ミズーリ艦上で降伏文書に調印した外交官・重光葵の対米交渉術と実行力

1941(昭和16)年12月の太平洋戦争開戦から78年。時代は昭和、平成を経て令和を迎え、ともすれば終戦や戦後の復興期といった歴史の記憶が薄れがちになります。こうしたなか、戦艦ミズーリで降伏文書に調印した後、占領下にあった日本の窮地を救った外交官、重光葵の存在はいまなお輝きを放っています。その類まれな交渉術と実行力を作家の福冨健一氏が語ります。

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小村寿太郎と並び称される偉大な外交官

重光葵(しげみつ・まもる)。その名を耳にしてすぐにピンとくる方は、それほど多くはないでしょう。戦前戦中戦後にわたり、歴史を大きく変えるほど偉大な足跡を残した外交官です。「大御心を体した外交官」とも言われます。

戦後は屈辱に耐えて降伏文書の調印の任を担い、占領下の日本で軍政を敷こうとするマッカーサーと直談判し、直前のところで日本を破壊の危機から救いました。

東京裁判で、いわゆるA級戦犯として禁固7年の刑期を終えた後は、再び外交の前線に立ち、米国務長官ダレスとの会談では日米安全保障条約改正の交渉の魁(さきがけ)となりました。

さらに、昭和31年に日本が国連に加盟する際には日本政府代表として国連総会で威風堂々たる演説を行い、万雷の拍手を受けたことも功績の一つです。

京都大学名誉教授の中西輝政氏は、重光をして「小村寿太郎と並び称される最も偉大な外交官」とおっしゃっているほどですが、戦後のアメリカ占領史観の中でその存在は自然に葬られ、軽武装・経済優先の吉田茂の足跡ばかりが強調されるようになりました。

しかし、日本人として忘れてはならないのは、もし重光というリーダーの存在なかりせば、今日の発展は絶対にないことです。戦後、マッカーサーの思惑どおり米軍が軍政を敷いていたら、日本政府は機能を喪失し、皇室や日本の文化は間違いなく根底から破壊していたことでしょう。

ミズーリ艦上で降伏文書に調印

重光の功績の一つに、昭和20年9月2日、ミズーリ艦上での降伏文書調印があります。降伏文書にサインをすることは外相としてこの上ない屈辱でしたが、重光はその任を天皇陛下の命として謹んで受けました。

重光が任務を遂行するに当たってまず向かったのは伊勢神宮でした。『重光葵手記』にはこう記されています。

「記者(重光のこと)は渾身の意気と忠誠とを以て降伏文書調印の大任に当らんことを冀(こいねが)ひ、八月廿日夜行で伊勢大廟(たいびょう)を拝すべく西下した。(中略)日本歴史始まつて以来の出来事である降伏文書の調印を前にして心を籠めて祈願した。感慨頗る深し。何処もここも緊張して居た」

ミズーリ艦上での調印を終えてホテルに帰り、パイプを燻(くゆ)らせながら一息ついていた重光の耳に重大な話が飛び込んできます。マッカーサーが日本に軍政を敷こうとしているという報告でした。

占領軍の布告の第1号は、「行政、司法、立法の三権を含む日本帝国政府の一切の機能は、本官(マッカーサー)の権力下に行使せらるるものとす。英語を公用語とす」というものでした。これを知った重光は驚きつつも、落ち着いた口調でこう答えました。

「それはまずい。直ちに中止させねばならない」「ドイツと日本は違う。ドイツは政府が壊滅してしまい、ドイツ政府に代わって軍政を敷いた。しかし、日本の場合、政府は存在している」

マッカーサーに直談判

日本政府は直ちに臨時閣議を開き、布告が中止されるよう努力する方針を確認。これを受けて翌日、重光は岡崎勝男終戦連絡中央事務局長官とともにマッカーサーの許を訪ねます。

重光は日本とドイツとの違いを述べ、「日本政府をとおして占領政策を実行することが最も賢明な策である」と訴えました。

マッカーサーは「連合国の意図は、日本を破壊し奴隷化することではない」と応じますが、重光は納得しません。

「占領軍が軍政を敷き、直接行政の責任を取ることは、日本の主権を認めたポツダム宣言以上のことを日本に要求するもの。今回の布告は政府抜きで直接命令できるものであり、政府への信頼はなくなり国内は混乱に陥る。布告は即刻取り下げていただきたい」と断固、取り下げを要請したのです。

重光はさらに、ポツダム宣言の忠実な履行を決意され、平和を熱願された天皇陛下のご意思などを粘り強く伝え、交渉を続けました。次第にマッカーサーは心を開き、話に相槌を打つまでになりました。ついに「貴下の主張は了解せり」と布告の取り下げを約束し、「重光大臣、必要ならいつでも来て差し支えない」と機嫌よく握手まで交わして別れたといいます。

占領政策が日本政府をとおして行われるようになった背景には、重光がマッカーサーを諫め、翻意を促すという知られざる命懸けの交渉があったのです。

(本記事は月刊『致知』2015年7月号の特集「生きる力」の記事を一部抜粋・編集したものです。あなたの人生、経営・仕事の糧になるヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら 

◇重光葵(しげみつ・まもる)
明治20(1887)年~昭和32(1957)年。大分県生まれ。東京帝大卒業後、外交官となり、中国公使時代の昭和7年上海爆弾事件で右脚を失う。駐英大使などを経て東條・小磯・東久邇内閣の外相を務める。20年首席全権としてミズーリ艦上で降伏文書に調印。27年改進党総裁、29年日本民主党結成に参加。鳩山内閣の副総理・外相として日ソ国交回復、国連加盟に尽力。32年69歳で死去(写真は国立国会図書館蔵)。

◇福冨健一(ふくとみ・けんいち)
昭和29年栃木県生まれ。東京理科大学を卒業後、ハイデルベルグ大学留学。ニューポート大学大学院中退。現在、作家・歴史資料収集家。自由民主党憲法改正推進本部主査、政務調査会首席専門員、日本戦略研究フォーラム政策提言委員などを務める。著書に『東條英機 天皇を守り通した男』『重光葵 連合軍に最も恐れられた男』(ともに講談社)などがある。

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