2020年11月12日
現在、脊髄損傷者専門のトレーニングジムとして注目度を増しているJ-Workout(ジェイ・ワークアウト/本社:東京都江東区)。自力では歩けない状態からの回復、「再歩行」を目指して全国から数百名が通い、日々トレーニングに熱中しています。CEOである伊佐拓哲さん自身もまた、若くして脊髄に損傷を負い、車いす生活を余儀なくされた一人。『致知』ではその伊佐さんに、ジム創設の原点、亡き親友から継いだ思いを語っていただきました。
〈写真=スタジオでトレーニングする伊佐さん ⒸJ-Workout株式会社〉
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
思いがけない事故
〈伊佐〉
忘れもしない、あの事故が起こったのは2002年、大学3年生の時でした。参加したアスレチック競技で私は大玉の受け止めに失敗、ドスンという音と共に吹き飛ばされ、我に返ると下半身が全く動かなくなっていたのです。
精密検査の結果、医師から告げられたのは脊髄損傷。車いす生活は避けられないとのことでした。覚悟はしていたものの、いざリハビリが始まると予想以上に足の麻痺は重く、「自分は社会で生きていけるのだろうか」という不安が日増しに募っていきました。
そうした中で転機となったのは、米国に障害の回復を専門にした施設があるという噂を耳にしたことでした。ちょうど現地に留学していた親友の渡辺淳を頼りに、藁にも縋る思いで渡米したのです。
渡辺の付き添いで見学の機会を得たProject Walk社の施設は、病院というよりトレーニングジムと呼ぶに相応しい場所でした。
明るく広々としたスペースに、ずらりと並んだ専用のマシン。それらを存分に活用し、専門のトレーナーのもと限界まで「再歩行」のトレーニングに没頭する脊髄損傷者たち。日本では考えられない熱気溢れる光景に、ただただ感動しました。
私も実際に3週間の体験プログラムを受講してみたのですが、「これを続ければ歩けるかもしれない」と直感し、将来に希望が湧いてきました。
脊髄損傷は回復しない病態ではない。日本にはないこの仕組みを普及させたい─そう思い立ち、二人で方法を考えた結果、渡辺自らがProject Walk社へ入社。私の担当トレーナーになることで、共にノウハウを学んでいきました。
創設者・渡辺淳さんとトレーニングに励む伊佐さん(提供:J-Workout)
回復の連鎖が始まる
2年半後、私は補助具を使用の上、スタッフのサポートを得ての歩行ができるまで回復しました。そして2007年、米国外では初となる暖簾分けの許可をいただいて設立したのが、脊髄損傷者専門のトレーニングジム「ジェイ・ワークアウト」です。
ただ、最初は人脈も資金もありませんから、横浜の障害者スポーツセンターの一角で活動をスタートさせました。その後、紹介を得て厚木市の10畳ほどの会議室にスタジオを開設。噂を聞きつけてご入会くださった脊髄損傷の方一人ひとりと真摯に向き合う中で、雪玉を転がすように少しずつ実績を積んでいきました。
当社のトレーニングは従来のリハビリと違い、充分に動く部位だけでなく麻痺した部分へも積極的にアプローチします。脳と脊髄に歩行のパターンを再教育するトレーニングや、歩行に必要な筋肉を全身につけるトレーニングなどを並行して行い、段階的に再歩行を実現していくのです。
東京・豊洲へスタジオを移転したのは3年後のことでした。アクセスが向上したことで遠方から来られる方も増え、事業は徐々に軌道に乗っていきましたが、その中でも忘れられない出逢いがあります。
その青年は私と同年代、同じくらいの障害程度でしたが、家族4人掛かりで連れられてきました。彼は再び歩くことを諦めてはいませんでしたが、その障害の重さから自立は難しいと感じているように見受けられました。
そこで私は、彼の前で実際に自立に必要なノウハウを思い切りやってみせました。諦めずトレーニングすれば、回復はできる。そう感じた彼は、トレーニングに打ち込み始めたのです。
以降彼は10年間通い続け、いまでは一人で外出できるほど回復し、以前とは見違えるほど前向きに毎日を送っています。再歩行を諦めない姿勢が他の脊髄損傷者の心に火を点け、回復の連鎖が始まっていく。私は自分たちの事業の大きさを強く感じました。
また「2015年までに、100名の脊髄損傷者を歩かせる!!」という渡辺の思いのもと、「KNOW NO LIMIT(回復に限界はない)」というイベントにも注力してきました。子供から大人まで、トレーニングに励む皆様に、いま抱いている夢、そして自力で踏み出す姿を観客の前で披露してもらうのです。
2010年には、プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾選手が17年ぶりに再歩行したことが話題となり、多くの感動を呼びました。
親友の遺志を継いで
しかしその1週間後、まさにこれからという時でした。マラソン大会へ出掛けていった渡辺が走行中に転倒、心筋梗塞のため29歳の若さで亡くなってしまったのです。
突然の別れに茫然自失しましたが、落ち込んでいる暇はありませんでした。当時100名余りのクライアントを抱えており、否応なく今後の経営判断を迫られたからです。
そんな私を支えてくれたのは、共にトレーニングに励んできたスタッフと、そのスタッフに信頼を置いてくださるクライアントの皆様でした。
「俺たちが、淳の言っていた100名になろう!」
と背中を押してくださり、何とか事業を継続できたのです。
現在(2019年7月時点)では、おかげさまで100名以上の方の再歩行を達成し、新設した大阪のスタジオと併せて約450名が再び歩くことを夢見て日々真剣にトレーニングに取り組んでいます。
いま私の心にあるのは、一人でも多くの方に再歩行を達成してもらい、脊髄損傷は一生歩けないという常識を変えたいという思いです。しかしそのためには、この事業が一つの業界として成り立つほどにまで地位を高める必要がありますし、私自身、完全に歩けるまでトレーニングを辞めるわけにはいきません。
回復に限界はないと信じて、今後も社会の常識に挑戦、事業の成長を追求していきます。
(本記事は月刊『致知』2019年12月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
※購読動機は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
◇伊佐拓哲(いさ・たくのり)
1982年、東京・両国生まれ。大学時代に不慮の事故で脊髄損傷を負う。2007年、中学時代からの親友・渡辺淳氏と「株式会社J-Workout」を創業。2014年に代表就任。現在は東京の他、大阪と福岡にスタジオを展開する。