本場イギリスで3年連続ゴールドメダル。世界一の庭師・石原和幸さんの原点と苦闘

英国王立園芸協会主催、百年の歴史を持つ「チェルシー・フラワー・ショー」。この伝統と権威あるガーデニングショーで、3年連続で最高賞のゴールドメダルを獲得した日本人がいます。ランドスケープアーティスト・石原和幸さんです。大学卒業後、地元・長崎で花の路上販売を事業として拡大するも、多額の借金を抱えて撤退。35歳で庭師の道へ足を踏み入れます。石原さんは世界中から実力派が集う大会でいかに勝ち抜いたのか。その原点と苦闘の歩みを伺いました。

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仕事を方向づけてくれた父の生き方

――庭師になるきっかけは?

〈石原〉
まだ花屋の事業が順調な時でしたが、花苗を配達に行ったら、お客様から聞かれたんです。「石原君、庭は造れるか」と。やったことはありませんでしたが「いや、できますよ」と答えて、ホームセンターで材料を揃え、私なりに花壇を造りました。

にわか仕込みの庭でしたが、大変喜んでくださいましてね。それから庭造りの研究を始めました。

――独学で学ばれたのですか。

〈石原〉
特別に庭造りの勉強はしていませんが、生け花を10年やった経験がやはり大きかったと思います。植物を植える角度や全体の構図、季節感の出し方といったことが、生け花をやったおかげでよく分かるんです。

もちろん、慣れない頃はレンガが外れただとか、花が枯れただとか多くのお叱りを受けました。でも、そういう体験が庭造りに対する考えを一層深めてくれましたね。

本格的に取り組み始めたのは事業を縮小して以降です。庭造りは5万円、10万円、大きいものになると100万円、200万円の収益が得られます。借金返済の面でもありがたい仕事でした。

――庭師の仕事に大きなやりがいを感じられたのですね。

〈石原〉
ええ。花屋や庭師の仕事を通じて目の前の人に感動し喜んでいただけること。これはいまでも僕の人生の指針となっています。

僕が自分の人生について強く考えるようになった一つのきっかけは、親父の死でした。バブルが崩壊し事業がうまくいかなくなり始めた頃でしたが、一番尊敬する親父ががんになりまして、最後は子供や孫、親戚に囲まれ

「楽しかった! ありがとう! 最高!」

と言って死んでいったんです。

葬儀の時には、ものすごい数の参列がありました。親父は孤児院に寄付をしたり、親戚の子が留学するのに学費を援助したり、僕たちが知らないところで、いろいろなことをやっていたわけですね。

そういう親父の生きざまを思い出しながら考えました。「俺は花が好きでこの仕事を始めたのに、いつの間にかお金ばかり追いかけるようになっていた。そうではなく、自分の仕事を通して目の前の人に喜んでいただくことこそが、人生の目標ではないだろうか」と。

「こんな庭は見たことがない」

――フラワーショーにはどういういきさつで出場されたのですか。

〈石原〉
庭造りが軌道に乗っていた41歳の時にテレビチャンピオンという番組に出場しましてね。優勝はしませんでしたが、

「俺の庭はそんなにおかしくない。いい線いっているな」

と。そう思うと自信が湧いてきて、例えばハリウッドスターの庭とか、ディズニーランドの庭園とか、ああいうのは誰が造っているのだろうか、俺も造ってみたいと本気で考えるようになったんです。

調べていくとチェルシー・フラワーショーが一つの登竜門であることが分かりました。その年、早速イギリスに行って実際のショーを見たのですが、正直鳥肌が立ちましたね。「これだけこだわり抜かれた、命懸けの大会があるのか」と。それは人生が180度変わるくらいの大きな衝撃でした。

それで、いてもたってもいられずに、早速次の大会に向けた準備を始めたんです。

――どんな準備が必要なのですか。

〈石原〉
まずは事前審査の申込書を出すことです。例えば、作品のデザインを描いて、どのような思いを込めたかといったコンセプトをまとめるのも一つですね。

ほかにも「使用する木材はどの国のものか」「石をどうやって運ぶのか。安全対策は十分か」といった百くらいの事細かな質問があり、これらに英語で答えなくてはいけない。ですから、もう見よう見真似です。

――デザインのコンセプトはまとまりましたか。

〈石原〉
それを固めるために、僕は九州各地を車で走り回ってヒントとなる風景を探しました。

イギリス人の感性に合わせようと思ったら、やっぱり洋風の庭ですよね。で、最初は洋風のデザインを必死に練っていました。

ところが、夕暮れ時にたまたま長崎の海が一望できる場所を走っていたら、雲の切れ間から美しい光が差し込んでいた。これを見た時、「あっ、これだ」と思ったんです。ありのままの風景の中に、人の心を動かすものがあるんだと。

結局、行き着いたのが阿蘇です。山中にある白水村の静寂な森の中で、川の源流からポコン、ポコンと水が湧き出す光景を見ながら、「源」というコンセプトが浮かんだんです。雨が降って、森の大地に吸い込まれた水が、再び湧き出て川となり、また雲になる。その循環を表現したいと思いました。

――日本人ならではの感性ですね。

〈石原〉
幸いにして、書類選考に通りました。シック・ガーデン(現代的都市庭園)部門で四百チームの応募の中の10チームに選んでいただくことができました。

  〔中略〕

だけど、ここでも問題はありました。

出場者は本番に向けて2か月前から現地で準備を進めなくてはいけない。海外から出場しようと思ったら、手伝ってくれるスタッフが何十人も必要になります。材料費から旅費、宿泊費、食費、その他諸々で最高5,000万円ほどのお金がかかることが分かったんです。

――かなりの大金ですね。

〈石原〉
僕はまだ借金が若干残っていて、どうしてもお金が出せない。出場のことを話すと、家族もきょうだいも親戚も社員も皆反対しました。でも、僕はこの機会は絶対に逃せなかった。そこで親から相続した土地を売って2,500万円を工面したんです。妻はカンカンでしたけれども(笑)。

それでも何とか説き伏せて、20人のスタッフを引き連れてイギリスに渡ったんですが、ここでも大変でしたね。

注文していたものとは全然違う材料が届く、現地で調達しようと思ったマツやコケが手に入らない。片言の英語であちこち駆けずり回る……。あまりのドタバタぶりに、僕たちはたちまち名物チームになったんです。

でも、庭ができるにつれて、違う意味で人が集まり始めました。「こんな庭は見たことがない」と皆驚いて。

――結果はいかがでしたか。

〈石原〉
シック・ガーデン部門で銀メダルに当たるシルバーギルトを獲得しました。初挑戦の日本人が2位になったというので、イギリスは大騒ぎでした。メディアに次々と紹介されて、皆とっても上機嫌でした。

――日本でも話題になったのでは。

〈石原〉
ところが、驚いたことに、そのことを誰も知らないんです。「チェルシー? 飴の大会?」って(笑)。実際のビジネスにも何も直結しませんでしたが、そのことが逆に僕のチャレンジ精神を刺激したんですね。

(本記事は月刊『致知』2010年10月号 特集「一生青春、一生修養」から一部抜粋・再編集したものです)

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◇石原和幸(いしはら・かずゆき)
昭和33年長崎県生まれ。大学卒業後、地元長崎市で路上販売から花屋をスタート。35歳で庭造りを始める。事業がうまくいかず借金を抱えながら平成16年チェルシー・フラワーショーに初出場、シルバーギルトを受賞。18年から20年は史上初となる3年連続ゴールドメダル獲得の快挙達成。以降、緑の力で世界に貢献すべく多方面で活躍中。著書に『世界一の庭師の仕事術』(WAVE出版)。

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