真言宗の開祖・弘法大師空海の名言に見る人生観

804年に唐代の中国へ渡り、帰国後は高野山に金剛峰寺を建立して真言密教の普及に努めた弘法大師・空海。日本史上稀に見る書の名手「三筆」の一人に数えられ、近年では作家・夢枕獏氏の小説をベースにその苦闘が日中合作で映画化されています。それに反し、空海の人となりはあまり知らないという方も多いでしょう。高野山真言宗管長を務めた松永有慶さんに、その人生観が現れた言葉を紹介していただきました。対談のお相手は東洋大学学長(当時)の竹村牧男さんです。

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君たちが道を実践するかどうか

〈松長〉
帰国後の弘法大師の歩みについて触れておきますと、文芸をとおして交流があった嵯峨天皇の命で朝廷に出入りする一方、山に籠もって行をするという全く違った一面を持っておられたことが一つの特徴でしょうね。

天皇の命を受けても山から下りてこなかったことがあったらしく、約束を反故にしたことを天皇に詫びる書簡も残されています。

〈竹村〉
権力に染まらないところがいいですね。どこかの政治家とは全く違います(笑)。

しかも、弘法大師はただ山に籠もるだけではなく、一方で社会事業にも大変力を尽くされています。讃岐(さぬき)国の満濃池(まんのういけ)の工事を監督したり、橋を架けたり、それから綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という一般の子弟を対象にした私立学校も建てられている。

〈松長〉
それまでにも、和気氏や橘氏といった有力氏族による私立学校はありました。ただ、それは一族の子弟以外には入門が許されませんでした。弘法大師は、万民が入れる初の学校をつくられたわけです。

創設に当たって弘法大師がしたためた建学の精神の中に、

「物の荒廃は必ず人に由り、人の昇沈は定めて道に在り」

とあります。世の中をよくするのも悪くするのも君たちなんだ。世の中をよくするのは君たちが道を実践するかどうかなんだと。実にいい言葉ですね。

優れた医者の目には雑草ですら薬草に映る

〈竹村〉
弘法大師はいろいろな素晴らしい言葉を残されています。これもまた味わい深いものがありますね。

〈松長〉
ええ。私自身は大師がまだ唐に渡る前、修行をしながら大変悩んでいる時におっしゃった次の言葉が好きで、ずっと励みにしてまいりました。

「還源(げんげん)を思いとす。経路未(いま)だ知らず。岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く。精誠(せいせい)感ありて此の秘門を得たり」

還源とは宇宙的ないのちの源に還ることです。真理の源を求めて修行に励むけれども、そこに行く道が分からない。そのために幾度泣いたことだろう、というまさに血を吐くような求道のお気持ちが表現されています。そして真心をもって精進される中で、大師はその秘門に辿り着かれるわけです。

もう一つ挙げると、

「虚空(こくう)尽き、衆生尽き、涅槃(ねはん)尽きなば、我が願いも尽きん」

宇宙が尽き、衆生の悩みや苦しみがなくなり、究極の涅槃の境地すら尽きた時、初めて私の願いも尽きる、という意味で、「自分はいつまでも生き続けて人々の救済に当たる」という弘法大師の利他行、菩薩行の覚悟が凝縮されているような言葉です。いまも続く弘法大師信仰の原点もここにあるといえるでしょうね。

〈竹村〉
弘法大師が残された素晴らしい美文という意味では、やはり、

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」

という言葉を外すわけにはいかないと思います。どこから来てどこに行くのか分からないまま、闇夜の中をただ彷徨っている我われの姿がよく表現されているのではないでしょうか。

それから、

「仏法遙かに非ず。心中にして即ち近し」

もいい言葉です。仏法は外に求めるのではなく、自分の心の中にこそ求めるべきである、と。つまりどこか遠いところに目標を置いて歩むのではなく、いまここで本来の自己を自覚するところに仏法がある、とおっしゃっているわけですね。

『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』の文章でいえば、

「刹塵(せつじん)の渤駄(ぼつだ)はわが心の仏なり 海滴の金蓮はまたわが身なり」

をぜひ挙げたいと思います。国土を塵に擂(す)り潰したくらいの莫大な数の仏様が自分の心の中にいらっしゃる。海をしずくにしたほどの無数の諸尊が私自身である。

ということは、諸仏諸尊がそのまま自己である。そして、その自己はあらゆるいのちとの繋がりの中で生かされていて、その交響の中でその人のいのちも輝いている、ということなのでしょうね。

〈松長〉
そういえば、あらゆるものに価値を見出して、それを生かそうとする弘法大師の思想を説明するのにとても分かりやすい言葉があります。

「医王の目には途に触れてみな薬なり、解宝の人は鉱石を宝と見る」

優れた医者の目で見れば、道端の雑草も薬草と映り、宝石が分かる人は、ただの石ころに見えるものにも宝石を見出す。世の中に無駄なものは一つもない。弘法大師はまさにそういうお方だったのだと思います。


(本記事は月刊『致知』2016年10月号 特集「人生の要訣」より一部抜粋・編集したものです)

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◇松長有慶(まつなが・ゆうけい)
昭和4年年和歌山県生まれ。高野山大学密教学科卒業。東北大学大学院文学研究科インド学仏教史学専攻博士課程修了。高野山大学教授、学長、密教文化研究所長、高野山金剛峯寺第四一二世座主、高野山真言宗管長、全日本仏教会会長などを歴任。主な著書に『祈り』『空海 般若心経の秘密を読み解く』(ともに春秋社)『密教』『高野山』(ともに岩波新書)など多数。

◇竹村牧男(たけむら・まきお)
昭和23年東京都生まれ。東京大学卒業後、文化庁専門職員、三重大学助教授、筑波大学教授、東洋大学教授を経て、平成21年より東洋大学学長。専攻は仏教学・宗教哲学。著書に『日本仏教思想のあゆみ』『入門 哲学としての仏教』(ともに講談社)『〈宗教〉の核心』(春秋社)など多数。

◇空海(くうかい)
774~835年。讚岐国で生まれる。804年入唐、翌々年帰朝。高野山に金剛峯寺を建立し、東寺(教王護国寺)を真言道場とした。また、京都に綜芸種智院を開いた。『三教指帰』『十住心論』『文鏡秘府論』『篆隷万象名義』『性霊集』などの著書がある。

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