山崎直子が語る、宇宙飛行までの11年間で学んだこと

2010年4月にスペースシャトル・ディスカバリー号で宇宙へと飛んだ山崎直子さん。日本人女性2人目の宇宙飛行士であると同時に、子どもを持つ母としては日本人初の宇宙飛行士でもあります。本記事では、宇宙飛行士候補者選抜試験を受けた当時の思い出から、選抜後の出産への葛藤と喜びまで、人生の糧となった出来事を幅広く振り返っていただきました。

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難関の宇宙飛行士選抜試験

〈山崎〉
宇宙飛行士選抜試験は就職試験に似ていると感じており、組織が求める人材像と、個人のアピールが一致して初めて採用に至ります。選抜側は明確な基準を逐一提示できるわけではなく、また、心理テストのように答えが1つに定まらない試験も多く、筆記試験以外は対策が立てられませんでした。

特に閉鎖環境適応試験は私の代で初めて行った試みです。筑波宇宙センターに国際宇宙ステーションを模擬した大型バス2台分ほどのスペースが用意され、電話、テレビ、インターネットが全く使えない隔離された状態で丸1週間、8名で寝泊まりするのです。監視カメラで常に行動が見られ、音声も拾われている環境下で課題が出されます。

真っ白いジグソーパズルを組み立てる個人課題もあれば、4人1組になってロボットをつくったり、メンバー同士でディスカッションをしたりすることもありました。閉鎖空間というストレスが掛かった状態で、学力だけではなく、対応能力や忍耐力など、総合的な人間力を問われていたのでしょう。

一方面接では、回を重ねるごとに、生まれた時からどのような人生を過ごしてきたのか、またこれからどう過ごしたいのか、志望動機を2段階、3段階と深く掘り下げることができ、自分の内面を見つめる非常によいきっかけとなりました。

こうして1年に及ぶ選抜期間を経て、1999年2月、28歳の時に宇宙飛行士候補者に選出されました。日本人宇宙飛行士としては8人目、女性としては向井千秋さんに次いで2人目です。

いま振り返っても、864名の応募者の中から合格を手にすることができたのは「幸運」以外の何物でもありません。特に2次試験に共に臨んだ約50名の同志たちは皆優れた素質を持っている人ばかりで、いまでも時々同窓会を行いますが、そうした同志と巡り合えたことも試験に臨んで得た宝です。

出産、コロンビア号の事故

それから間もなく、同時期に選抜された古川聡さん、星出彰彦さんと共に約2年間の基礎訓練が始まりました。宇宙開発の歴史や基本的な電子工学、生物学を学ぶ座学に始まり、飛行機操縦訓練やサバイバル訓練といった身体を使うものまで幅広く行いました。この基礎訓練の2年間を修了できて初めて、候補者から正式に「宇宙飛行士」に任命されます。

実際に宇宙に行くまでの期間は状況によって異なりますが、基礎訓練修了後、訓練は3割程度に減り、残りは地上業務を行いながら宇宙に行く日を待ちます。

この間、私にとって何よりも大きな転機となったことがありました。31歳で出産をしたことです。ようやく宇宙にいけるスタートラインに立てた時に、出産で第一線を退くことに焦りや不安もありましたが、子供を産む選択肢と両立したいと思ったのです。妊娠中は宇宙にいけないため、一時的に「医学的不適格」の通告を受けます。その事実を知ってはいたものの、実際に紙を突きつけられた時はショックでした。

しかしいま、長期的な視点で振り返ると、育休を含めた1~2年の期間はいくらでもリカバリーが可能で、全く焦る必要はなかったと思います。逆に出産経験を通じて学んだことや成長したことも多くありました。

子供を産んで最も変わったのが時間の使い方でした。以前は仕事以外の時間はすべて自由に自分のためだけに使え、夢や理想を追い求めることができましたが、出産後は子供が主役に一変しました。「この子のために私はいままで生きていたのだ」と感じるほどに、人生観が変わったのです。そうした変化や、育児の中で身についたマルチタスク力は後に宇宙飛行士として大いに役立ちました。

また、2003年2月、育休中に起きたスペースシャトル・コロンビア号の事故も私の人生を省みる契機となりました。この時、7名のクルー全員が亡くなりました。当然宇宙飛行士は死が隣り合わせであることを覚悟の上で仕事をしていますが、亡くなったクルーの追悼式に参列し、彼らの家族が悲しむ姿に触れた時、非常に考えさせられました。自分の夢を追うと言えば美しいですが、実は周囲に迷惑を掛けていたのかもしれない。果たして自分が挑戦していることは正しいことなのか、自己満足になっていなかったかと、信念が揺らぐこともありました。

この事故の影響で宇宙計画自体が中断され、再開の目途が立たない中で私は訓練や日常業務を続けることを余儀なくされました。出口の見えないトンネルに迷い込んだようで辛い時期でしたが、自分の内面ととことん向き合うことができたおかげで、2010年、39歳の時にディスカバリー号に搭乗して、15日間宇宙で任務を全うできたのだと思います。

(本記事は『致知』』2020年6月号 特集「鞠躬尽力」より一部を抜粋・編集したものです。

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◇山崎直子(やまざき・なおこ)
昭和45年千葉県生まれ。東京大学大学院航空宇宙工学修士課程修了。平成8年NASDA(宇宙開発事業団/現・JAXA)に入社し、日本実験棟「きぼう」の開発に従事。11年に国際宇宙ステーション(ISS)の宇宙飛行士候補者に認定される。22年4月、スペースシャトル・ディスカバリー号で宇宙へ。23年JAXAを退職。現在は、内閣府宇宙政策委員会委員、一般社団法人スペースポート・ジャパン代表理事などを務め、宇宙教育・研究に携わっている。著書に『宇宙飛行士になる勉強法』(中央公論新社)など。

 

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