朝永振一郎、湯川秀樹……ノーベル物理学賞・小柴昌俊さんが語った師の「恩」

宇宙ニュートリノ検出に関する功績で平成14年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんがお亡くなりになりました。大正15年生まれの小柴さんは、3歳で小児麻痺を患いながらも大変な自助努力によってそれを克服し、見事東京大学に進学。そこで朝永振一郎さん(ノーベル物理学賞)や湯川秀樹さん(ノーベル物理学賞)と出逢い、学問に邁進されたといいます。生前の功績を称え、その交流の一端を垣間見れるお話をご紹介します。対談のお相手は、小柴さんと深い親交のあった世界的ピアニスト・遠山慶子さんです。

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ものの5分で大好きになった朝永先生

〈遠山〉
小柴先生はどういうきっかけで物理学の道を目指したのですか。

〈小柴〉
私は一高時代、物理の出来はあまりよくなかったんです。東大受験を翌年に控えた12月、寮の風呂に入っていたら、近くで風呂に入っていた物理の演習の先生の話を偶然耳にしましてね。その話というのが「小柴は物理の出来が悪い。どこに進むかは分からないが、物理でないことだけは確かだろう」という内容でした。

この一言は悔しかった。家計を支えるためにアルバイトをした時もそうだったけれども、私は人から馬鹿にされたと思うと、強く反発するんですね。こんちくしょうと思って猛勉強を始めました。

〈遠山〉
そこがやっばり男だなって思います。

〈小柴〉
勉強の甲斐あって東大の物理に合格できた時は「へえ、あの小柴が」と皆ビックリしていましたけどね。

当時、一高の校長先生は哲学者の天野貞祐(ていゆう)先生で、日頃からよく面倒を見ていただいたんですが、合格の報告をすると、

「私は物理のことは何も分かりませんけれども、私の恩師の息子さんで教育大学で物理をやっている研究者がいます」

と言って紹介状を書いてくださいました。その研究者が後にノーベル物理学賞を受賞される朝永振一郎(ともなが・しんいちろう)先生だったんです。私がお会いしたのは受賞される何十年も前のことです。

〈遠山〉
いいご縁に恵まれましたね。

〈小柴〉
遠山さんと私が似ていると思うのも、そこなの。あなたはコルトーという世界的な大ピアニストにかわいがられたわけだが、私は朝永先生に大変かわいがっていただいた。ありがたいことだと思いますね。

〈遠山〉
朝永先生には同じ学者として影響を受けられたことでしょうね。

〈小柴〉
朝永先生と私はともに物理学が専門だし、同じノーベル賞をもらったのだから深い付き合いなのだろうと考える人が大部分だと思います。ところが朝永先生とは何十年も一緒にいて物理の話をしたことは一度もない。

〈遠山〉
そうなんですか。

〈小柴〉
最初に先生をお訪ねした時、先生は戦災に遭って大久保の地下壕に他の戦災家族と一緒に住んでおられた。ここじゃあまりひどいからというので仮の研究室に連れて行ってくださり、そこで一時間くらいお話ししました。私はそんな偉い大先生だとは知らないもんで世間話から始めたら、5分もたたないうちに朝永先生が大好きになっちゃった。

ある人に会ってその人を好きになるか嫌いになるかというのは理由なんてありません。受ける感じで好き嫌いが決まっちゃうでしょう。

〈遠山〉
小柴先生って人の好き嫌いがすごく激しいじゃないですか(笑)。

〈小柴〉
多いな、私は(笑)。いずれにしても朝永先生は私を気に入ってくれたらしくて、それから何かというと電話があって一緒に飲みながら、物理以外の話をいろいろとするわけです。

成功を陰で支えてくれた恩師たち

〈小柴〉
私はよく人から幸運だといわれます。だけどその陰に、例えば朝永先生がどれだけ私のことを思って、いろいろなことをしてくださったか、最近になって分かりました。

例えば、私が若い時東大物理学科で助教授を募集していたんです。その頃私は先輩の教授と喧嘩をして推薦状を書いてくれる先生は一人もいなかった。しようがないから自薦で申し込んだんだけど、私の卒業成績でもポンと採用されてしまいました。

その頃の物理教室の主任は小谷正雄先生という東大の歴史に残るとびきりの秀才で、私がそこに入れるとは誰も思っていなかった。周囲があっと驚いたくらいでね。

もう一つ、私が助教授に採用された翌月に湯川先生が研究費だよって100円送ってきてくださった。当時の100万円といったら大変な額だ。この二つが私の中でずっと謎だったんですね。

〈遠山〉
何だったんでしょうね。

〈小柴〉
昨年(2006年)の湯川、朝永両先生の生誕100年記念事業でのスピーチに当たって、これまで見落としていた多くの新聞記事を調べていたら、思わぬことが分かったんです。朝永先生は、周囲に落ちこぼれといわれていた私のことを

「彼はもっと長い目で見てあげなくてはならない」

と新聞記者に話していたり、

「小柴君が日本でちゃんと仕事ができるように、湯川記念館の地下に解析センターを設けるように話をしている」

といったことが書かれてあったんです。これを読んだ時はハッと思いました。

解析センターの話は京都大学の若手の反対にあってつぶされたんだけど、湯川先生としては朝永先生に頼まれたことを果たせなかったという気がかりがあった。それに朝永先生と小谷先生は二人の連名で論文を書いたり日本学士院賞をもらったりする仲だった。私が物理教室に願書を出した時、朝永先生が小谷先生に電話くらいされたに決まっているんです。

それでやっと話の辻褄(つじつま)が合ったわけだ。

〈遠山〉
長い間分からなかったわけね。

〈小柴〉
朝永先生はそういうことは私に一言も言いませんでしたからね。

〈遠山〉
本当に一所懸命他人のために何かをやってくれる人というのは、自分からは言わないものですよ。

〈小柴〉
そう思うと、朝永先生は本当に素晴らしい人だった。


(本記事は月刊『致知』2007年11月号 特集「天真を発揮する」から一部抜粋・編集したものです)

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◇小柴昌俊(こしば・まさとし)
大正15年、愛知県豊橋市生まれ。昭和26年東京大学理学部物理学科卒業、30年米国ロチェスター大学大学院修了。45年東京大学理学部教授に就任。62年の定年退官後、名誉教授となる。素粒子物理学において常に世界の最先端を歩き続け、平成14年宇宙ニュートリノ検出に対する功績でノーベル物理学賞受賞。21世紀臨調特別顧問などの要職を務める。著書に『やれば、できる』(新潮社)など多数。

◇遠山慶子(とおやま・けいこ)
昭和9年東京都生まれ。6歳からピアノを始める。恵泉女学園中学在学中、来日中のアルフレッド・コルトーに認められ同氏の招きで渡仏。パリ・エコール・ノルマル高等音楽院修了。38年フランス・パリでデビュー以来、主にヨーロッパ、アメリカで演奏活動を続け、日本でもリサイタル、オーケストラとの共演などで活躍。53年に行ったリサイタルで日本ショパン協会賞受賞。カメラータから数多くのCDが発売されている。共著に『光と風のなかで』。

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