「苦」は人生に大切なことを浮き彫りにする——コロナ禍のいま伝えたいこと 詩人・藤川幸之助

新型コロナウイルスが世界中でいまなお猛威をふるい、多くの方々が亡くなられています。私たちはこのコロナ禍をどう生きていけばよいか、またコロナ禍は何を私たちに教えてくれているのでしょうか。認知症の母の壮絶な介護に20年以上向き合い、その体験を詩に綴ってきた藤川幸之助さん特別寄稿していただきました。

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「死」を数字で表すこと

(藤川)
新型コロナウイルスの感染拡大が始まって以来、連日1日の感染者数やこれまでの死者数などが発表されてきました。この数字の推移をもとにこれからの感染拡大阻止の方策を論じ、この数字に一喜一憂しながらこれからの経済再生について考察していくことは、日本にとっても世界にとってもとても重要なことなのですが、私にはこの数字は感染状況を推し量るための単なる数字には見えませんでした。  

私は母が認知症と診断されてから二十数年間、母の命に向き合いました。母が死なないように、母の命を全うできるようにと、母の命一つを必死に守ってきた二十数年間でした。だからそんなふうに一つの命を大切に守り抜いてきた私にとっては、連日発表される感染者数と死者数という数字は単なる数字ではなく、その数字の人数分の一人ひとりの命の重みのように感じるのです。

大変な思いをして母の命一つを守り抜いてきた日々を振り返ると、感染者数と死者数という数字が、感染された一人ひとりの寂しさ、悲しさ、亡くなられた一人ひとりの無念さ、悲しみ、その一人ひとりのご家族の思いとして、私の中で紐解かれていくのを感じます。それぞれの命の重みがあの数字には内包されているのです。 

この新型コロナウイルスが感染拡大をし始めた頃、感染を防止するため感染者が入院しても見舞いにも行けず、死亡しても遺体には面会できず、遺体は病院から火葬場に直行して、遺骨が届くという悲しいニュースがテレビからよく流れました。感染され亡くなられた方にとっても、そのご家族にとっても、とてもさびしく悲しい最期の別れだったと思います。このこと一つをとっても、死者数は単なる数字ではなく、数字で表されたその一つ一つの「死」に内包した各々の命の重みと悲しみを感じるのです。

「有事」という言葉

言葉を扱うことを生業にしているので、テレビやネットで使われる言葉には敏感なはずなんですが、これまで聞き逃してきたのでしょうか、この新型コロナ禍の中で生まれて初めてテレビで「有事」という言葉を聞きました。その対になる言葉の「平時」という言葉も聞いてとても驚きました。「有事」とは戦争の時の言葉だと思っていたからです。

私は全く戦争を体験していませんが、戦争に行った父の話や書物、記録動画で人と人とが殺し合う戦争の悲惨さを私なりに知っているつもりです。私にとって戦争を想起させるおどろおどろしい「有事」という言葉を使うまでもないと思っていたのです。 

しかし、新型コロナでの感染者数が日ごとに増え3000人を越え、亡くなられた方が983人おられる現状を見るに付け、これは「有事」なのだと思うようになってきました。人と人とが殺し合う戦争とは全く違いますが、人から人に感染して死に至らしめる可能性があるということは、人が人を死に至らしめる存在にもなりうるということです。それも、人が知らず知らずのうちに人を傷つけ、無意識のうちに人を死に至らしめる可能性もあるということなのです。つまり、このような濃密な関わりの中で人と人とは生きていて、不可分な関係性の中で命は交わりあっているのです。 

ですから、この新型コロナ禍の中では日頃の生活で感染から自らを守り、広げないことを注意することで他の人の命の守っていくことにつながっていく。これは、裏を返せば命と命は深い関わり合いの中で、「生かし合う」ことのできる存在だということでもあるのだと思います。

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存在と存在が生かし合う

このコロナ禍の中で感じた、人間はそこに存在するだけで「生かし合う」ことのできる存在であることを、認知症の母との日々の中でも感じたことがありました。二十数年の母の介護の日々でしたが、認知症の母には言葉も意味のある動きもありませんでした。そんな母がその二十数年間に、私をその存在自体で育ててくれていたように思うのです。言葉ではなくその存在自体で支え、支えられ、生かし、生かされていたのです。その思いを綴った詩集『支える側が支えられ生かされていく』から、詩「絆」をご覧ください。

詩「絆」

絆とはもともと
動物を繋ぎ止めておく
綱のことらしい
だから絆という言葉は
あまり好きではなかった

仲良く食事をする母と息子を見かけた
絆どころかあんな風に
母と二人で外食したこともなければ
一緒に旅行した記憶もない
思春期以降の母との思い出は
悪態をついて家出したことぐらい

ある日、なんで俺がこんなことを?
と、愚痴りながらも
認知症の母のオムツを替えていると
ふと若い頃の母の顔を思い出した
幼い私のこんがらがった話を
いつまでもいつまでも聞いてくれていた
母の笑顔を思い出した
母と繋がる一本の綱をたぐるように
泣いている私をただただ
理由も聞かずに強く強く抱きしめた
母の柔らかさを思い出した

絆とはもともと
動物を繋ぎ止めておく
綱のことらしい
だから絆が「深い」ではなく
絆が「強い」なのだそうだ
母と繋がる一本の綱を強く引き寄せる
私の命が深く強く輝く

この詩は認知症の母に一番手を焼いていた頃のことを書いた詩です。徘徊する母に手を焼いていました。言葉とも叫びともつかないわけの分からない繰り言に苛立っていました。おしっこをまき散らし、ウンコを壁になすりつける母が情けなくなっていました。もう限界でした。母を殺せば私も母も苦しまなくて済むのではないかと、首を絞めてしまおうと惑乱に陥った時でした。母が私をじっと見据えていました。私がおさない頃に私の話を聞いてくれていた時の母の瞳でした。

私は保育園から帰ると母の元に駆け寄って一日の出来事を全て母に話しました。その話がどんなに長かろうと、どんなにこんぐらがった話であろうと最後まで母は話を聞いてくれました。その時の母の眼差しを思い出したのです。母の眼差しに包まれて、私は自分を受け入れてくれる存在に身を委ね、安心して寄りかかっていたように思います。

それなのに、認知症の母の繰り言に苛立ち、少し変なことをいうだけで叱りつけている自分が情けなくなりました。あの幼い頃に母にもらった愛が少しでも私の中に残っていたら、母にもらった愛を返しながら母としっかりと向き合ってみようと思ったのです。絆と呼ばなくても、愛のやりとりによって結ばれた存在があるのだと思うようになりました。この大切なことに気づけたのは、母を目の前に乱心したあの苦しみがあったからだと思うのです。

「苦」は人生に大切なことを浮き彫りにする

母のおむつを替えながら、認知症の母の介護をしていなかったらと考えたことがありました。その時は介護真っ最中ですから、もっと楽な人生だったろうとか、もっと良い仕事ができていただろうとか考えました。しかし、今振り返ってみるとあの時の「苦」があったからこそ人生にとって大切なことに気がついたのではないかと思うのです。

自分のことばかり優先して考える利己的なこの私が、「愛する」とか「支える」とかという生きることが持つ本質的なことを考えるようになったのです。認知症の母の介護の経験があったからこそ、人として目指すべき本質的な姿があらわになったのではなかろうかと思うのです。あの苦しんだ日々がなかったら、私の人生にとって大切なことには何一つ気がつかないままではなかったろうかと思います。「苦」というものは、人生に大切なことを浮き彫りにしてくれます、それもぎりぎりのところで。

この新型コロナの感染で多くの尊い命を失いました。しかし、人類にとってはこのコロナ禍という「苦」は、我々人類がもっている課題を浮き彫りにして、人類にとって大切なことをつかむ良い機会になるのではと思います。尊い命の犠牲に報いるためにも、このコロナ禍という「苦」を人類で手を携えて乗り切れれば、きっと乗り切った先にはまた新しい人類の進むべき道が開けます。この苦しみは人類の歴史上大きな意味を持ってくるのです。最後に詩集『支える側が支えられ生かされていく』から詩「道」を贈ります。

詩「道」

何度も転んだ。
何度も何度も立ち上がった。
そのたびごとに地団駄(じだんだ)踏(ふ)んで
踏み固めてきた私の道は
あの山を越え
私はまだ見たこともない私に出会い
あの海に行き着き
人の悲しみの深さを知った

顔に当たる風の強さで感じるのだ
血のにじむ膝の痛みで感じるのだ
立ち上がり歩み出す私の一歩が
転ぶごとに力強く大きくなっていることを
あの悲しみから踏み出したその一歩が
この喜びへつながっていることを

私をつまずかせた石ころの中に
転んだ私の心の中に
私の明るい未来は潜んでいる
何度も何度も立ち上がり
大粒の涙をしみ込ませて
道が私の道になっていく

◇藤川幸之助(ふじかわ・こうのすけ)

昭和37年熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に入る。認知症の母親に寄り添いながら命や認知症を題材にした作品をつくり続ける。また、認知症への理解を深めるため全国での講演活動にも取り組んでいる。『満月の夜、母を施設に置いて』『徘徊と笑うなかれ』(共に中央法規)、『マザー』『ライスカレーと母と海』(共にポプラ社)、『支える側が支えられ 生かされていく』(致知出版社)『赤ちゃん キューちゃん (絵本こどもに伝える認知症) 』(クリエイツかもがわ)など著書多数。

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