日露戦争で国力10倍のロシアに勝利できた理由——政治史研究家・瀧澤中

かつて日本とロシアは戦火を交えたことがあります。1904(明治37)年2月から翌年9月まで行われた日露戦争です。当時、10倍もの国力を持つロシアになぜ勝利することができたのでしょうか。そこには日本人ならではの知力と人間力が働いていたようです。政治史研究家で作家の瀧澤中氏に解説していただきました。

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「死中に活を求める」戦略

日本は10倍の力を持つ大国ロシアと戦火を交え、勝利を収めました。勝因の一つは、「どうやったら負けないか、負けないために何をするか」を皆が真剣に考えたこと。言い換えれば、「死中に活を求めた」のです。

死中に活を求めるとは、「生きるか死ぬか分からないが、一か八かやってやろう」という意味ではありません。「ギリギリの状況の中で、何としてでも生き延びる道を見つける」というのが、この言葉の真に意味するところです。

開戦前、陸軍参謀本部次長・児玉源太郎は、「いまのところは五分五分だ。しかし、いろいろと算段をしているから、これがうまくいけば勝敗は6対4の割合になるだろう」と言い、海軍大臣・山本権兵衛も、「軍艦を半分は沈没させる覚悟だ。それでもなお勝利を得ようと良策を案じている」と語っています。

もう一つの勝因は、長期的に準備をしてきたこと。例えば、当時世界最強と謳われたバルチック艦隊を破る、連合艦隊旗艦「三笠」は、日本海海戦の時に突如として入手したわけではありません。

開戦3年前にイギリスから購入しましたが、その額は88万ポンド、約850万円。当時の歳入が3億5000万円ほどですから、国家予算の実に30分の1を、一隻の軍艦に充てたことになります。

逆に言えば、それだけの財政力を明治初期から30年余りかけてコツコツと築いてきたわけです。

日英同盟を実現できた理由

ロシアと戦うに当たって、日本は非常に大きな外交成果を上げています。「日英同盟」です。日本は徳川幕府時代に、列強との間で様々な不平等条約を結ばされていました。これをどうにかして改正するために活躍したのが、外務大臣・陸奥宗光です。

陸奥の功績もさることながら、日英同盟を成立できた要因は他に大きく3つあります。1つは日本人のおもてなし。1874年、金星の日面(太陽面)通過に際して各国から日本に観測隊が送られました。その時、政府は彼らを歓待し、非常に親切にふるまいます。

2つ目は、義和団事件での日本兵の姿。1899年、清国の義和団という秘密結社が外国人を襲撃し、日英米露独など8か国が清国に進駐し、居留民の保護に当たりました。

この時、北京で日本軍を指揮したのが柴五郎中佐です。駐清イギリス公使は日本兵の勇敢さ、柴五郎の指揮の見事さに深く心を打たれ、日本との同盟樹立を推進しました。

3つ目は、イギリスの利害に関する情報。イギリスは「光輝ある孤立」と称し、他国と同盟を結ばない政策を取っていました。世界のどの地域においても優勢を誇れるだけの軍事力を持っていたからです。ただ、アジアでは事情が異なると掴んだのが福島安正でした。

彼は陸軍士官学校も陸軍大学校も出ていません。40歳にして単騎シベリア横断を決行。488日間かけて1万4000キロを踏破しました。さらにその後、ロシアの極東進出に対するイギリスの動きを観察すべく、1年半かけて香港、ベトナム、インドといったイギリスの植民地をつぶさに見て回ります。

そこで、「イギリスは手を広げ過ぎて、単独でロシアの極東進出を阻むつもりはないだろう」という見解を導き、自らの目と耳で日英同盟の可能性を見出すのです。

局外中立のアメリカを動かした男

このような努力の積み重ねで日英同盟を結ぶことができたものの、日本は戦争を終わらせる仲裁役として、大国アメリカを何とか味方に引き込みたい……。伊藤博文はそのことを真剣に考え、時のアメリカ大統領T・ルーズベルトとハーバード大学の同窓生である、金子堅太郎に白羽の矢を立てます。

アメリカは当時、局外中立の立場を表明しており、国民に向けて「いずれか一方に加担するような言論を禁止する」と布告を発していました。そういう中で、いかにしてアメリカ世論を動かしていったのでしょうか。それは、金子の器量の大きさに尽きると言っても過言ではありません。

ルーズベルトは柔道を習ったり、新渡戸稲造の『武士道』を愛読して子供にも読ませていたりと、非常に親日的でした。加えて、金子に絶大な信頼を寄せており、ホワイトハウスに面会に来た金子を駆け足で出迎え、私邸にも泊めています。

ルーズベルトはイギリスやフランスの外務大臣に手紙を出し、日本が有利になるよう働きかけてもいます。これは金子からの要請ではなく、自発的な行動でした。ここに、金子とルーズベルトの友情を見る思いがします。

ここまで紹介してきた人物に共通するものは何かと言うと、立身出世のためとか、自分さえよければいいという考え方ではなく、自分以外の誰かのために役立とうと一所懸命尽くす。この気概、使命感を強烈に抱いていたことではないでしょうか。


(本記事は月刊『致知』2019年1月号 特集「国家百年の計」より「日露戦争に学ぶ日本の生き筋」の一部を抜粋・編集したものです

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◇瀧澤 中(たきざわ・あたる)
1965年東京都生まれ。駒澤大学法学部卒。2010年~2013年日本経団連・21世紀政策研究所「日本政治タスクフォース」委員。著書に『「幕末大名」失敗の研究』『「戦国大名」失敗の研究』(ともにPHP文庫)、『日本はなぜ日露戦争に勝てたのか』(中経の文庫)など多数。

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