スキー・ジャンプのレジェンド——葛西紀明は試練をどう乗り越えてきたのか

ノルディックスキー・ジャンプの葛西紀明選手(47歳)が苦戦しています。今季は開幕から不振が続き、1月末に札幌・大倉山で行われたワールドカップ(W杯)では予選落ち。それでも、冬季五輪に8度出場し、W杯通算17勝を誇るレジェンドは、不屈の闘志でこの苦境を脱するはずです。これまで数々の試練をどう乗り越えてきたのか、ソチ五輪(2014年)直後のインタビューでその胸のうちを率直に明かしています。

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悔しさは失意ではなくモチベーションに

(1994年の)リレハンメル五輪では、団体戦で僕を含め3人までが二巡し、最後の原田(雅彦)さんが105メートル以上飛べば金メダルでした。原田さんの実力を持ってしたら十分可能な飛距離でしたが、結局97.5㍍にとどまり銀メダルで終わってしまいました。

僕にはどうしても金メダルが欲しい理由があったんです。5歳年下の妹が前年に高校に入学してすぐ、再生不良性貧血という難病で倒れ、入院治療を続けていました。当時のインタビューでも「金メダルを取ってすりつぶして飲ませたら、病気がよくなるんじゃないか」と言っていたくらいですから、金メダルを取ることが妹を元気にする道だと思っていたんですね。

だからこそ、次の長野五輪(1998年)は「今度こそ金メダル」と思い4年間努力しましたが、直前のW杯で捻挫したこともあり、代表には選ばれたものの、団体メンバーの4人に入ることはできなかったのです。

あの時、日本チームはリレハンメルの雪辱を果たし、金メダルを獲得しました。その様子を会場から見ていて、なぜ自分がその歓喜の輪の中にいないのか。そう思うと、その場にいることがいたたまれなかったですね。

あの歓喜のシーンがテレビで放映され、長野にトレーニングに行くたびに駅に写真が飾ってある。それを見るたびに「チクショウ!」と思いながら練習してきました。その悔しさを忘れずにモチベーションにしていけることは、自分の中ではいいことじゃないかなと思っています。

2度も所属チームが消滅する不運

所属していた地崎工業のスキー部が廃部(1998年)になることを聞かされた時は、まさかこんな大きな会社が、と驚きましたが、まだ20代の前半でしたし、結果も残しているのだから、他の受け入れ先もあるだろうと。そしてマイカルが新たにスキー部をつくって、地崎のメンバーも数名一緒に受け入れてくれました。

ただ、後にこのマイカルも破綻(2001年)して、もう一度所属チームがなくなるという経験をしました。確かに不安にはなりましたが、それが辛いとか、逆境とは思わなかったですね。家族のことを思うと、何とも思わなかったです。

妹はいまも体調を崩して入院していますし(注=2016年死去)、実は母は長野五輪の前に全身やけどが原因で亡くなりました。それでも1年近く闘病生活があって、自分がジャンプで活躍すれば、少しでも母や妹の生きる力になるんじゃないかと。

母や妹は生死のギリギリの中で、生きるために必死でした。僕は好きなジャンプをしているだけじゃないですか。健康な体に恵まれ、自分の好きなジャンプをして、いい結果を出せば、表彰されみんなに喜んでもらえる。僕が活躍すれば、2人に生きる希望を与えることができるんじゃないかと思ってやっていました。

後から母が書いた日記が出てきましてね、それを開くといつも涙が出ます。「死にたい」みたいなことも書いてあるし、妹のことや僕のことも書いてありました。また、入院中、手も握れないくらい辛い状態の中で、長野五輪前のスランプに陥っていた僕に手紙をくれました。そこには震える字でこう書いてありました。

「いまこの時を頑張れ。絶対におまえは世界一になれる。おまえがどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ」

自分が何か壁にぶつかった時は、いつも家族のことを思ってきました。

22年間かけて咲いた自分の花

やっぱりジャンプがすごく好きですよね。だからやめたいと思ったことは一度もないし、楽しいから頑張れる。頑張った分だけ成績が出る。その中で家族や会社が応援してくれて、その気持ちに応えたいって、その繰り返しがずっと続いているということだと思います。

時間がかかりましたけどね、花開くまで。初めて五輪に出場したのが1992年(アルベールビル)。それから何度も五輪を経験してきて、先に長野で花を咲かせた4人のジャンパーも見てきました。なかなか花を咲かすことができませんでしたが、自分の座右の銘でもある「努力すれば夢は叶う」と思って続けてきて、ようやく22年間かけて重い花びらが開いたと思っています。

ここまできたら45歳も49歳も大して変わらないかなと(笑)。とにかく行けるところまで行きたいですね、自分が燃え尽きるまで。

創部以来、会社には10年以上我慢してもらって、スキー部を支えてもらいました。自分も絶対メダルを取るんだという気持ちを持ち続け、ようやく今回、少しだけ恩返しできたかなというところです。ただ、やっぱり金メダルを見せてあげたいというのが一番なので、4年後、8年後、最高の形で恩返しをしたいと思っています。

そして妹や母にも、「やっと納得するメダルが取れたぞ」と報告したいです。母はもう亡くなっていますが、妹はいまも入院して辛そうな状況です。僕がこういう目標を追いかけることで、妹にも頑張って生きてもらいたい。そうして、僕も家族も、応援してくれる会社やファンの皆さんも、それぞれ自分の人生の花を咲かせられたらいいですよね。

(本記事は『致知』2014年7月号 特集「自分の花を咲かせる」より一部抜粋したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

◇葛西紀明(かさい・のりあき)
昭和47(1972)年北海道下川町生まれ。9歳でジャンプを始める。東海大学付属第四高等学校卒業後、地崎工業入社。マイカルを経て、平成3(1991)年土屋ホーム入社。アルベールビル冬季五輪(1992年)から連続8回冬季五輪に出場し、リレハンメル冬季五輪(1994年)ジャンプ団体銀メダル、ソチ冬季五輪(2014年)ラージヒル銀メダル、ジャンプ団体銅メダルを獲得。ワールドカップ・ジャンプ通算17勝(2020年1月現在)。

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