武器ではなく精神の象徴——JFE・數土文夫×刀匠・松田次泰が語り合った日本刀の神髄

日本で「鉄」が利用され始めたのは、いつ頃の事でしょう。これまでの研究によると、鉄器は縄文時代晩期(紀元前3~4世紀)には、稲作と共に大陸から伝来していたとみられています。武器としての刀剣類は古墳時代以前から製作されていたようですが、日本刀と呼ばれるものは平安時代末期に出現しています。日本人の精神性を宿した日本刀の神髄について、刀匠(とうしょう)の松田次泰さんと、その後援会長であるJFEホールディングス名誉顧問の數土文夫さんに語り合っていただきました。

☆人間力を高める記事や言葉を毎日配信!公式メルマガ「人間力メルマガ」のご登録はこちら

GHQが刀づくりを禁止した理由とは

(數土)
私が初めて見た真剣は脇差しでしたが、やはりゾクゾクするものがありました。日本刀というのはただ一点、携える者の精神を高めるために必要だったと私は思うのですが、実際にこの目で見て、やっぱり特別なものだと実感しました。

(松田)
確かに日本刀は、単なる武器ではなく、美術品であり、高い精神性を帯びたものでもあります。刀鍛冶が一番最初に習うのは、武器としての機能性なのですが、実は、日本刀は国宝に指定を受けている数が断トツに多くて、現在1101点ある国宝のうち日本刀が110点と1割強を占めているのです。

もう一つの精神性なのですが、確かに刀は三種の神器の一つに入っていますし、神道と大きな関わりがあり、刀鍛冶の仕事も神事の一つとされてきました。古来日本人の間では、刀には強い生命力が宿っており、邪気を祓(はら)うものだと考えられてきて、戦場では武器というよりも、心を研ぎ澄ませるために携えられていたようです。

(數土)
日本が戦争に負けた時、GHQから刀をつくることを一時期禁止されたのは、日本人に刀を持たせないことでその精神性を薄めてしまおうとしたわけですね。刀匠の方々が刀の持つ精神性について語ることを控えてこられたのは、そういう背景もあったのではないでしょうか。

新渡戸稲造は、元服して刀を持つことは、精神発達上極めて重要だけれども、その刀をむやみに使うことは、武士として一番愚かなことだったと解説しています。そういう目で日本刀を見ると、500年も1000年も残っている名刀で、刃こぼれしているものは一つもない。それは結局、使われていないからなんですね。

日本刀には1000年の歴史がある

(松田)
刀というのは、鉄が使われ始めた弥生時代からつくられています。平安中期までの1000年間は直刀といって、聖徳太子も携えている真っすぐな刀で、これは中国や韓国にもあります。

その後、平安中期に独特の反りが施されるようになって、それが日本刀と呼ばれるようになりました。ですから日本刀という言葉は、もともと中国側から見た呼称で、日本刀を讃美した中国の漢詩というのはたくさんあるのです。

(數土)
なるほど、中国人から見て日本刀と呼ぶわけですね。

(松田)
ですから日本刀は、その頃から約1000年間つくられてきたわけですが、17世紀初め、江戸幕府が始まる頃までの刀を古刀。それから江戸の文化文政の頃までの刀を新刀。さらに幕末までの刀を新々刀、明治から150年くらいの刀を現代刀と呼びます。

中でも古刀期の、鎌倉時代のものに際立った名品が集中していることから、幕末に水心子正秀という刀鍛冶が「刀はすべからく鎌倉に帰るべし」と復古刀宣言をして、それ以降は鎌倉時代の名刀を再現することが、刀鍛冶の目標であり、仕事になりました。ですから刀の世界では、現代刀というのは全然相手にされないのです。刀として認められるのは、せいぜい幕末の新々刀までです。

しかし鎌倉の名刀を再現するためには、その品格に挑まなくてはなりませんし、刀の原料となる和鉄の性質も熟知しなくてはならない。もちろん、刀の歴史や文化の深い部分にも通じなくてはいけませんし、科学的な機能性、美術性、精神性のすべての面を理解すべく学ばなければならない。これまでの刀匠たちが目指し続けて果たせなかった夢なのです。

(數土)
想像を絶する険しい道ですね。

苦節20年にして甦った鎌倉の名刀

(松田)
これはもう、普段から地道に仕事を積み重ねていく以外にありません。失敗ばかり続いても、休んだらダメで、頭を動かし、手を動かしてやり続けるしかないんです。

35歳の頃からは、自分のつくった刀について一本ずつ、素材の玉鋼の種類、加熱鍛造条件、焼き入れ前の炭素量、焼き入れ時の加熱温度などのデータを綿密に取りました。経験と勘だけでなく、できるだけ数値に置き換え、再現性を確保しようと考えたのです。

そうした努力を重ねてきて実感するのですが、僕らのような職人の仕事は、ある日突然変わります。僕にその瞬間が訪れたのは、刀鍛冶を始めて20年以上経った平成8年、47歳の時でした。

一本の刀に焼きを入れて、仕上がりを見た瞬間に、できたと確信したんです。鑑定家の先生にも「これは800年ぶりにできた鎌倉の刀だ」とお墨付きをいただきました。

(數土)
誰も成せなかった鎌倉の名刀を、見事に再現なさったのですね。

(松田)
日本刀の代名詞とも言われる正宗(まさむね)という名工がいます。僕らの世界で「正宗を超える」なんて言ったら、袋だたきに遭うのですよ。「おまえごときが100年早い」と(笑)。もう名前を口にすることすら憚(はばか)られるような存在なのです。

しかし正宗を目標にするなら、正宗がどういう技術を持っているかを知らないことには、超えようがない。だから僕は正宗を知りたいし、鎌倉の古刀を知りたい。それは、ただ再現するためにやっているわけではないのです。正宗の刀を見て「あ、正宗だ」と分かるように、僕の刀を見て「あ、松田だ」と言われたい。

日本刀の道はどこまでも高くそびえていますが、その高みに挑み続けることが、鍛冶屋としての使命だと僕は考えます。

(本記事は『致知』2018年1月号の 特集「仕事と人生」より一部抜粋したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

◇數土文夫(すど・ふみお)
昭和16年富山県生まれ。北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。常務、副社長などを歴任後、平成13年社長に就任。15年統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。17年JFEホールディングス社長に就任。22年相談役。経済同友会副代表幹事や日本放送協会経営委員会委員長などを歴任し、26年東京電力会長。現在はJFEホールディングス名誉顧問。

◇松田次泰(まつだ・つぐやす)
昭和23年 北海道生まれ。北海道教育大学特設美術科卒業。49年刀匠・高橋次平師に入門。56年独立。平成8年日本美術刀剣保存協会会長賞受賞(以後特賞8回)。11年ロンドンで個展を開催。21年無鑑査認定。27年千葉県無形文化財保持者に認定。著書に『名刀に挑む』(PHP新書)、共著『日本刀・松田次泰の世界』(雄山閣)などがある。

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に1年購読 11,500円(1冊あたり958円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 31,000円(1冊あたり861円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

閉じる