「感謝の走り」をしよう。東洋大を初の箱根総合優勝に導いた、佐藤尚コーチが説く〝魂〟

言わずと知れた大学駅伝の強豪・東洋大学。正月の風物詩である箱根駅伝は2021年で97回を数えますが、実にその大半に出場してきていることからも強さは明らかでしょう。しかし、初の総合優勝を掴んだのは2009年。それまでは辛くも2位以下に甘んじる苦しい時期が続いていました。同部は翌年2連覇を果たしますが、まさにその時期に着任し、選手たちの心を鼓舞したのが、佐藤尚(ひさし)スカウト兼コーチです。佐藤さんはメンバーに何を伝えていたのか。その思いに迫りました。

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初王座獲得、その瞬間

〈佐藤〉
ゴール後、出場した選手を含め、その場にいた部員全員が、コースに向かって一礼した――。そのことを優勝記者会見で記者の方に聞かされた時、胸がいっぱいになる思いでした。

優勝したことはもちろん嬉しかった。しかし、選手たちの行動はそれ以上の感激であり、いままでこの仕事をやってきてよかった、と思わせてくれるものでした。

私が現在、スカウト兼コーチを務める東洋大学陸上競技部は、平成21年1月3日、第85回箱根駅伝で総合優勝を果たしました。67度目の出場で、初となる王座獲得です。そして今年の箱根駅伝でも、2年連続の総合優勝を果たすことができました。

しかし昨年の箱根駅伝は、選手たちにとって、いつもの箱根ではありませんでした。その前年の12月、部員が不祥事を起こしたことにより、練習を自粛し、試合に出場できるかどうかさえ分からない状況だったのです。川島伸次監督も引責辞任。箱根駅伝を目指し、努力を積み重ねてきた選手たちにとって、辛い日々だったでしょう。

どんな選手を選んだか

選手たちは、決して高校時代から注目されていたエリートではありませんでした。部員の大半は、私がスカウトしてきた学生ですが、採用基準として、よい記録を出している高校生を選ぶということはしません。記録は参考程度にとどめ、それよりも、直接会って話をし、何か通じるものがある、と感じた選手を採るのです。

これだ、と感じる部分は一人ひとり異なりますが、記録はそれほどでなくても、チームのカラーに合っていて、いつか花開くだろうという選手を選びます。

高校時代に試合で悔しい思いを経験して、大学に入れば、という気概に燃えている子は成長が見込めます。また、普段の練習にどんな姿勢で取り組んでいるのか、どのようなチームの中で活動しているのかも判断の基準に入れます。

そういった無名の学生を集め、埼玉県川越市の合宿所で共同生活をし、毎朝5時15分にはグラウンドに集まって練習を始めます。私もその時間には必ずグラウンドにいます。大半の部員が授業を受けているキャンパスは、東京の白山にあり、川越から一時間半近くかかります。

朝が早いのは、一限目の授業に間に合わせるためなのですが、このような厳しい生活のリズムの中で練習するからこそ、余計なことを考えず、目的に邁進することができるのです。そして、よい結果にも繋がるのだと思います。逆に生活のリズムを崩した毎日を送ると、挫折するケースが多いのです。

選手たちは、このように練習と勉学を両立させつつ、箱根駅伝での優勝を合言葉に精進してきました。ですから、それが無になるかもしれないという状況になった時、選手たちのショックは如何ほどのものだったでしょう。

感謝の気持ちを忘れてはいけない

しかしありがたいことに、関東学生陸上競技連盟から「出場制限しない」との裁定が下りました。そして、私が急遽、監督代行に就任したのです。練習らしい練習ができたのはほんの10日間程度でした。しかし、私自身が焦っては選手にもそれが伝わってしまうため、焦らずにとにかく、やれる範囲で頑張ろうと思いました。

そして、それまでの私たちの合言葉だった「優勝」は一切口にせず、代わりとなったのが「感謝の走りをしよう」でした。

私は日頃から部員たちに「いま、ここにこうしていられるのは、学校だけでなく、世間の皆さんや卒業生たちのおかげなのだから、感謝の気持ちを忘れてはいけない」と話してきました。

また、出場が認められてからは、「不祥事があったにもかかわらず、出場させていただけるのは、皆さんの温かい気持ちによるものであり、それに対して感謝しなければならない」と言い続けました。

優勝時の選手へのインタビューの時、選手の口から「感謝の気持ち」という言葉が自然に出ました。それを聞いて私は、チームが一つになって、感謝の走りをしたのだと実感しました。

また、レース中の優勝がほぼ決まった状況の時、主将から胴上げの相談がありました。私は、それはしないようにと指示し、後は自分たちで考えなさいと言いました。

その結果が、冒頭で述べたゴール後の一礼でした。あの行為は選手たちの感謝の気持ちの表れなのです。しかも、走った選手だけでなく、その場にいた全員が一礼したということは、「感謝の気持ち」が全体に浸透したということでもあります。

私は試合に勝った、とは思っていません。出場させていただき、勝たせていただいた、と感じています。選手たちも同様でしょう。彼らと一緒にやれたことで、私は選手たちにも感謝しています。

今年(掲載当時)の箱根駅伝で指揮を執った酒井俊幸監督も、もともとは私がスカウトしてきた教え子です。昨春、彼が監督に就任すると同時に、私はまたスカウト兼コーチに戻りました。

昨年とは異なり、今年は酒井監督と私の2人ともに胴上げをしてもらい、選手たちは2年分の喜びを体中で表現していました。しかし決して慢心することなく、「感謝の気持ちを持って走らなければいけない」という思いが、部の中に受け継がれていけば幸いです。そのためにも、私はコーチとして、これからも監督と選手たちをバックアップしていきたいと思っています。

(さとう・ひさし=東洋大学陸上競技部スカウト兼コーチ)


(本記事は『致知』2010年3月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです)

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