400人以上を看取ってきた訪問診療医・小堀鷗一郎さんが語る〝よりよい最期〟との向き合い方

誰の人生にも必ず訪れる最期の日。その日々をどう生き、いかに終えるか――。多くの人が自宅での最期を望みながら、実際には7割を超える人が病院で亡くなっているのがいまの日本です。外科医として長年第一線で活躍し、定年を迎えた後、訪問診療医としていままで400人以上の看取りにかかわってきた小堀鷗一郎さんに、患者さん一人ひとりの人生と向き合う訪問診療医としての想い、そしてよりよく生き、よりよい最期を迎えるための姿勢をお話しいただきました。

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外科医として歩んだ40年間

〈小堀〉
外科医として長らくメスを握ってきた私が、定年を過ぎ在宅医療という未知の分野に足を踏み入れて早15年。訪問診療医となって、2005年からご自宅や病室で400人以上を看取ってきました。

現在、埼玉県新座市にある堀ノ内病院に勤務し、担当している患者さんは30人ほど。近隣にお住まいで、当院や他の施設で一定の治療を終えた方を、主に担当医や元の入院先から依頼を受けて訪問しています。通常は月に1回、余命僅かな方の場合は週に2度3度とご自宅で診察を行い、家族と共に患者さんの最期に寄り添っていきます。

ただ、その中でも本人も家族も納得のいく死を迎えられるケースはごく稀です。ご主人と仲睦まじく暮らしてきた80代女性の例があります。

末期がんが進行した彼女に対し、私はご子息の理解を得て「家に帰って、夫婦の時間を過ごしては」と提案。すると彼女は「体がだるくて、主人のご飯もつくれません。元気になってから退院します」と答えました。やむなくその意向に従ったものの、数日後に息を引き取られました。

突然訪れたこの最期は、彼女の本意ではなかったでしょう。本人の意思に全面的に従うことが、必ずしも真に望む最期に繋がるとは限らない。訪問診療が、正解のない「負け戦」だと感じる所以です。

しかし、この医療を人の人生に深く関わる、価値ある仕事だと私は常々思っています。それは定年を迎えるまで40年、外科医療という別世界で手術に奔走していたことと無関係ではありません。

医者を志したのは中学3年の時です。天才的な頭脳の持ち主として尊敬を集めていた一人の級友に校庭へ呼び出され、滔々と諭されました。

「君は将来、何になるのか。自分は医者になる。医者ほど尊い仕事はない。君も医者になるべきだ」

その言葉が不思議と心に響き、私は医者になる決意を固めました。1965年に東大医学部を卒業、食道外科の専門医として東大附属病院に勤務し、手術に明け暮れました。

外科の世界では命を生かす「救命・根治・延命」が第一です。当時は手術で死をいかに防ぐかばかりを考え、重篤者には延命処置も辞しませんでした。患者さんの死は「敗北」に等しかったのです。

1993年に国立国際医療研究センターへ職場を移し、定年前の3年間は病院長を務めました。2003年に堀ノ内病院に来たのは、まだ現場で手術を続けたいという確固たる思いがあったからです。

死を怖れず、死にあこがれず

〈小堀〉
しかし、外科医として長年の経験はあったものの、退職する同僚からの引き継ぎで初めて訪問診療に立ち会った時は驚きました。そこには死にゆく人に寄り添い、残された時間をどう過ごすかを考える医療があったからです。自分はこれまで患者さんの命を救うことは頭にあっても、その人の人生を考えたことはなかったと気づかされました。

それからの私は、手術の合間に自ら車のハンドルを握り、徐々に多くのお宅へ出向くようになりました。そこでは外科で磨いた技は全く価値を持ちません。常に相手のことを慮り、時には単なる医療行為の範疇を超えて、一人の隣人、よき話し相手として向き合ってきたように思います。

実は、初めから在宅死を希望する方は少ないものです。たとえ患者さん本人が「家で死にたい」と希望を口にしても、家族の同意が得られない例はごまんとあります。けれども、死期が迫る患者さんのもとに何度も足を運び、家族と会話を重ねる中で、次第に在宅での死を受け入れられる方が増えていったのでした。

一度切除したがんが再発し、自宅療養を続けていたある男性患者さんから「酒が自由に飲みたい」と請われた際は、その場で飲酒を許可。彼が亡くなるまでの2か月は何度もお宅に通い、意気投合しました。その間一時的に食欲も回復し、ウイスキーを片手に穏やかな時を過ごしたことをいまも懐かしく思い出します。

これは特殊な一例ですが、このような関わり方を試みる中で、私は看取りの70%以上を在宅で行ってきました。

本人やその家族が死を受け入れる過程で最も大切なのは、医者との信頼関係です。病院の外来のような画一的な応対ではなく、私たちが一人ひとりに寄り添ってこそ、その土壌が生まれてくるのです。

患者さんにどう接すれば幸せな最期を迎えてもらえるか。その答えは一概に述べられません。されど「よく死ぬこと」とは畢竟、「よく生きること」にも通じると感じます。

かつて、東京六大学野球で5試合連続完封など未だ破られない大記録を打ち立てながら、ドラフト1位指名をあっさりと断り、一般企業へ進んだ投手がいました。思うに彼は一時的な名声や財産よりも、選手生命の終わりとその後の長い年月を見据え、別の道に人生を見出したのでしょう。このように人生を自分で決める、よく生きようとする姿勢が、よりよい最期に繋がるのだろうと思います。

私の祖父であり、陸軍軍医も務めた森鷗外の『妄想』という小説の末尾に、「死を怖れず、死にあこがれず」という言葉があります。齢80を越えた私の人生も、そう長くはないでしょう。願わくは、最期は訪問の帰り、車から降りた瞬間にパタッと斃れたい。それまでは死にゆく一人ひとりに心を寄せ、日々を共にしたいと思います。こうした医者と患者の関係、これこそが私の見果てぬ夢なのです。


(本記事は月刊『致知』2020年9月号 特集「人間を磨く」から一部抜粋・編集したものです)

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◇小堀鷗一郎(こぼり・おういちろう)
1938年、東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業。医学博士。東京大学医学部付属病院第一外科、国立国際医療研究センターに外科医として約40年間勤務。定年退職後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任、在宅診療に携わり、400人以上の看取りにかかわる。訪問診療医。母は小堀杏奴。祖父は森鷗外。

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