増田明美の選手時代を支えた歴史小説『宮本武蔵』

選手の「顔」が見えるマラソン解説で高い支持を集めるスポーツジャーナリスト・増田明美さん。かつては自身も日の丸を背負い五輪の檜舞台に立ったものの、無念の途中リタイア。自殺を考えるほどの苦悩から立ち直り、再び走り始めた20代を振り返って、苦しい時期を支えた言葉を教えていただきました。

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涙の分だけ強くなる

「増田、俺と一緒に富士山のてっぺんに登ろう」

走ることに明け暮れた私の20代は、恩師・滝田詔生先生のこの言葉から始まりました。

中学時代にはテニス部との掛け持ちで陸上部に所属していましたが、教職志望の私は高校で陸上競技を続けるつもりはありませんでした。ところが、800メートル走で全国4位に入賞した私の走りが、千葉の成田高校陸上部で黄金時代を築いていた滝田先生の目に留まり、スカウトに来られたのです。情熱の塊のような先生の言葉にほだされ、私は先生のご自宅に下宿して本格的に陸上競技に取り組むことになりました。

滝田先生のご指導の下、様々なトレーニングに打ち込むと共に、男女が一緒に競り合いながら練習する環境のおかげで私の実力は大きく開花。当時の日本記録を次々と塗り替え、天才少女と言われました。当時、私が5,000メートルで記録した1538秒というタイムは、いまの時代でも十分通用します。

けれども順調な時ばかりではありませんでした。1年生でインターハイに出場した後、酷い貧血に悩まされるようになり、滝田先生からマネジャーに回るよう言われたことに腹を立て、部を辞めてしまったのです。先生の家に下宿までして陸上に打ち込んでいただけに、自分が惨めで仕方なく、学校や電車で友達を見かける度にこそこそと身を隠したものです。

幸い体調は回復し、滝田先生から声を掛けていただいて無事復帰を果たすことができましたが、その間に他の部員との間に大きな差がついてしまいました。私はこの差を埋めるため、毎日練習でくたくたになった後も一人教室に戻って筋力トレーニングを行い、アップダウンのきつい成田の1.5キロの参道を、ストップウォッチを片手に全力疾走して帰宅しました。それは部の練習をも上回るハードなトレーニングでした。

当時の練習日誌を開くと「いまに見ていろ」と繰り返し綴ってあります。それは、私を選手から外そうとした滝田先生を見返してやりたいという、心の底から迸る激情を伴った言葉でした。悔しくて、不甲斐なくて、涙をこぼした体験が自分の気持ちを強くしてくれる。そのことを、私は初めての挫折を通じて身をもって実感しました。

滝田先生には、歴史書を読め、歴史書を読めば心が骨太になると教えられました。そこで私は、練習の合間に吉川英治の『宮本武蔵』や『三国志』、山岡荘八の『徳川家康』といった作品を繰り返し読みました。

「あれになろう、これに成ろうと焦心(あせ)るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」

ライバル選手が気になって仕方なかった時期、武蔵が弟子の伊織に説いたこの言葉にどれほど救われたことでしょう。

また、せっかちですぐによい結果を求める私に先生が掛けてくださった、「焦らずに、一歩一歩着実に」という言葉は、いまも心の支えになっています。


◆増田明美さんが『致知』に贈るメッセージ◆

物事に挑戦する時はハッピーなエネルギーを持って臨むことが大切です。オリンピックでメダルを取る人は皆、大舞台を楽しんでいます。やるだけのことはやったと納得できる努力を重ねたからこそ、あとは楽しもうという境地で本番に臨めるのです。

同じ意味合いの「知好楽」という言葉を、私は後に『致知』で教わりました。「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」。この『論語』の言葉は、いまでは私の大切な座右の銘になっています。失敗してなお前に進む力を与えてくれるのが読書から得られる教養です。そして「知好楽」という言葉を教えてくれた『致知』こそは、私の〝父〟なのです。


(本記事は月刊『致知』2021年1月号連載「二十代をどう生きるか」から一部抜粋・編集したものです)

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◇増田明美(ますだ・あけみ)
昭和39年千葉県生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立。59年のロス五輪に出場。平成4年に引退するまでの13年間に日本最高記録12回、世界最高記録2回更新という記録を残す。現在はスポーツジャーナリストとして執筆活動、マラソン中継の解説に携わるほか、ナレーションなどでも活躍中。著書に『カゼヲキル』(講談社)『認めて励ます人生案内』(日本評論社)など。

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