人生は自分しか創り上げられない物語——古新舜監督が伝えたいこと

長編映画『ノー・ヴォイス』『あまのがわ』などの作品で、多くの人々に感動を与え続けている古新舜さん。その作品は日本だけでなく、海外でも高い評価を得ています。しかし、古新さんの人生は決して順風満帆ではなく、幼少期からいじめを受けるなど思うようにいかない、困難の連続だったといいます。それらを乗り越えていま映画監督/脚本家として活躍する古新さんが伝えたい人生で大事なこと――。

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思いがけず映画の世界に

(古新)

あいつは変わってる、おかしなやつだ―。幼い頃から大人が見るようなドラマやテレビ番組が好きだった私は、同年代の友人たちと話題が合わず、幼稚園から小中高、大学に入ってからもずっといじめの対象になっていました。

有名企業に勤める両親も勉強に非常に厳しく、早くから塾に通わせ、第一志望の東京大学に落ちた時には自殺を考えるほど思い詰めました。 

結局、早稲田大学理工学部に進学しましたが、当時の私にとって「東大に落ちる=人生の失敗」であり、いかに学歴でトップになるかということが最も重要だったのです。

 大学でも心許せる友人はできず、学歴主義に疲れ果てた私は、入学してすぐに理工学部の授業に出なくなり、文学や演劇、心理学など興味のある授業ばかりを聴講するようになりました。その中で一つの転機となったのは、早稲田で教えていた前衛的な作風で知られる詩人・吉増剛造先生との出逢いでした。もともと詩や小説が好きだったこともあり、吉増先生に学んだことで、創作への衝動が芽生え、将来は詩人になりたいと思うようになったのです。

大学卒業後は、詩人を目指して、予備校講師をしながら創作に取り組んでいたのですが、ある日、映画業界にいた高校時代の同級生に、「脚本家の道もある」と誘われたことで、思いがけず映画制作に携わるようになりました。

 それから助監督としてプロの現場に放り込まれ、学歴など全く通用しない、怒鳴られ叱られの下積みの日々が始まりました。予備校講師も続けていたため、朝の5時に映画の撮影が終わった後、8時から予備校の教壇に立つということもよくありました。いま振り返ると、自分はこの場所で頑張る以外に道はないんだ、最後まで死に物狂いでやり遂げようという決意が、私を支えていたように思います。

 苦しかった一方、若い頃に激しい学歴競争の世界と学歴が全く通用しない世界を同時に経験することができたのは、人生の財産となりました。

従事していた若手監督は私より年齢が少し上の監督で、主に短編映画を撮っていました。その監督に刺激を受け、私が初めて短編映画の脚本・監督に挑戦したのは、映画の業界に入って丸一年が経とうとしていた時です。幸い、初監督作品『サクラ、アンブレラ』は米国アカデミー賞公認の短編映画祭に入選。それを契機に、映画の面白さに目覚めた私はどんどん短編映画をつくるようになりました。

人生はテストの点数だけでは決まらない

(古新)

短編映画で賞を取ると、次は長編映画への期待が高まります。その中で、2010年に知人から知らされたのが動物の殺処分の問題でした。

当初は自分が映画にするテーマではないと感じたのですが、後日殺処分される犬や猫が一時的に預けられる「アニマルシェルター」を訪れ、衝撃を受けました。シェルターにいる犬猫は「グワー」という尋常ではない鳴き声を上げ、萎縮してブルブル震えているものもいる。当時の日本では、年間約20万頭もの犬や猫が殺処分されていたのです。

犬や猫の姿がいじめを受けていた自分自身と重なり、私は保健所や動物愛護センターに何度も通い、映画製作の取材を始めました。また、東日本大震災で被災した南相馬市にもボランティアとして訪れたのですが、家畜が野放しになっている状況を目の当たりにし、人間はなぜこんなにも悲惨な境遇をつくり出せてしまうのだろう、これは自分が伝えなければいけない現実なのだという使命感が湧き上がってきました。

そうした思いを胸に、4年の歳月をかけて完成させたのが、日本の殺処分の現実や命の大切さ、人間と動物の共生を描いた『ノー・ヴォイス』です。人間は一人では生きていけません。自分本位な人ばかりでは社会も成り立ちません。私たちは他者、動物や自然の支え、繋がりがあって生かされている。ですから、この映画には、殺処分への問題提起と共に、自分のために生きるのではなく、志を持って誰かのために生きる大切さをテーマとして込めました。

そのテーマは2018年に製作した『あまのがわ』にも共通しています。『あまのがわ』では、都会で心を失った少女が、体の不自由な青年が操る分身ロボット「OriHime」と出逢い、太古の豊かな自然が残る屋久島を一緒に旅しながら、本来の自分の生き方を探していく物語です。

心をなくした少女と体をなくした青年との出逢いが引き起こす可能性の大きさを通じて、人はお互いに欠けている部分があるからこそ助け合える、他者がいて初めて自分がいる、というテーマを伝えたいと思っています。人間が幸せに生きていくためには、既存の社会が求める全て百点満点の生き方を目指すのではなく、自分の強みと共に、自分の弱みも素直な気持ちで相手に伝え、それをお互いに補い合える関係、絆を築いていくことが大切だと思うのです。

周囲に理解されず、挫折や孤独を経験してきた自分が様々な人と関わり、映画監督として生きていくことになるとは思いもしませんでした。

そうした人生を振り返っていまお伝えしたいのは、特に若い人は同じ所属、同じ年齢の人だけでなく、様々な場所に出向き、失敗を受け入れて、多様な考え方を感じ、人生の選択肢をどんどん増やしてほしいということです。

人生はテストの点数だけでは決まらない。自分という「人生の物語」は誰かに言われてつくるのではなく、自分自身の勇気で生み出して、自ら創り上げていくものなのですから。

(本記事は『致知』2020年1月号「自律自助」から一部抜粋・編集したものです。あなたの人生、健康、仕事の糧になるヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

◇古新舜(こにい・しゅん)――映画監督/脚本家

 

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