観というものを見直す必要があると思うんですよ。渋沢の生家は農産をやっていたから、その売買を通して金銭の感覚が身についている。また、当時の上層農民は四書五経の文句がすらすらと出てくるほど修養を積んでいた。この二つが結びついて、渋沢の土台になっていたのだと思います。 

〈谷沢〉
1867年、元号でいえば慶応3年にパリ万国博覧会が開かれます。幕府は慶喜の弟の徳川昭武を特使に使節団を派遣し、渋沢は随行した。これは決定的だったと言えるでしょう。

 〈渡部〉
決定的でしたね。いまはヨーロッパに言っても、さしたる感激はありませんが、当時のヨーロッパと日本の格差は想像を絶するほど圧倒的でしたからね。それだけに、日本が行く道はこれだ、ということが渋沢にははっきり見えたんでしょう。 

〈谷沢〉
渋沢はヨーロッパを回って、資本主義経済、具体的には株式会社というものを勉強する。これからの日本に必要なものはこれだ、と痛感する。

 〈渡部〉
ところが、ヨーロッパにいるうちに幕府が倒れてしまうんですね。

 〈谷沢〉
渋沢はもっと滞在して勉強したかったでしょうが、幕府が倒れては仕方がない。翌年に帰国して、慶喜や幕臣が引きこもっていた駿河に行き、そこで株式会社を始めるんです。

岩崎弥太郎との隅田川での会談

〈渡部〉
そして渋沢は明治政府に入る。

〈谷沢〉 
そこが明治政府のすごいところですよ。使える人材がいるとなると、敵だった幕臣でも呼び出して政府に入れるんですから。渋沢は大蔵省で、いまで言えば次官でしょうね、大蔵大丞になった井上馨を補佐する。だが、官吏がいやでしようがない。辞表を何度も出しては井上馨に引き留められる。

それでも渋沢がどうしても我慢できなかったのは、大久保利通のばかさ加減(『青淵先生六十年史』第一巻439頁に記述)です。これに耐えられなくなって、明治6年に辞めます。それからですね、渋沢の本領が発揮されるのは。 

〈渡部〉 
渋沢が下野したのは、上層農民の出であるメンタリティーが作用していると思うのです。彼は江戸時代までは年貢を納める側だったわけですね。ところが、年貢を納める農民がペコペコして、年貢を取り立てる代官はダメなやつなのに威張り返っている。そのことへの怒りが彼を尊王攘夷に駆り立てたひとつの動機だったわけでしょう。

だが、幕府が倒れて明治政府になっても、この構図は変わらない。相変わらず税金を納める民間の側がペコペコして、税金を取る官の側が威張っている。このことへの居心地の悪さが渋沢には根本的にあったのだと思いますよ。(中略)

〈谷沢〉 
それから、私は明治期の人物批評の本を読み尽くしたつもりなのですが、渋沢の悪口は一言半句も見当たりませんね。渋沢はヨーロッパを見て、日本の近代化に必要な事業は何かというポイントがよく分かっていた。国家が必要とする事業をやるのだから、成功しないはずがない。次々と事業を起こして成功させる。だが、それで儲けようとはしない。まったく欲がないんですね。 

〈渡部〉 
渋沢が手掛ければ事業は成功するんだから、こんな心強い存在はない。だから、みんなが渋沢に株を持ってもらおうとする。何しろ日本における株式会社の祖ですから。

〈谷沢〉 
株を持つことは持ったんです。だが、必ず1割までなんです。それ以上持って株で支配するようなことは考えない。だが渋沢が関係すると全部成功するんだから、誰もが渋沢とつながっていたい。その信頼感は絶大でした。

渋沢が約束手形を振り出すと、なかなか戻ってこないんですね。渋沢の約束手形を受け取った側は、それをみんなに見せて回るんですよ。あの渋沢が約束手形を振り出した相手だというので、信用がついたというわけです()。(中略)

 渋沢栄一の事業に対する姿勢を如実に示すのは、三菱の岩崎弥太郎との逸話でしょう。明治10年です。隅田川に屋形船を浮かべて岩崎が渋沢を招待し、二人が手を組めば儲けは思いのまま、日本の経済を牛耳ることができる、一緒にやろうと口説くんですね。

だが渋沢は、あなたは儲けのために事業をやっているのだから、あなたのやり方で儲ければいい、だが、自分は金儲けでやっているのではない、国民が豊かになって国が富むようになるために仕事をしているのだ、と応じなかった。岩崎は、きれい事を言うな、一緒にやって儲けようやと迫るが、渋沢はどうしてもうなずかない。岩崎は卓を叩いて悔しがったといいます。

〈渡部〉 
国民を豊かにし、国を富ませるために仕事をするという渋沢のあり方は、決して口先だけではない。渋沢は財閥をつくろうと思えば、いくらでもつくれました。だが、つくらなかった。その私欲のなさはどこからきたのか。いま、日本人が学ばなければならないのは、そこだと思いますね。(後略)


(本記事は月刊『致知』2003年11月号特集「仕事と人生」より一部抜粋・編集したものです)

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◇渡部昇一(わたなべ・しょういち)
昭和5年山形県生まれ。30年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。平成13年から上智大学名誉教授。著書は専門書の他に『伊藤仁斎「童子問」に学ぶ』『日本の活力を取り戻す発想』『歴史の遺訓に学ぶ』『〈渡部〉昇一一日一言』など多数(いずれも致知出版社)。平成29年逝去。 

◇谷沢永一(たにざわ・えいいち)
昭和4年大阪府生まれ。32年関西大学大学院博士課程修了。関西大学文学部教授を経て、平成3年より同大学名誉教授。文学博士。著書に『回想 開高健』『反日的日本人の思想』『人間通』など多数。平成23年逝去。

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