ネルソン・マンデラが、人種差別撤廃の果てに見た「虹」

約350年続いた人種差別(アパルトヘイト政策)から黒人たちを解放したネルソン・マンデラが、この世を去って6年が過ぎました。実に27年に及ぶ獄中生活にも屈することなく、祖国のために闘い抜いた「南アフリカの父」がその果てに思い描いた「虹の国」とはいかなるものだったか――。人種差別が大国を揺るがしているいま振り返りたいマンデラの人物像を、彼を敬愛してやまない同志社大学の峯 陽一教授に語っていただきました。

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白人たちとの和解への道

釈放されたマンデラは、すぐに国の中心人物となって国づくりに当たるわけですが、国の舵取りをする上で大きく分けて二つのことに彼は取り組んでいます。

一つは、黒人も白人も互いを尊重し、新しい国づくりのために力を合わせることでした。投獄前のマンデラは、正義のためには暴力をも辞さない革命家でしたが、釈放後の彼は武器を取ることを完全に否定しました。その上で、国民全員が一人一票で選挙できる制度をつくろうと訴えたのです。

ところがこうしたマンデラの姿勢から、彼を変節漢だと見る黒人も多くいました。なぜ我われ黒人を散々痛めつけてきた白人たちを許そうとするのかと。実は妻のウィニーもその一人で、二人はこれがもとで離婚しています。それだけ黒人たちにとって白人に対する悪感情は根深いものがあったと言えるでしょう。

では、なぜマンデラは仲間からの反対を背に白人たちとの和解の道を選んだのでしょうか。ここにはマンデラの視野の広さを垣間見ることができます。

白人たちには長きにわたって自分たちが悪いことをしてきたという意識がありますから、黒人たちが権力を持てば仕返しを受けても当然だという思いがありました。そして黒人に復讐されるのであれば、全員を道連れにしてでも戦おうと覚悟を決めていたのです。アパルトヘイトは撤廃しても、依然として強力な軍事力を持つ白人たちの心を解きほぐすには、武器を捨てて交渉の場に立つ必要があったのです。

このあたりに関して、マンデラは用意周到でした。彼は獄中生活の最後のほうで、白人たちの言葉を一所懸命に勉強しています。もともと話すことはできたようですが、言葉とともに彼らの考え方を学習した上で交渉に臨もうとしていたのです。

こうして南アの人種、民族集団の代表たちとの徹底的な話し合いがなされた後の1994年、黒人と白人が主要な政治勢力となって権力を分け合う大連立政権が樹立され、一人一票の総選挙を実現させたマンデラは大統領に就任したのです。

もう一つの取り組みは経済政策でした。約350年にわたって人種差別が続いてきた南アでは、それを撤廃しただけでは白人と黒人の経済格差はなくならないとマンデラは見ていました。国が積極的に資源の再配分や教育を与えることなどを通じて、虐げられてきた黒人たちの暮らしの底上げを図ろうとしたのです。

ところが世界の潮流はソビエト連邦の崩壊を契機に、経済政策には政府が介入すべきではない、小さな政府こそ理想であって、南アもそれに倣うようにという圧力がかかりました。マンデラは選挙戦にあたって「すべての人々に、よりよい生活を」というスローガンを掲げていましたが、そのためには政府の積極的介入が必要不可欠と考えていただけに、彼は苦しい立場に追い込まれました。

世界の圧力に屈した結果、待っていたのは黒人層における貧富の差の猛烈な拡大でした。アパルトヘイトが終わったことで、暮らし向きがよくなるだろうと思っていた大多数の黒人たちは、その期待を打ち砕かれたのです。そして不満を抱えた黒人たちは次々と犯罪に手を染めていきました。このため、南アはいまに至るまで治安問題で頭を抱えています。

ノーベル平和賞を受賞するなど政治的には人種差別の撤廃という勝利を掴んだマンデラですが、経済的には思うような成果を残せなかったことは、さぞ心残りだったことだろうと思います。

「虹の国」を実現するために

2013年12月5日、マンデラは95歳でその生涯を閉じましたが、彼の最も優れた資質として挙げられるのは、一貫してぶれない姿勢でした。

マンデラは黒人と白人が共存する「虹の国」の実現という一念を抱き続けていました。そしてその一念を実現させるための戦略的思考は柔軟で、その場その場で最も適切と思われるものを大胆に選んでいます。投獄前には暴力も辞さなかったマンデラが、釈放後は徹底して暴力を排除した姿勢はその最たるものと言えるでしょう。

また、マンデラは指導者として陰謀が大嫌いでした。会議では自分の意見を言わずに黙っていて、裏で他人の悪口を言いふらすような者には、相手が白人であれ黒人であれ、激怒しました。

もう一つ付け加えれば、マンデラはとにかくよく人の言うことを聞く人でした。交渉ごとにおいては、全身で相手にぶつかっていくのですが、自分の言いたいことを言うだけでなく、相手が話し始めたらそれを遮ることなく聞く。そして自分の立場を変える必要があれば断固として変えることも厭いませんでした。特筆すべきはこうした姿勢を誰に対しても貫いたことで、彼の偉大さが感じられます。

マンデラはたくさんの言葉を残していますが、その中で最も気迫がこもったものを最後にご紹介しましょう。これは彼が投獄されて人々の前から姿を消す前の最後の言葉でした。

「自由で平等な南アフリカという理想のために、私は死ぬ覚悟ができる」

死刑判決を受けるかもしれない裁判での最終陳述を巡っては、弁護士からそんなことを言ったら本当に死刑にされてしまうからやめたほうがいいと助言を受けていたといいます。しかしマンデラはそれでも構わないと突っぱねました。仮に自分が死刑になれば、仲間が立ち上がってくれるだろうと。自分が死ぬことでアパルトヘイトの終焉を早めることができれば、それで本望だと――。

理想を高らかに掲げ、その一念のために命を投げ出す覚悟を持ったネルソン・マンデラ。その名が世界史に深く刻まれることになった所以は、いかなる状況にも決して屈することのなかった長の一念にあったのです。


(本記事は月刊『致知』2014年6月号 特集「長の一念」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇峯 陽一(みね・よういち)
昭和36年熊本県生まれ。62年京都大学文学部卒業。中部大学助教授、南アフリカ共和国のステレンボッシュ大学助教授などを経て、平成10年から同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『南アフリカ——「虹の国」への歩み』(岩波新書)など。

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