いまこそ「国家百年の計」! 松下政経塾で学んだ、日本が今世紀に大事にすべき2つのもの

日本の政治には、国家百年の計がない――この強い危機感のもと、1979年に松下幸之助が立ち上げた松下政経塾。既に功成り名遂げた経営の神様が、この塾に込めた思いとはいかなるものだったのか。なぜ日本の政治は変わらないのか。松下政経塾塾頭として運営に尽力した上甲晃氏と、草創期の塾生として直に薫陶を受けた逢沢一郎氏、野田佳彦氏、山田宏氏に、当時の思い出を交えながら、日本の未来を語っていただきました。

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「日本の将来を考えたら、心配で夜も眠れんのや」

〈上甲〉
塾主が政経塾のお茶室に泊まった翌朝、目が真っ赤になっているのを心配して塾生が声を掛けたら、

「日本の将来を考えたら、心配で夜も眠れんのや」

と答えたそうですね。そのやむにやまれぬ思いというのが政経塾を立ち上げた原点じゃないかなと思うんですが、塾主のそうした思いを皆さんはどう受け止めていますか。

〈野田〉
そのお話は、その場に居合わせた塾生から直接聞いて、皆で共有しておりましたけれども、幸之助さんがものすごい危機感を持っていらっしゃったことは、我われもやっぱり感じていました。

幸之助さんはその頃、毎朝ラジオ体操みたいなことをやられていましてね。もう体も老いて首なんかほとんど動いていませんでしたけど、それでも体調維持に一所懸命だったのは、やっぱり危機の予兆をものすごく感じていらっしゃったんだろうし、塾生が育っていくのを見定めたいという気持ちが非常に強くあったと思います。

〈逢沢〉
今年(掲載当時)の2月に、幸之助さんが構えられた京都の真々庵(しんしんあん)に行ってきました。幸之助さんは生前、そこに設けた根源の社(やしろ)の前でいつも手を合わせておられたそうですね。よい社会をつくっていくために、この世を動かしている大きな力に素直な心で向き合い、とことんピュアな気持ちになる時間を大事にしておられたと。

その思いが一つの形になったのが政経塾だとすれば、我われはその思いに一歩でも半歩でも近づき、努力をしなければなりませんね。先ほど上甲さんがおっしゃったように、一期生、二期生、三期生は、おそらく松下電器の取締役よりも頻繁に幸之助さんに会う機会があったろうと思います。

私は一度、風呂上がりにパンツ一丁で体操をなさっている幸之助さんを拝見しましたけど、背中には膏薬が何枚も貼ってありましてね。自分が85になった時に、リスクを取ってあそこまでのことをやれるだろうかと、本当にその凄まじいまでの執念を感じたものです。

〈上甲〉
それだけのエネルギーを直接受けたあなた方には、塾主の思いを体して日本を引っ張っていく責任があると私は思うんです。塾主が抱いていた危機感について、山田さんはどのように受け止めていますか。

〈山田〉
幸之助さんは経営のご苦労を積み重ねる中で、従業員の幸せ、家族の幸せ、取引先の繁栄を考え、それを育む日本はこの先大丈夫やろうかという思いに発展していかれたんだろうと思います。

私は杉並区長時代に、10年で借金をほぼゼロにし、また借金返済に回していた100億円を積み立てて、将来減税の財源にするという、幸之助さんが提唱されていた無税国家論の自治体版の実現に尽力したわけですが、一所懸命そういうことをやっていると、国はいったい何をやっているのかと、だんだん強い憤りが生じてくるんですよね。

幸之助さんはもっとレベルの高い、我われには考えも及ばないところまで見据えておられたでしょうから、それが強い危機感に繋がっていたのだと思います。

なぜ日本の政治は変わらないのか

〈上甲〉
私はそういう危機に対応する政治の力が、これまでと比べてもかなり劣化している気がしてならないんです。

端的に言えば、日本の政治の現状はひどい。己のために計る人は多いが、天下のために計る人がいない。皆さんは政治の内側で、この状況をどう受け止めていますか。

〈野田〉
いまの危機は明らかにリアリティがあるんですね。

ギリシャが信用不安に陥った時に一番困ったのが、医療サービスを受けている人たちでした。突然従来の治療が受けられなくなったんです。何らかのクラッシュが起きた時に一番しわ寄せが及ぶのは、そうした一番弱い人たちなんです。

国民に嘘をつかないでそういう現実をきっちりと説明し、危機感を共有してもらうところから始めないといけないと思います。

〈上甲〉
国会議員の間に、そういう危機感、気運というのは多少なりともあるんですか。

〈野田〉
もちろん問題意識を持っている議員はいますが、ほとんど絶滅危惧種に近いですね。例えば財政の立て直しは喫緊の課題で、特に消費増税はオールジャパンで取り組むべきだと私は訴えてきましたが、そういう議論はなかなか盛り上がっていかない。

〈逢沢〉
自己反省も含めて言えば、まず政権を担う自民党がしっかりしなきゃいけないですね。

当選3回以下の新しい議員は、安倍さんの人気で当選させてもらったという気分が強くて思い切った発言ができない。当選回数が上のほうは、党が混乱した時に、後ろから鉄砲弾が飛んでくるみたいに総理批判、執行部批判をする。もっと党全体から建設的な、新しいエネルギーが生まれてこなければいけないと痛感しますね。

野田さんがいらっしゃる前でちょっと言いにくいけれども、いまは政権交代の心配はないという緩み、驕(おご)りに陥りがちです。やっぱり野党の皆さんにも努力していただいて、うかうかしていたら野党に転落だという緊張感がないと、本当の意味で真剣な政治状況というのは生まれにくいと思うんです。

〈山田〉
昔の政治家と比べれば、いまの政治家はレベルは高いと思うんですね。昔のハマコー(故・浜田幸一代議士)のような乱暴者もいないし、スマートって言えばスマートなんですけど、官僚的と言えば官僚的で、大きな構想を持つ人がなかなか出にくくなっている。全体的に同じ魚の群れになってしまっていると思います。

〈上甲〉
なるほど、同じ魚の群れか。

〈山田〉
いまは政治に異物が入りにくいんですよ。

私は大学の時に父親が交通事故に遭い、学費を稼ぐために毎朝3時から京都中央卸売市場で働いていたことがありましてね。トラックで生け簀の魚を運ぶのを見ていると、必ずアジの群れの中にウナギとか別の魚が入っているんですよ。不思議に思って聞いてみたら、異物を入れると緊張して鮮度が保たれるっていうんです。

やっぱりこういう知恵が大事で、政治家も異物が入りやすい制度にしないと活性化はしないだろうと思うんです。

  〔中略〕

〈野田〉
私が総理の時にやりたかったのは、太平洋憲章をつくることでした。日本はこれからのアジア太平洋の平和と繁栄に向けたルールづくりを主導していくべきだと考えて、日米の共同ビジョンをつくるところで政権が終わってしまったんですけど、その具体例の一つがTPPだったんです。

そこでは中国というリスクがありますから、アメリカを巻き込んで牽制していく。これは外交戦略的に今後も追求していかなければいけないテーマだと思います。

それから私は、日本には今世紀に大事にすべきものが2つあって、それさえ守っていれば、中国が伸びてこようが、アメリカがいろいろ言ってこようが、耐え得る力はあると思うんです。

〈上甲〉
その2つとは何ですか。

〈野田〉
一つは中小企業の力です。100年企業、200年企業といった老舗企業は世界でも圧倒的に日本が多いですよね。大きな飢饉とか自然災害、戦争といった様々な危機を乗り越えて生き抜いてきた老舗企業の知恵と経験はとても貴重で、これを生かした政策を考えていくことが有効だと私は思います。

もう一つは皇室を大切にすることです。東日本大震災の時には、天皇皇后両陛下が被災地に何度も足を運ばれました。

両陛下が赴かれると、誰もが胸のうちに秘めている悲しい思いを吐き出すんですよ。孫が目の前で流されたとか。そういう気持ちを受け止めてくださる方がいらっしゃるありがたさを、私はあの時強く感じました。他の国にはないこの希有(けう)な存在をもとに、誇るべき日本をつくっていくべきだと思います。


(本記事は『致知』2019年1月号 特集「国家百年の計」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇上甲 晃(じょうこう・あきら)
昭和16年大阪市生まれ。40年京都大学卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、青年塾を創設。著書多数。近著に『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』(致知出版社)がある。

◇山田 宏(やまだ・ひろし)
昭和33年東京都生まれ。56年京都大学法学部卒業。松下政経塾に入塾。60年東京都議会議員に史上最年少で当選。平成5年日本新党に入党。衆議院選挙で初当選。6年新進党結党に参加。11年杉並区長。22年日本創新党党首。24年衆議院選挙に日本維新の会より出馬し当選。26年次世代の党幹事長。28年参議院選挙に自民党公認で出馬し当選。著書に『政治こそ経営だ』(日経BP社)など。

◇逢沢一郎(あいさわ・いちろう)
昭和29年岡山県生まれ。54年慶應義塾大学工学部卒業。55年松下政経塾に入塾。61年岡山1区より衆議院議員初当選。以後11期連続当選。平成4年宮澤改造内閣で通商産業政務次官。その後外務副大臣等を歴任し、現在は衆議院政治倫理審査会長、自民党選挙制度調査会長。共著に『21世紀・日本の繁栄譜』(PHP研究所)などがある。

◇野田佳彦(のだ・よしひこ)
昭和32年千葉県生まれ。55年早稲田大学政経学部卒業。松下政経塾に入塾。62年千葉県議会議員に無所属で立候補し当選。平成5年千葉4区より衆議院選挙初当選。22年財務大臣。23年第95代内閣総理大臣。24年内閣総辞職。28年民進党幹事長。29年衆議院選挙に無所属で出馬し当選。著書に『民主の敵―政権交代に大義あり』(新潮社)。

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