奥田透×山本征治 銀座の名店「小十」をどん底から這い上がらせた〝覚悟の力〟

銀座・小十と日本料理・龍吟――。ともに銀座の街にミシュランの星を輝かせる日本料理の名店であり、それぞれの代表を務める奥田透さんと山本征治さんは若き日、同じ料亭で修行し、意気投合した盟友です。お互いに切磋琢磨しながら料理の道を歩むお二人に、開業後の苦難の道のり、プロフェッショナルとしての覚悟を語り合っていただきました。〔写真 右が奥田さん、左が山本さん〕

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死を覚悟した時に活路が開けた

〈奥田〉
2003年7月、僕は念願だった東京・銀座に、大ファンだった陶芸家・西岡小十先生の名をいただいた「小十」を開きました。

カウンター6席と小さなお座敷がある店でしたけれども、銀座の中心部にあるし、景気が悪いといってもいまよりずっとよかったから、普通に覗いてもらえるかな、6席くらいは埋まるだろうな、といった単純な望みみたいなものがありました。でも何日経ってもお客さんが全然入らない。

考えてみたら、銀座ってそういうところじゃないんだね。銀座に来るお客さんは馴染みの所にしか行かないし、紹介がないと新しい店に入ろうとはしない。

4000万円の借金をして始めた店も、気がつくと運転資金が300万円を切っていました。家賃と人件費、食材を入れたら2か月ももたなくなっていたんです。持ち家は担保に取られているし、追加融資も断られる。この時、支払いができないという事態に初めて直面しました。これは恐ろしいとかいう次元の話ではありませんでしたね。

ちょうど長女が誕生したばかりでしたが、感じるのは喜びよりもプレッシャーばかりでした。その頃の僕はビルの屋上から飛び降りることを本気で考えていたんです。

〈山本〉 
お金で切羽詰まった時の苦しみは、本当にどうしようもありませんよね。全く生きた心地がしないというか……。

〈奥田〉 
でも、「もう、これで終わりだ」と思った時にふとこういう思いが湧いてきたんです。

「来ていたお客さんがいなくなるとしたら、これは自分の責任だ。だけど、誰も来ていないのにいいか悪いかを判断するのはまだ早すぎるんじゃないか。駄目なら駄目で精いっぱいのことをやってみたらいい」

家内に率直にお金のことを話したところ、へそくりの300万円を何も言わずに出してくれました。ひとまず窮地はしのげたので、次に業界誌に手紙を書いて、新店案内欄に掲載してほしいとお願いしたんです。

手紙を書いた10社のうち1社が和食の特集を組んで、うちを1ページでドーンと紹介してくれた。それを見たお客さんがポツポツ出てきて、今度はその雑誌を見た別の雑誌社が特集に載せてくれて……という流れができました。

1年後くらいには銀座で人気店の一つになって、開店4年後の2007年にはミシュランガイドで三つ星を獲得できたんです。 

〈山本〉 
僕はその年に二つ星をいただいて、2011年に三つ星と評価されました。伝統的な日本料理の技法を受け継ぐとともに、料理だけでなく日本の自然環境の豊かさを料理から伝えていくことを信条としています。

僕たちの世界はとんとん拍子ということは絶対にないわけだけど、ギリギリの状態で道が大きく拓けていくのは本当だと思います。

〈奥田〉 
僕は一度は死んだ人間なんです。だからきっと神様が「そんなにやりたかったら、もう一度だけやってみたら」と可能性を残してくれたのかなと考えています。

プロフェッショナルとは

〈山本〉
そういえば、奥田さんが銀座に「小十」を開いたのは僕の誕生日の7月17日でした。そのくらい思いを持ってくれたことに、いまも本当に感謝しています。

僕が六本木に「龍吟」を開いたのはその年の12月だったんですけど、お金の工面が大変で、そんな時も奥田さんは「自分の店を紹介してくれた業界誌は全部教えてやる」と次々に僕にも紹介して助けてくれた。それで後を追うように僕の店も軌道に乗っていったわけです。

〈奥田〉
山本さんは才能のある人なので、同じ苦労はさせたくなかったんですね。僕のアドバイスが多少は役に立ってよかったです。

〈山本〉
奥田さんをはじめとして僕はこれまで本当にいい人たちに恵まれてきたと思っています。

ある意味で僕は料理人としての幸せ、社会的な評価をこれまでに十分すぎるくらいいただいてきたんですが、それにはもう一つ、チームスタッフが僕と思いを共有してくれて陰で支えてくれたことも大きいんです。

だからこれからは、「あんなこともしたい、こんなこともしたい」と自分の夢を追いかけるよりも、僕と一緒に時を重ねてよかったと思ってくれるスタッフをどれだけ育てることができるかスタッフへのお返しができるかが重要だと思っています。

〈奥田〉 
僕も全く同感ですね。これまでの人生の中で、店が失敗しそうになったり、いろいろなことがたくさんあったわけだけれども、いまここに、こうしていられるということは、どこかで僕を必要としてくださる人がいたんです。お客様がそうですし、従業員もまたそうだった。

と同時に、もう一つ、いまの僕を支えているものは「意地」なんですね。言い換えると、プロとして誰よりもおいしい日本料理をつくりたいという情熱、熱い思いです。その情熱が料理やお店という具体的な形として表れているように思うんです。

〈山本〉 
奥田さんのいまの言葉、それを僕なりに「覚悟」と表現してみたいと思いますね。

〈奥田〉 
なるほど、覚悟。

〈山本〉 
料理がただ好きというだけだったら、僕の母親だってそうだし、趣味でお菓子をつくっている人もそうだと思うんですね。でも僕たちとは何が違うかというと責任が違うわけです。その責任にどれだけ覚悟を決められるかなんです。その覚悟がこれまで僕を支えてくれました。

ここは奥田さんも同じ気持ちだと思うんだけど、僕たちの世界は結果でしか世の中の評価を受けることがありません。

「こうしたかった、ああしたかった」と後悔する人は、こうもしなかった、ああもしなかった人を指します。しなかったことは自分で責任を取らなくてはいけない。自分が出した結果でしか人に語ってもらうことのできない厳しい世界、その世界で生きる覚悟を決めた人がプロフェッショナルだと僕は本気でそう思っているんです。

勝手な使命感を抱くのは、ある種の欲かもしれません。その使命感に向かって仕事をする時、僕が失敗しないために支えてくれる人たちがいる。それがうちのスタッフです。だから、今日の僕があるのは自分の力ではない。それだけスタッフは大切だし、彼らの幸せのためにもこれからは生きたいと思っています。


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人気連載「二十代をどう生きるか」にて、一度しかない人生で何をどう目標に据え、夢を実現していくか、熱いメッセージと共に語っていただきました。

〝人生は一度きり。誰にも平等に与えられた時間を有意義に使ってほしい〟
奥田 透(銀座・小十店主)


(本記事は月刊『致知』2014年2月号 特集「一意専心」より一部を抜粋・編集したものです

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◇奥田 透(おくだ・とおる)
昭和44年静岡県生まれ。高校卒業後、静岡、京都、四国の料亭で修業。平成11年に独立し静岡で居酒屋を開店。15年東京・銀座に「銀座・小十」を開店。4年後にミシュラン三つ星に選ばれる。25年パリに「奥田―OKUDA―」を開店。著書に『世界でいちばん小さな三つ星料理店』(ポプラ社)がある。

◇山本征治(やまもと・せいじ)
昭和45年香川県生まれ。平成5年四国の料亭に弟子入り。15年東京・六本木に「日本料理・龍吟」を開店。16年スペインの世界料理学会に日本代表として出場。19年ミシュラン二つ星、23年三つ星に選ばれる。25年「アジア50ベストレストラン」第2位、「ワールド50ベストレストラン」に4年連続入賞。

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