日本とポーランドにはこんなに熱い絆があった! ポーランドとの関係から学ぶ日本人の美徳——河添恵子

東欧の大国・ポーランド共和国。キュリー夫人や首都ワルシャワはなじみ深くとも、日本とポーランドを近しい国としてイメージする人は少ないのではないでしょうか。しかし、世界40か国以上を取材で訪れてきたノンフィクション作家・河添恵子さんは、ポーランドは世界一の親日国であり、ポーランドとの歴史を知ることは日本人としての誇りの再認識に繋がるといいます。学校教育や移民問題のテーマを通じて各国の地域社会に目を向けてきた河添さんに、「日ポ」を繋ぐ絆を紐解いていただきました。

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日露戦争を契機にポーランド志士が急接近

〈河添〉
両民族が急接近するきっかけは、日露戦争でした。当時、ポーランド志士(愛国者)らは不屈の精神で国の再起を目指しており、政治犯として極東シベリアへ流刑にされる者も多かったのですが、独立に向けた地下活動を行っていました。「日本の勝利は、ポーランドが独立する千載一遇のチャンス」と考えた独立活動家らが日本政府ヘの接触を試みたのです。

その一人が、1918年の独立回復時に初代元首となったユゼフ・ピウスツキです。彼は「日本軍のためのポーランド人の軍隊を召募する」とまで提案し、日本と協定を結び同盟関係になる使命を背負って訪日したとされます。

しかも、日露戦争で早々に投降して愛媛県松山市の収容所などに送られた中には、「ロシア軍兵士」として半強制的に徴兵されたポーランド人兵も多かったのです。彼らは、日本の勝利をまるで自国の勝利のごとく狂喜乱舞しました。この時期、日本で捕虜生活を送った数千人のポーランド人の日本への好印象が、ポーランドにおいての親日感情の原点となっています。

日本赤十字から派遣された看護師の献身的な働きはもちろんのこと、市民から〝おもてなし〟を受けるなど癒やされたのです。

開国そして近代化に着手して僅か40年余りの日本が、ポーランド人の宿敵で強大なロシア帝国との戦いに挑み、しかも大勝利という結果は彼らに強いインパクトを与え、日本関連書物の出版ラッシュとなりました。

ポーランドを代表する作家でジャーナリストのボレスワフ・プルス氏(18471912年)の論文の一部をご紹介しましょう。日本で譬えるところ、夏目漱石のような著名な作家であるプルス氏は、日本人の国民性について次のように記述しています。

「日本人の魂の奥深くにある特質は、個人の尊厳といった偉大なる感覚であり……その尊厳の柱となっているのは勇気である。それは、あえて強調する必要もないが、先の大戦で日本人が頻繁に証明したものである。……死をものともしない点において、日本人を超える国は存在しない。そしてそれが彼らの本当の強さを形作っている。……日本人のその他の偉大なる美徳として、自己抑制が挙げられる。自らの怒りや悲しみ、喜びを制御できない者は、日本では野蛮人と見なされる。……日本人は常に礼儀正しい微笑で会話をする。しかし、たとえ拷問されたり殺されたりしても、秘密を明かさないだろう。

同様に素晴らしいのは彼らの社会的美徳であり、その中で最も優れているのは愛国心である。日本人の愛国心は外国人への憎しみや軽蔑に根ざしたものではなく、己に属するすべてのものに対する愛情に基づいている。軍のために何人かの者がその命を犠牲にして任務を遂行する必要が生じた場合、何人かではなく、何千人もの者が自らその任務に志願するだろう……尊敬されたいと思うなら、皆、彼らを手本として努力しなければならない」

さらにプルス氏は「日本人の勇気、名誉、個人の尊厳、自己犠牲の精神、忠実性は、ポーランド人が模倣すべき気質である」とも記しています。 

また、逆に日本人でポーランド人の特性について詳細を語った大尉がいます。1919年からワルシャワにて活動し、1921年より日本公使館付き武官となった山脇正隆大尉です。山脇大尉は、早期からポーランドとの国交を強化すべきだと主張しました。その理由を3つ語っています。

1つ目は、日本社会の中で人気のある国であること。2つ目は、ポーランド人は背骨の真っ直ぐな、まっ正直な人間であったこと。3つ目は、長期にわたる抑圧に耐え抜いて言語や文化を護り抜いたこと。そして日本と同様、両親を敬う人たちで、家族のあり方と教育が基礎になっているということでした。

1世紀以上にわたる〝日ポの絆〟

〈河添〉
その後も、日本とポーランドの絆は続きます。1914年からの第一次世界大戦、1917年のロシア革命に続き、1919年にコミンテルン(共産主義インターナショナル)が結成され、シベリアの各地で反革命軍が赤軍と交戦、血で血を洗う内戦となりました。

その内戦により、シベリア在住のポーランド人も少なからず戦死し、ポーランドからの難民も餓死、病死、自殺、凍死、虐殺など次々と命を落としていったのです。

想像を絶する悲惨な環境の中で、両親と生き別れ、死に別れ、死の淵を彷徨っていたポーランド人孤児たち(計765人)を救出したのが他ならぬ日本でした。孤児たちは東京や大阪で一時を過ごしましたが、飢餓状態、虱だらけだった子供たちを日本人が献身的にケアし、心身共に生まれ変わったかのような状態にして、ポーランドまで送り返したのです。

天皇陛下が2002年にポーランドを訪問された際、存命だった3名が両陛下と日本大使館で交流の時間を持っています。孤児たちは帰国後も「日本への感謝の念を忘れない」が合言葉だったようで、「日本から受けた親切を宝物として生きてきました」「日本はまるで天国のようなところでした」などと溢れる涙で語ったそうです。この時のお話は、当時の兵藤長雄大使が書籍『善意の架け橋?ポーランド魂とやまと心』に残しています。

「命のビザ」で約六千人のユダヤ人他を助けた杉原千畝・リトアニア共和国在カウナス日本領事館領事代理の秘書二人も、ポーランド人でした。インテリジェンス全般に長けたポーランド軍の一部が、日本陸軍に暗号解読技術を高める指導も行ったのです。

小野寺信・ストックホルム駐在武官にヤルタ密約を知らせたのも、ロンドンに置かれたポーランド亡命政府の情報士官ミハール・リビコフスキー氏が手配した人物でした。「世界で最も危険な密偵」と、ゲシュタポから命を狙われていたリビコフスキー氏を、リスクを冒してまで守り通した小野寺武官。二人の関係は生涯続きました。(後略)

(本記事は月刊『致知』2019年7月号連載「意見・判断」から一部抜粋・編集したものです)

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◇河添恵子(かわそえ・けいこ)
昭和38年千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学卒業後、61年北京外国語学院、62年遼寧師範大学(大連)へ留学。平成6年に作家活動を始め、学校教育、世界が日本をどう見ているか、移民問題などをテーマに40か国以上を取材し、情報発信を続ける。『産経新聞』や『正論』『WiLL』『週刊文春』『新潮45』『テーミス』などに執筆。『トランプが中国の夢を終わらせるプーチンとの最強タッグが創生する新秩序』(ワニブックス)『世界はこれほど日本が好き』(祥伝社)など著書多数。

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