2020年07月30日
江戸時代より350年以上続く宗家花火「鍵屋」。その長い歴史の中で女性として初めて当主になった天野安喜子さんは、15代目襲名の直前、花火師として絶体絶命の窮地に陥ったといいます。現在もお客様の感動をつくり続ける天野さんは、いかにして当主の人格を身につけたのか。当時のエピソードをご紹介します。
◎最新号申込受付中! ≪人間力を高める2025年のお供に≫
各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
花火師とは何か――暖簾とは信頼のこと
――そもそも花火師になりたいと思われたきっかけは何ですか。
〈天野〉
私はすごいお父さんっ子なんですよ。だから最初は花火師になりたいという感覚より「お父さんのようになりたい」と。案外、職業は何でもよかったのかもしれませんね(笑)。
父が道場を主宰していた関係で、大学を卒業するまでは柔道一直線の毎日でした。日の丸を胸につけた時期もあるので、おかげでいまも国際審判員として畳の上に上がることがありますが、柔道をやりながらも将来は花火師になると決めていました。
――花火師としてお父様からどのような影響を受けましたか。
〈天野〉
花火って本当に信頼あっての仕事なんですね。父はそれを口に出しては言わないけれども、ずっと貫き通してきた。すごいことだと思います。
前に鍵屋を大きくしたいと思い、経営的な勉強会に参加して、こういう事業をやったら利益が出せるというアイデアを思いついたんです。それで父に申し出たところ、一言、「おまえは鍵屋を分かっていない」と。何でかなと思い、次は母に提案してみると、もっと地に足をつけて考えるように窘められ、「あなたがいなくても鍵屋は大丈夫よ。このままじゃ15代目は継がせられないわね」と言われました。
よく考えてみると、鍵屋が長い間続いてきたのは、利益を出してきたからではないんですね。暖簾=信頼。それをこの時代に会社の前面に出して仕事をしている父はすごいと思います。
――その時は肩に力を入れてお仕事をされていた時期だったんでしょうか。
〈天野〉
そうですね。当時は何のために仕事をしているかというと、私ってこれだけできるのよ、と周りに自分を認めさせるためでした。でも、それでは誰も認めてくれないんですね。鍵屋の後継者だから人の3倍は努力しなければならないと自分に課してやっているのに、どうしてみんな私を認めてくれないの、という葛藤がありました。
絶体絶命の窮地を支えた言葉
――どう乗り越えられましたか。
〈天野〉
15代目を襲名する少し前の大会でアクシデントがありましてね、このままだったら予定していた花火の3分の1も上げられなくなるという窮地に追い込まれたんです。父がそばにいたので「どうしよう」と聞くと、「おまえに任せる」と。ここを逃げたら15五代目は継げないと思いました。
職人さんたちと力を合わせ、無我夢中でその場を凌ぎましたが、以来、職人さんたちは何かあると「アッコ、どうする?」と私に聞いてくれるようになった。そうするともう自分をアピールする必要はなくなるんですね。
それからは、職人さんたちが働きやすい環境をつくるために仕事をするようになりました。そしてもう少し自分が成長すると、次は主催者に喜んでもらうためになり、いまは観客の皆さんに喜んでもらうために仕事をするようになりました。経験を積む中で「何のために仕事をするのか」が変わってきたように思います。
――しかし、340年(当時)の歴史のある家を継ぐ重責は、一般には想像できないようなプレッシャーでしょうね。
〈天野〉
私も最初は分からなかった(笑)。だから継げたと思いますね。
逆に外部の方から教えられることのほうが多いと思います。教育界から「鍵屋の15代目当主であり、一児の母である天野安喜子さんはいまの教育をどう思いますか」と聞かれたり、昨年の愛知万博では名古屋市国際博覧会懇談会委員として、日本を代表する著名な方々と席を同じくしたりもしました。ああ、自分は花火だけできればいいんじゃない、15代目として生き方を問われる立場なんだと分かってきました。
だからいまはドーンと重いプレッシャーを感じていますが(笑)、花火が好きだからそれも励みにできます。13代目は本を残し、父は花火の着火を手付けから電気式に替えました。各代後世に残す仕事をしていますので、私も「15代目はこれをした」という仕事をしたいと思っています。
――これまで大好きな花火師をやめたいというような逆境に遭ったことはありますか。
〈天野〉
柔道はしょっちゅうやめたいと思っていましたけど(笑)、花火師はないですね。もちろん苦しい時はあります。壁にもぶつかる。でも、その壁も神様からのプレゼントです。壁を越えた時、自分の成長が分かるんですね。自信も深まるし、人に対しても優しくなれます。私はお手軽に手に入る楽しさは意味がないと思います。同じ人生を味わうなら、充実した重みのある味わい方をしたいじゃないですか。
壁は神様からのプレゼント、乗り越えるのが人生の楽しみ。そんなふうに考えられるようになったのも、花火師になったからです。
(本記事は『致知』2006年3月号 連載「第一線で活躍する女性」より一部を抜粋・再編集したものです) ◎最新号申込受付中! ≪人間力を高めるお供に≫
各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
◇天野安喜子(あまの・あきこ)
昭和45年東京都生まれ。宗家花火「鍵屋」の14代目の2女。大学卒業後、他社の花火工場で2年間修業。平成7年から鍵屋へ戻り、12年に15代目を襲名。一方、父の影響で小学2年から柔道を始め、中学時代から全日本選手に。高校1年の時に日本代表に選ばれ、福岡国際大会3位を経験。国際柔道連盟の審判員資格を持ち、国際大会などで審判としても活躍。現在は日本大学芸術学部大学院の博士後期課程に通い、博士号を目指して勉強中。一児の母でもある。