大和、瑞鶴、武蔵……鉛筆艦船画家・菅野泰紀が絵画奉納を続ける理由

鉛筆画家として、自ら描いた艦船画の神社への奉納活動を10年以上続ける菅野泰紀氏。その作品は神社を訪れた人のみならず、当時の乗組員すら驚嘆させるほどだといいます。資料がほとんど残っていない艦船も多い中、どのような思いを込めて活動に当たってきたのか。絵画制作の源泉に迫りました。
菅野泰紀氏による鉛筆画( 戦艦「大和」)

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在りし日の軍艦の姿を描き始めたいきさつ

鉛筆で軍艦を描くようになり、10年が経ちました。これまで戦艦「大和」や航空母艦「瑞鶴」など、40点以上の作品を書き、その内、十数点はそれぞれ所縁のある神社に奉納させていただいています。

軍艦には「艦内神社」と呼ばれる神棚があるのをご存じでしょうか。古来、我が国には船霊信仰があり、航海の無事や大漁を願って船内に神社の御祭神を分霊し、御神札を祀る習慣がありました。明治以降に国防のためにつくられた軍艦も同様で、その神棚を「艦内神社」と呼んでいるのです。

軍艦の名前には日本の地名(旧国名・山岳名・河川名)が使用されることが多く、例えば「大和」の艦内神社は奈良県に位置する大和神社で、戦艦「武蔵」は埼玉県さいたま市の氷川神社というように、その名に所縁のある神社から御分霊が奉斎されてきました。

艦内神社は単に乗組員の心の拠り所となっただけではありません。戦艦「香取」はサイパン島を攻略した際、駐屯軍を守るため、香取神宮(千葉県)の御神札を分霊してサイパン島に彩帆香取神社を建てました。この神社はいまも地元で愛され、毎年戦没者の慰霊祭が行われています。

しかし残念なことに、戦後GHQの神道指令により政教分離が推し進められたため、昇神のなされぬまま海底に眠る艦内神社がいまなお多く存在します。また、戦後の混乱の中で分霊元が分からない軍艦も少なくありません。

大東亜戦争で国のために命懸けで戦った英霊の慰霊敬仰そして顕彰したい。そんな思いで、五年ほど前から軍艦の絵を分霊元の神社に奉納したり、博物館などに寄贈したりするようになりました。

巡洋艦「多摩」、航空母艦「瑞鶴」……当時の乗組員との出逢い

1枚約50センチ×70センチほどの大きさですが、仕上げるまでには3か月を擁します。入手できる限りの撮影資料や記録を辿り、当時の様子を知る方に直接お話を伺うこともあります。資料がほとんど残っていない艦船もありますが、軍艦や乗組員たちの奮闘、気概を絵画に表せるよう心掛けてきました。

この活動を行っていると、忘れ難い出逢いをいただくことが多くあります。

ある時、展示会に来られた方が2時間近く一枚の絵、巡洋艦「多摩」の前に佇んでおられました。その方は「多摩」と共に活動をした巡洋艦「木曽」の乗組員で、「木曽」から常に「多摩」の姿を見ていたそうです。そして一番思い入れが深いのは、戦闘時ではなく監視パトロール中の大自然の猛威との闘いだったと語られました。

吹雪く北太平洋のアリューシャン列島付近での任務中、荒波に揉まれ、前を走る「多摩」がよく海の中に消えて見えたそうです。

私が描いた「多摩」も、まさに荒波を果敢に突き進む姿で、通常は波の下に隠れるスクリューが水面に現れたシーンでした。それを見て、「なぜこの場面が描けたのですか!!」と感激してくださったのです。

他にも「瑞鶴」の絵をご覧になった方から、「自分は瑞鶴の艦橋前にあった25ミリ三連装機銃の銃手だったので、ここに描かれた人影は私です」と、当時の様子を詳しくお話しいただいたことがありました。一枚の絵が当時に思いを馳せる一因になっている。それが活動を続ける原動力に繋がっているのです。菅野泰紀氏による鉛筆画( 戦艦「武蔵」)

“踏み台”になることこそ絵画奉納の意義

私は幼い頃から祖父母や父から戦争の話を聞き興味を抱いていた影響もあり、小学校低学年の頃から軍艦を描き始めるようになりました。成長するにつれ絵を描く機会も少なくなりましたが、10年ほど前、たまたま趣味の一環として描いた数枚の軍艦の絵が転機となりました。

それを見た方が個展の開催を支援してくださり、その個展をきっかけに、今日の活動に繋がる様々なご縁を得ることができたのです。活動の方向性を決定づけたのは歴史学者・久野潤先生との出逢いでした。

久野先生は私が知り得る限り唯一艦内神社の研究をされており、私と同じく30代です。同世代の同志が日本国のために研究に打ち込む姿に触れ、大変刺激をいただきました。そうして、あれよあれよという間に靖國神社のみたままつりに軍艦の絵を複写したぼんぼりを奉納する機会を得、2014年からは全国の神社にも奉納しています。

活動を通じて歴史の息遣いを感じられるようになるにつけ、ただ雄々しい絵を描き自己満足で終わらせてはいけない、戦争の事実や英霊たちの生きた証、そして軍艦の存在を後世に伝える役割が私にはあると使命感を抱くようになりました。

毎年各地に寄贈や奉納をしていますが、これらの活動は完全なる社会貢献です。活動を通じてお金をもらっているわけでも、地位が与えられるわけでもありません。幸い私にはこの活動を応援し、支えてくれる家族がおり、父が経営する不動産会社の後継者として本業の仕事があるからこそ続けられています。

私は直接戦争を経験したことも現役の軍艦を目にしたこともありません。戦争を知らない世代がこうして史実を伝えることで、英霊たちの人生、日本国の歴史に光を当てることができるのではないか――。戦争体験を親族にさえ吐露できずに亡くなる方も多いと聞きますが、そういう方々に少しでも安心していただける活動ができればと願っています。

作品は艦船の在りし日を描いた肖像画であり、遺影です。絵を通じて戦争の悲惨さだけでなく、誇りを持って戦ってくださった英霊たちにも思いを馳せ、日本の歴史と文化に敬意を抱く僅かな“踏み台”になることこそが、私が絵画奉納に込める意義なのです。


(本記事は『致知』2020年4月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです)

◇菅野泰紀(すがの・ひろゆき)
――昭和57年岡山県に生まれる。平成17年広島大学文学部卒業。18年名古屋大学大学院中退。22年、自身初の鉛筆艦船画作品となる「戦艦 攝津」を制作。24年、第45回KFSアートコンテスト入選。お茶の宇治園(心斎橋本店)にて初の鉛筆艦船画展を開催。25年、第15回KFSアートコンテスト選抜展特別賞受賞。以降も受賞や展示多数

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