「僕は現状に何の不満もないんです」ピアニスト・舘野泉さんが語った人生信条——悲しみの底に光るもの

東京藝術大学を首席で卒業し、ピアニストとして早くから頭角を現していた舘野泉さん。内なる声に導かれフィンランドに単身移住、自身の音楽性を開花させ世界的な評価を獲得されます。そんな舘野さんを脳出血が襲ったのは2002年。片手が動かないという演奏者として跳ね返しがたいハンディを負います。「左手のピアニスト」はその悲しみの底で何を掴み、立ち上がったのか。重症筋無力症という苦難を同じく乗り越え、声楽家として活躍する飯田みち代さんとの対談をご紹介します。

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「お前のピアニストとしての夢は終わったんだよ」

〈飯田〉
(フィンランドという)見知らぬ土地でどのように道を切り開いていかれたのですか。

〈舘野〉
一人で音楽をやっていると、「ああ、こいつの音楽はいいな」と自然に人が寄ってくるようになりまして、幸いなことに次第に僕の活動の輪は広がっていったんです。

やがてフィンランド人声楽家の家内と結婚して、1968年にはフィンランド国立音楽院シベリウス・アカデミーの教授に就任しました。その後、81年にフィンランド政府から終身芸術家給与を受けヘルシンキを拠点として世界中を忙しく飛び回るようになりました。

日本やヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国など3,000回以上のコンサートをこなして、順風満帆といいますか、とても充実した生活でしたね。

ところが、そんな時に突然、脳出血で倒れちゃったんです。2002年の1月でしたから、4年半前のことです。

〔中略〕

確かにハードだったんだけど、何人分もの仕事を一人でこなせちゃうものだから、自分の体はすごく丈夫だと過信していたんだね。定期健診もやらないし、自分の血圧がどのくらいかも知らなかった。

僕は2001年に演奏生活40周年を記念して全国各地でコンサートをやったんです。

そのツアーが終了して、翌年最初のリサイタルをフィンランドで開いた時、最後の曲の終わりから二分目くらいでだんだん右手が遅れだして、ついには止まってしまった。しまいには左手だけで叩いた。お辞儀をして四、五歩歩いたら倒れていたんです。

〈飯田〉
お辞儀をされた後に……。

〈舘野〉
義理堅いというか几帳面というか……(笑)。常々僕は演奏家というのは最後まで演奏してステージで倒れるのが本望だと言っていた。そしたら本当に最後まで弾いて倒れちゃった。

いまはこのように人前で話せるようになって頭も回転してきましたが、最初の1年くらいはほとんど頭が回りませんでした。だから何が弾けない、何ができないという以前に、自分の気持ちが動かないのが一番辛かったですね

もちろん口も回らなければ、体も動きません。自分ではどうしようもないんです。どこにも力が入らない。

〈飯田〉
舘野さんにとって大変な時期でしたね。

〈舘野〉僕はすぐに回復すると思っていたんですが、リハビリをしてもなかなか体は思うように動かなくて、悶々とした日々でした。

その時期に音楽仲間から口々に「おまえ、ラヴェルに左手のためのピアノ協奏曲があるじゃないか。あれを弾けばいい」と言われまして、本当に癪に障りました。その言葉はその頃の僕にとって

「おまえのピアニストとしての夢は終わったんだよ」

と言われるのと同じでしたからね。それに「おまえは写真がうまいんだから写真を撮ったらいい」「文章が上手だから本を出版すればいい」とアドバイスをくれる人もたくさんいました。人を慰めようと来てくれるのはありがたいけれども、なんの励みにもならなかったし、そういうことになんの興味も湧きませんでした。

僕からピアノを取ってしまったら何が残るのかとかたくなに心を閉じていたんです。

両手でも片手でも、音楽には関係ない

〈飯田〉
その苦しみをどのように乗り越えられたのですか。

〈舘野〉
転機は、長男でバイオリニストのヤンネが持ってきてくれた左手用の楽譜でした。イギリス人作曲家のブリッジによるものだったんですが、その楽譜をある時、僕の机の上に置いていてくれた。

数日後に左手でそれを弾いた時は驚きましたね。いきいきと音楽が波打っている感じが、はっきりとつかみ取れたんです。いわば氷の世界ではなくて氷が溶けて水が波打っている感じです。

もし息子が「パパ、これを左手で弾いてみない」なんて言っていたら、僕はおそらく楽譜を見ることすらなかったでしょう。息子は誰かに指示されるのを嫌う僕の性格をよく知っていて、黙って置いてくれた。わが子ながら頭が下がります。

そして練習を続けるうちに、両手で弾くとか片手で弾くとか、そういうのは音楽に関係ないことが次第に分かってきたんです。

〈飯田〉
どちらも同じだと。

〈舘野〉
そのとおりです。よく両手と片手では実際の音が半分になる、だから譜も少ないし易しくしてあると考える人がいますが、そうではありません。音楽のボリュームも難しさも変わらない。逆に両手で分担して弾いたら楽かというと、これも違うんですね。

ピアノ音楽の場合、左手が音楽のベースとなる部分を全部扱っていて、右手はその上で踊っているわけです。音楽の核はすべて左手にあるといってもいい。このことは言葉ではなかなかうまく言えないのですが、疑問に思っている人に実際の演奏を一度聴いていただくと、誰も何も言わなくなります。

〈飯田〉
そうでしょうね。

〈舘野〉
もちろん僕は病気になる前から左手のための曲があることは知っていたし、実際に弾いたこともあります。でもその数は少ないと思っていましたので、ラヴェルの有名な左手のためのピアノ協奏曲だけを弾いて演奏家としての生活を続ける気にはなれなかったんです。

しかし、息子が持ってきてくれた譜面を弾いてみてはっきりと分かりました。「これで自分と世界とのつながりはできる」「皆と一緒にやっていける」と。

本日の対談のテーマは「悲しみの底に光るもの」ということですが、僕もまた病気を通していろいろな世界が見えてくるようになりました。

例えば、周りの人たちは僕の姿を見てやはり不自由だなと思われるだろうし、「早く回復して右手が使えるようになったらいいですね」とおっしゃる方もいます。早く治るために鍼をしたらいいとか、この整骨院がいいとか勧めてくださる方も少なくありません。

だけど僕自身はこの現状に何の不足、不満もないんです。

もちろん、昔は一人で自由に行動して、いろいろなことを楽しむことができた。倒れてからはそれが制限されちゃって、一人で出歩くことはほとんどありません。

うちにいる時はピアノを弾いているか本を読んでいるか、そうでなきゃ寝ているか食事をしているか、それくらいの生活だけれども、それで十分満足しています。右手が治る、治らないということもほとんど考えることはないですね。

 〔中略〕

〈舘野〉
僕はこれまで人生の計画を立てたことがないんです。何かをやっていれば、次にやりたいことが出てきましたからね。だから一つのことを黙々と続けていくことで、自然に新しい道が開けるのだと思うんです。

いま私は「左手のピアニスト」と呼ばれるようになりましたが、これまでにも増して演奏に魂を込めていきたいと思っています。

(本記事は『致知』2006年8月号 特集「悲しみの底に光るもの」より対談記事の一部を抜粋・再編集したものです)

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◇舘野 泉(たての・いずみ)
昭和11年東京都生まれ。35年東京芸術大学を首席で卒業後、39年よりフィンランドのヘルシンキ在住。43年メシアン・コンクール第2位。同年よりフィンランド国立音楽院シベリウス・アカデミーの教授。56年以降フィンランド政府の終身芸術家給与を受けて演奏生活に専念し、今日に至る。平成8年日本と諸外国との友好親善への貢献に対して外務大臣表彰受賞。リリースされたアルバムは100枚に近く(掲載当時)、世界中に熱心なファンを持つ。

◇飯田みち代(いいだ・みちよ)
愛知県出身。2歳の時、難病指定重症筋無力症を患ったが奇跡的に回復。京都大学教育学部心理学科卒業。大手企業に就職したが、オペラの道へ。平成2年日本イタリア声楽コンソルソ金賞受賞以来、飯塚新人コンクール大賞、朝日ABCコンサート優秀賞など多数受賞。17年3月には愛知県芸術文化選奨を受賞。『ヘンゼルとグレーテル』のグレーテル役でオペラデビューして以来、数多くの舞台に出演。ソロリサイタルなども開催している。16年飯田後援会が発足。

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