天衣無縫——日本将棋連盟・佐藤康光会長の座右の銘

自らも一流棋士でありながら、同時に日本将棋連盟の会長として将棋界を牽引する佐藤康光さん(九段)。永世七冠を成し遂げた羽生善治さんと同世代であり、共に競い合った関係でもあります。鋭く深い読みと枠に囚われない新たな手を巧みに駆使しながら、日本を代表する棋士となった佐藤さんに、棋士としての原点、心の支えにしてこられた座右の銘を伺いました。

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完全無欠の美しい将棋

(佐藤)

天衣無縫(てんいむほう)--頼まれると、私はいつもこの言葉をしたためます。

天人の衣服には縫い目のあとがありません。そこから転じて、技巧のあとが見えず自然でありながらも、完全無欠で美しい様を表現する言葉です。将棋にもきっとそのような指し方があるはず。そのような将棋を指せる棋士でありたいと願い、私はきょうまで精進を重ねてきました。

そんな私の棋士人生に、大きな壁となって立ちはだかり続けたのが、先般永世七冠の偉業を成し遂げた棋界の第一人者・羽生善治さんです。

羽生さんとは同世代で、プロ棋士養成機関である奨励会へ入門した年も一緒でした。ところが羽生さんは、プロデビューもタイトル獲得も先に成し遂げ、あっと言う間に棋界のトップへ躍り出ていきました。負けたくない。その背中を見据えて闘志を燃やし続けたことで、私は棋士として大きな成長を果たすことができたと思っています。

20代後半になると、様々な棋戦で羽生さんと対局するようになりましたが、勝ちを収めることは容易ではありません。黒星が重なり、いまのままでは駄目だと痛感した私は、定跡を重視するそれまでのオーソドックスな棋風を思い切って捨て、枠に囚われず自分が培ってきた感覚を信じて指すことを心掛けるようにしました。自分を変えることによって、羽生さんから上げる白星の数も次第に増えていったのです。

天衣無縫という言葉に強く惹かれるようになったのは、その頃からでした。

棋士としての原点

私が将棋と出合ったのは小学一年生の時。友人が学校へ将棋盤を持ってきたのがきっかけでした。他にも遊びの手段はたくさんありましたが、様々な手を考え抜いて自分の力で勝ちを掴んでいく将棋の魅力に、私はたちまちのめり込んでいったのです。 

父親から手ほどきを受け、町の将棋教室を経て、奨励会へ入会したのは中学1年生の時でした。プロを志すようになったのは、もっと強い人と指したいという純粋な思いからでした。対局室を包む緊張感はアマチュア大会の比ではなく、勝負の厳しさというものを肌で感じると共に、これこそが自分の求めていた場所だと胸の躍る思いがしたものです。 

AIはもちろん、インターネットもほとんど普及していなかった当時、将棋の勉強は一流棋士の対局を観戦することが最も有効でした。とりわけ当時活躍されていた大山康晴先生、中原誠先生、米長邦雄先生、加藤一二三先生の対局は積極的に観戦し、同じ空気を吸いながら、僅かな所作からも何かを掴み取ろうと努めました。 

棋士としての最初の転機は平成5年、24歳の時に初タイトルとなる竜王を羽生さんから奪取したことです。棋士にとり、タイトルの獲得は生涯の目標ですが、訪れたチャンスを確実にものにできたのはとても大きなことでした。タイトルを取ると社会的な注目も格段に高まり、それまで将棋のことしか頭になかった私の生活は一変しました。竜王は僅か一年で羽生さんに奪い返されましたが、若い時期に盤外へ目を向け、将棋の魅力を広くアピールしていくことの大切さを実感できたことは、大変意義のあることでした。 

もう一つの転機は平成18年、棋聖戦で5連覇を果たして永世棋聖の資格を得たことです。タイトル戦では、その時最も調子のよい棋士が挑戦してくるため、防衛は容易ではありません。その試練を乗り越えてもう一期積み重ね、六連覇を成し遂げたことはこの上ない自信となり、いまもなお私の棋士人生を支える拠り所となっています。

(本記事は『致知』2019年11月号 特集「語らざれば愁なきに似たり」から一部抜粋・編集したものです)

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◇佐藤康光(さとう・やすみつ)

昭和44年生まれ。京都府出身。57年田中魁秀九段に入門。62年四段に昇段しプロデビュー。平成5年竜王戦で初タイトル獲得。10年名人獲得。18年棋聖戦で5連覇を果たし、永世棋聖の資格を取得。29年通算1000勝(特別将棋栄誉賞)達成。同年より日本将棋連盟会長。著書に『長考力 1000手先を読む技術』(幻冬舎新書)など。

 

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