東京湾を撮り続けて見えてきた道——水中写真家・中村征夫

東京湾をはじめとする世界中の海に潜り、知られざる生命の真実をカメラを通して伝え続けてきた中村征夫さん。海に煌めく、力強く美しい生命の一瞬を切り取った写真を数多く撮影してこられました。今回は、水中写真を撮り始めたきっかけや、仕事を通して出会った生き物の姿に学ぶことなど、「牡蠣の森を慕う会」代表・畠山重篤さんとの対談の中で幅広く語っていただきました。
※この対談の内容は2008年当時のものです。

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撮り続けた東京湾

(畠山)
せっかくの機会ですから、きょうは中村さんが水中写真を始めたいきさつを聞かせてもらえませんか。

(中村)
僕は子どもの頃のいろんな体験が自分の中に奥深く生きているんです。秋田の森の中で育ったものですから、みんな川の水を飲んでいましたし、いつもその川で水遊びをしたり、魚を手づかみにしたりしていて、そういう体験をずっと体で覚えていることが、いまの活動にも影響していますね。

上京してきたのは18歳でした。立派なサラリーマンになって、もう親には負担をかけまいと決意して会社に就職したんです。ところがいつも自分の中に「これは俺の仕事とは違うんじゃないかなぁ」というモヤモヤしたものがありましたね。結局1年で辞めて、アルバイトで食いつなぎながら自分に適した仕事を探すことにしたんです。

20歳の時、神奈川県の真鶴岬に海水浴に通っていたある日、水中に潜っていた3人のダイバーが突然目の前に現れて、潜水艦が浮上してきたかと思うくらい驚きました。彼らは黒いウエットスーツにボンベを背負って、首からちっちゃなカメラを下げていました。興味津々でもう質問攻めですよ。何やってるんですか、その首から下げているものは何ですか、そのカメラは水が入らないんですかと。

その時、なぜか興奮して体がワナワナ震えてくるんです。待てよ、ひょっとして僕がやりたいのはこれかなと思いましたね。翌日にはわずかな貯金をはたいてウエットスーツや水中カメラを買って、我流で水中写真の撮影を始めたわけです。それまで抱えていたモヤモヤもすっかり消えて、僕はこれをやりたかったのかという感じなんです。ですから、あの時ダイバーたちに出会わなければ、僕の人生もどうなっていたか分かりません。大きな転機でした。

(畠山)
それで水中写真を。

(中村) 
それで四年くらい我流で写真を続け、撮影プロダクションに入りました。そこではきれいな海に潜って水着の女性や珊瑚礁を撮ったりしていたんですが、すぐ飽きてしまうんですね。もっと社会的なテーマに取り組みたいと思うようになって、31歳でフリーになって、身近な東京湾に潜り始めたんです。最初は冗談交じりに、江戸前ってうまいらしいぞ、食ってみたいなと、誠に不純な動機でした(笑)。

ところが潜ってみると、無数のカニがヘドロから舞い上がって、ハサミを広げて僕に次々と向かってくるんです。透明度が悪くてよく見えないんですが、何か特攻隊みたいだなと思って、とにかくパチパチシャッターを切りました。後で現像してみたら、カニたちは卵を抱いていたんですね。あぁ、卵を守ろうと母性本能で向かってきたのかと。

そういうシーンは、きれいな珊瑚礁に潜ってもまず出合うことはありません。そう思うと、東京湾は死の海とかヘドロの海とかいわれているけれども、とんでもない。こんなに生命力溢れる生き物たちがいるじゃないか、と感動を覚えましてね。以来10年にわたって東京湾に潜り続けて『全・東京湾』という本にまとめたんです。いまやもうすっかりフォトグラファーならぬヘドグラファーで通っている(笑)。

懸命に生きる生き物に学ぶ

(中村) 
自然にあるものは必ず何かの役に立っているんですね。だから人間の浅はかな考えで、そこに介入してはいけないのだとも思います。

小魚たちは死ぬまで逃げ回る。弱い生き物だから集団で生きなきゃ食われるということが、遺伝子に組み込まれているわけです。鳥の雛も木から落ちたら下は地獄ってことは分かっている。それを保護して育て、そして放すとどうなるか。弱い遺伝子が蔓延するということですよね。

(畠山) 
そうですよね。

(中村) 
だから人間が介入してはいけない部分が多々あると思うんです。これは海を見てきてすごく感じました。

僕は若い頃、東京湾で卵を抱いてる母ガニを見つけて、こんな所で産むのはかわいそうだ、もっときれいな海がおまえたちの故郷なんだろうって、真鶴海岸に連れていって堤防から放ってあげたんですよ。ここで元気な赤ちゃんを産みなさーいって。

それで自己満足に浸っていたんですが、帰りの車の中で、いま頃どうしてるかな。あそこの深さは7、8メートルあるよなと思った途端、アッと思った。

ヘドロの中で生きてきたカニには、水中を泳ぐという習性がありません。だからおそらくもがきながら落ちていっただろう。きっと一発で食われただろうと。卵を抱いてるから大変なごちそうですよ。あぁ僕は何という偽善者だって落ち込みました。
それ以来、僕は自然界でどんな修羅場を見ても、一切手出しをしなくなったんです。

(畠山) 
それが正しい向き合い方です。

(中村) 
人間が良かれと思って自然環境にしてあげていることを、果たして自然は喜んでいるのかなってつくづく考えます。おせっかいなことをしないでよ、と思われているかもしれない。

サメやクジラは国境なしに自由気ままに泳ぐだろうけども、ほとんどの生き物は小さなマイホームを持っていて、その縄張りを懸命に守っています。五㍉とか一㌢とか、こんな小さな生き物が、あぁこんな所で生きていたのか、と発見するたびに、自然の中で生きるとはどういうことかを教えられます。そういうひたむきな姿を見ている限り、いまの仕事はやめられないですね。

(畠山) 
みんな懸命に生きているんですね。きょうのテーマは「楽天知命」とのことですが、自然の生き物はみんなこの言葉に沿って生きていると言えますね。

(中村) 
僕はこの頃、人間の一生というのは、生まれた時からレールが敷かれているのかもしれないと思うようになりました。

一切カメラに触れたこともなかった自分が、なぜ20歳の時にいきなりカメラをやり始めたのか、ずっと不思議でした。カメラとの接点は何も思い当たらないんです。

ところが数年前にハッと思ったんです。生後2週間で母親が亡くなって、僕は見知らぬ遠くの農家に預けられました。そこで育った僕は、当然そこが自分の実家と思っていました。ところが4歳の頃、突然変なおじさんが来るようになるんです。それが実の父親で、僕のことを返せと言ってくる。その農家も物心ついた僕のことを手放したくない。僕は土間の物置に隠されて、返せ、返さないって争う声を中で聞いているんです。あの人が来るたびに僕はこんな所に隠される。一体誰なんだろうと思いながら、僕はそのやりとりを真っ暗な物置からのぞいて見ている。実はそれがカメラだったんですね。あぁこれに間違いないって。

(畠山) 
そんなことがあったのですか。

(中村) 
だから僕は母親と死別したけれども、その後の様々な試練や厳しい体験なども、カメラマンになるために敷かれたレールの上にあったことだと考えるようになりました。

ただ、いくらレールが敷かれているといっても、自分が頑張らなければ最後まではたどり着けないでしょう。与えられた人生の中で、その時その時きちんとやっていくことで最後の目的地まで行き着ける。だから僕はこの「楽天知命」という言葉はすごく納得できるんです。
ですから、与えられた環境を受け入れ、それを楽しみながら、自分に正直に自由に生きていきたいと思っています。

(本記事は『致知』2008年3月号 特集「楽天知命」より一部を抜粋・編集したものです。)

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◇中村征夫(なかむら・いくお)

昭和20年秋田県生まれ。高校卒業後、上京。会社勤務を経て20歳で潜水と写真を始め、水中撮影プロダクションに入社。52年フリーカメラマンとして独立。主な受賞は木村伊兵衛写真賞、日本写真協会年度賞、土門拳賞など。現在は撮影プロダクション「スコール」代表として世界中の海に潜り撮影活動を展開。著書に『全・東京湾』『海中顔面博覧会』他多数がある。

 

◇畠山重篤(はたけやま・しげあつ) 

昭和18年中国生まれ。37年宮城県立気仙沼水産高校を卒業、家業の牡蠣養殖業を継ぐ。平成元年「牡蠣の森を慕う会」を結成し、漁民による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動を推進。6年朝日森林文化賞受賞。11年「みどりの日」自然環境功労者国務大臣環境庁長官表彰。著書に『森は海の恋人』『リアスの海辺から』『日本<汽水>紀行』などがある。

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