2021年05月30日
戦国武将を題材にした講談で、寄席はもちろん、企業の研修などでも引っ張りだこの講談師・一龍斎貞花さん。上杉謙信、徳川家康、柴田勝家……乱世を生き抜いた名だたる武将たちはどのように勝運を掴み、歴史に名を残したのか――。ビジネスの世界と共通する、古今変わらぬ運の法則について、史実から読み解いていただきました。
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運は自分の力で呼び込むもの
――武将を題材にした講談が企業の研修にも活用されるなど、評判を呼んでいますね。
〈一龍斎〉
おかげさまで、企業や団体からご依頼をいただいております。30歳近くまでサラリーマン生活をし、部下指導や営業活動なんかも経験しましたから、話の内容にも共感していただけるのかもしれません。
――戦国の世とビジネスの世界とで、何か共通する部分があるのでしょうか?
〈一龍斎〉
まったく同じなんですよ。武将が戦をして領土を広げていったように、経営者も営業戦略を図り、シェアを広げていく。また、自分一人だけ仕事ができてもダメで、人材をうまく活用していってこそ、他社との競争にも勝つことができるんです。
戦国武将が国を治めていく柱としていたのは、この戦に勝つんだという「志」、時代や相手への「読み」、いち早く正しい「情報」をつかみ、「部下を知って」適材適所に用い、「決断」する、という5つでした。
――ビジネスの世界でもよくいわれることですね。
〈一龍斎〉
そのうちの「決断」は、行け行けどんどんという攻めのイメージがありますが、実は退く時が一番難しい。企業でも、二進も三進もいかなくなって退くから、大変な赤字になるんです。戦でも一番難しいのは殿(しんがり)で、大将を無事に退却させて、自分は追っ手の攻撃をかわしながら必死に逃げなくてはならない。
豊臣秀吉が、織田信長の信頼を得た一番の理由は、信長が朝倉・浅井両軍の挟み撃ちに遭って袋の鼠になった時、命懸けの戦いをして主君を守ろうとしたからです。
――主君の危機に際して、存在感を示したのですね。
〈一龍斎〉
また、徳川家康は三方ヶ原の戦いで、武田信玄軍に惨敗し、恐怖のあまり馬上で大便を漏らしながら、ほうほうの体で浜松城へ逃げ込んだ。家康はその直後、家臣に「城門を開き、篝火を焚け!」と命じ、力強く太鼓を打たせた。頭のよい信玄は、これは城内に誘い込む計略に違いないと判断し、軍を引いたために、家康は生き延びることができたんです。
そうやって、とことんまで追い詰められた時に、いかに踏ん張ることができるか。また、土壇場で逆転の発想ができるかどうか。あの時、信玄に攻め込まれなかった家康は、確かに運がよかったといえるかもしれませんが、実は自分でちゃんとその運を呼び込む行為をしているんですね。
強い志が運を招く
――運をつかんだ戦国武将に共通する要素とは何でしょうか?
〈一龍斎〉
私はやっぱり、努力をしたことに尽きると思いますね。
上杉謙信が、こんな言葉を残しているんです。
「運は天にあり 手柄は足にある」
つまり努力をしなければ、運はつかめないということですよ。「わらしべ長者」の話にせよ、主人公は貧乏な境遇をいつまでも嘆くのではなく、神社へお参りに行くという行動を起こしたからこそ、長者の元となるわらを拾うことができた。何もせずに棚からボタ餅が落ちてきたわけではない。
初めに家康が逆転の発想で窮地を切り抜けた話をしましたが、家康にはこの他にも様々な逸話があります。例えば、関ヶ原の合戦の際、家康は実に150通を超える手紙を諸大名に書き送り、味方についてくれるよう懇願しているんです。手紙を書き始めたのは、戦の始まる50日も前からでした。事を成さんと思えば、これと同じほどの用意周到さと努力が求められるということでしょう。
――それは、ビジネスの世界でも同じことでしょうね。
〈一龍斎〉
そう思います。織田家の猛将として名を馳せた柴田勝家も、こんな逸話を残しています。
夏の暑い盛りに勝家は、敵軍に水断ちをされ、城内にはほとんど水がなくなってしまった。ある時、城内の様子を探りに敵の間者がやってきて「汗を拭わせてほしい。少し水をもらえないか」と告げた。
どうせ金盥ほどの器にわずかな水を入れて運んでくるんだろう。間者がそう考えていると、勝家は甕に入った溢れんばかりの水を2人掛かりで持ってこさせ、どうぞご自由に、と差し出した。さらに使い終わった水を取っておきもせず、「庭へ撒いておけ」と打ち水をするよう、家来に命じたんです。
――城の窮状を悟られないようにするためですね。
〈一龍斎〉
しかしその後、蓄えの水もいよいよ残りわずかとなり、勝家は出陣の決意をしました。
「この上は渇き死にをするか、討ち死にするかの二つに一つ。この水を思う存分飲み、戦に備えよ」
これで最後とばかり、家来は満足のいくまで水を飲む。さらに、残った水を自分の馬にもやる。
「どうじゃ。思う存分、水を飲んだか。これより討って出て斬り死にするか、武運めでたく敵方の水を飲むか、いずれにしてもこの甕に用はない」
勝家はそう言って甕を叩き割り、残っていた水を全部流してしまった。後にはもう引きようがない。
「水は土に還ったぞ。我らも土に還るまでじゃ!」
そう言って敵陣に雪崩れ込んだ勝家の軍は敵方3000の大軍を見事切り崩し、ここから「鬼柴田」「甕割り柴田」の異名が生まれたんです。
――決死の覚悟が苦境を切りひらいたのですね。
〈一龍斎〉
はい。「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」――これも謙信の残した言葉ですが、どんな状況に置かれても、この局面を必ず打開するんだという強い志と気概を持つこと。それが運を招くことに繋がるのだと思います。
(本記事は月刊『致知』2010年3月号特集「運をつかむ」から一部抜粋・編集したものです)
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◇一龍斎貞花(いちりゅうさい・ていか)
昭和14年愛知県生まれ。43年サラリーマンより転身し、一龍斎貞丈に入門。51年5代目一龍斎貞花を襲名し真打。著書は『戦国武将に学ぶ生き残りの戦略』(日新報道)『戦国武将 生死を懸けた烈語』(中経出版)など多数。講談協会常任理事。一般社団法人日本演芸家連合顧問。東京成徳大学元客員教授。前保護司。