【WEB限定/著者インタビュー】自選詩集「支える側が支えられ 生かされていく」発刊に寄せて——藤川幸之助さんに聞く【後編】

この春、致知出版社から初の自選詩集となる『自選 藤川幸之助詩集「支える側が支えられ 生かされていく」』を発刊した詩人・藤川幸之助さん。20年以上に及ぶ認知症の母の壮絶な介護体験から、人々の心を支え、励ます珠玉の詩を数多く紡ぎ出してきた藤川さんの体験や作品は「NHK EテレハートネットTV」や『朝日新聞』の「天声人語」などでも取り上げられ、大きな感動と反響を呼んでいます。自選詩集発刊を記念して、詩集制作秘話、詩集に込めた思いや心に残る作品について語っていただいた特別インタビューを2回に分けてご紹介いたします。

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母は私を育ててくれていた

Q:刊行までのいきさつを教えてください)

(藤川)

2018年の11月に千葉県の八千代市の秀明大学の学園祭で講演をしましたが、その時のポスターを致知出版社の方が見て、編集部の浅倉さんから月刊誌『致知』のインタビューの依頼が来ました。ポスターを見ての依頼とは不思議だと思っていましたら、そのポスターを見た本人が私を知っているとのこと。さらに詳しく尋ねましたら、致知出版社の道家真寿美さんとのこと。名字に思い当たりませんでしたが、そこは元教師ですから、「真寿美」という名前を見てすべてを思い出しました。

私は長崎県の平戸市で小学校の教師をしておりましたが、真寿美さんはその時の教え子で、書いていた詩、好きな食べ物、嫌いな食べ物、ご両親の顔、出来事、もちろん可愛く聡明であったこともすべて私の頭の中によみがえったのでした。

その後、浅倉さんと共に道家さんも横浜での私の講演を聞きに来てくださって、30年ぶりの再会でした。

そして浅倉さんが書いてくださった私のインタビューの一字千金に感動しまして、こんなすばらしい出版社から詩集が出してみたいと浅倉さんにメールで打診しましたら、「社長決裁が取れましたので詩集をつくりましょう!」とのこと。こちらも驚くやら、感謝するやらで刊行に至ったのでした。

Q:自選詩集の読みどころは?)

(藤川)

詩の一篇一篇を読んでいただきながら、認知症の母との関係性によって紐解かれていく私の人生を感じてほしいと思っています。

母が認知症になって母の介護に時間を割くことで詩を書く時間もなくなり、教職にも集中できなくなってくると、自分がそこから進む人生の道には希望もなくなり、先が見えない時期が続きました。

食べていくためには教職を続けなければならない、この母の状況では詩を書く時間など見つからない、かといって教職にも集中できずキャリアアップものぞめないと思っていました。認知症の母の介護は私にとっては手枷足枷の何物でもなかったのです。充たされない思いを抱えながらも、教職を続けながら認知症の母とともに生きることを精いっぱいやった日々でもありました。

母のウンコを拭き、母のオムツを替え、徘徊でいなくなった母を涙ながらに必死に探し、垂らしたヨダレの臭いにうんざりし、わけの分からない話に苛つきながら母に付き合いました。

「いくら母親だからといってこんなに忙しいのに何でこんなことまで私がしなければならないのか?」

「なんでこの私が一人で母の介護をしなければならないのか?」

「いくら死に際の父の頼みでも母の世話を止めてもよいのではないか?」

どうにか母の介護から逃げようと自問しながらも、その母との日々の中に生まれる「問い」がありました。

「親とは何か?」

「母とは何か?」

「人を愛するとはどういうことか?」

「生きるとは?」

「死とは?」

「人のために生きるとは?」

それまでは自分のためだけを考えて生きてきた私でしたので、そんな自分自身への人生からの問いだったように思います。

認知症の母との関係性によって生まれるその問いに、母と必死に生きる中で一つひとつ自分なりに答えを出そうともがき続けた日々でした。もがく中で母との関係性の中から解かれていく私自身に気がつきました。私とはこういう人間であったのだとか、私はこんな課題を抱えながら生きていたのだとか、自分自身のありのままの姿が見えてきたのです。

自分に足りなかったこと、自分に欠けているものを母は言葉で教えてはくれなかったけれど手枷足枷と思うような認知症の母との介護の日々が、私の足りない部分を埋め合わせてくれるきっかけを作り、私の中から大切なものを引き出してくれたように思うのです。

認知症の母との関係性の中で生まれる「問い」に私になりに答えを出しながら、少しずつ私の人生が紐解かれていく姿をこの詩集の中で感じてほしいのです。

Q:ああ、藤川さんの詩は、認知症のお母様へが投げかける「問い」への答えでもあったと)

(藤川)

認知症の母の命に向き合ってきた日々の中で、私はいろんな思いを抱え、いろんな感情に出会い、いつもいつも迷い、医療的な判断をも迫られました。

この私たち家族の物語詩を読み進めながら自分自身に問いを投げかけてもらいたいと思うのです。

「自分の親だったらどうするだろうか?」

「自分の連れ合いだったらどうするだろうか?」

「自分の子供だったらどうするだろうか?」

「自分だったらどうしてほしいか?」

これらの問いは、医療・介護関係の仕事に就いておられる方にとって、医療やケアの質についてもう一度考えるよいきっかけになるかもしれませんし、介護を今経験されている方々にとっては自分と同じように悩み、苦しんでいる者が他にもいることに、自分だけではなかったと安心されるかもしれません。

また、人それぞれ仕事も自分の親との関係も千差万別ですので、この問いは介護や認知症とは無関係だと思われる方にとっても親の老いや介護について前もって考えておくよい機会になるのではないかと思います。

この本を読んでくださる全ての人の延長線上には必ず老いは存在します。その老いをどう捉え、どう自分の人生と重ね合わせていくかを考える機会にもなるのではないかと思います。

Q:最後に詩集の中で一番思い入れのある作品を教えていただけますか)

(藤川)

詩「母の遺言」です。この詩は、母が亡くなった時、母の亡骸を見つめながら書いた数行が元になってできた詩です。母の臨終に間に合わなかった私は、母の亡骸を見つめながら母を「看取る」ことができなかったと落ち込みました。

しかし、よく調べてみるとこの「看取る」という言葉はもともと「病人の世話をする」とか「看病する」という意味だと知って、臨終には間に合わなかったけれど、私は24年間しっかりと母を「看取る」ことはできていたのだと何か安心して、さらに調べると、「看取る」とは「見て取る」、「見て写し取る」という意味を語源にもっていることを知りました。

母を介護した24年間、認知症の母を見つめながらその命を自分に「見て写し取り」、母の生き様を自分の命に刻んできたのだと、「看取る」という言葉が自分の胸に落ちたのでした。

ですから、認知症の母とのことを書いたこの詩集の中で一つをあげろと言われれば、他の詩に申し訳ないですがこの詩になります。

◇藤川幸之助(ふじかわ・こうのすけ)

昭和37年熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に入る。認知症の母親に寄り添いながら命や認知症を題材にした作品をつくり続ける。また、認知症への理解を深めるため全国での講演活動にも取り組んでいる。『満月の夜、母を施設に置いて』『徘徊と笑うなかれ』(共に中央法規)、『マザー』『ライスカレーと母と海』(共にポプラ社)など著書多数。

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