【WEB限定連載】義功和尚の修行入門——体当たりで掴んだ仏の教え〈第48回〉「紀の川」一帯を歩く

小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国を托鉢行脚されました。舞台は引き続き紀州。和歌山出身の作家・有吉佐和子の代表作『紀ノ川』、真田屋敷のあった九度山(くどやま)などを通して歴史の重みや文化の側面を語ります。

小説『紀ノ川』と日本の変化

根来寺(ねごろじ)は奈良県と和歌山県の境を東西に流れる紀の川、その近くにある。『紀ノ川』という小説があった。有吉佐和子の作品で、舞台はこの川の対岸、和歌山県だ。

この川の上流、高野山の麓(ふもと)にある名家の娘が、下流にある和歌山の旧家に嫁ぐ。個人より家系、その格式を重んじられた明治時代。夫は村長から国会議員にまでなる名士である。

しかし、その娘は西洋思想に憧れ、とかく母親と対立する。自由平等、自由恋愛を主張して結婚。外交官の妻になった。日清日露から第一次世界大戦。勝った、勝ったで日本は近代化を驀進(ばくしん)するが、第二次世界大戦で敗北。マッカーサーによる農地解放により、この旧家も急速に没落してゆく。

そして、今日、日本の家族制度は崩壊し、核家族になった。その結果、霊園に行けば「○○家先祖代々之墓」という墓石が消失。代わりに「安らぎ」とか「洗心」といった言葉が刻まれる。そうしておけば、長男が家を継がなくとも、長女が近くにいたら別姓であってもその墓地を継承できる。

子供たちは結婚すれば長男であっても別居する。それが常識になった。また、会社の都合で地方へ外国へと転勤する。そんな時代だから、自分の故郷に定住することが出来ない。

従って、先祖の墓地を守るのも簡単ではない。いや、出来なくなった。だから、血族なら誰でもいいのだ。それも出来ればまだいい。先祖の血が断絶する。そうした家が次々出現している。

先祖という血族。その縦につながる家族制度が急速に崩壊した。だから、母親は嫁いだ娘にいう。「嫌になったら、いつでも戻って来なさいよ」。娘はいつまでも自分の娘である。また、娘も娘だ。出産してまず頼るのは誰か、自分の母親である。そこには嫁ぎ先の家を守るという意識が欠落している。

他方、家族制度は崩壊しても大衆社会が出現した。また、議会制民主主義が曲がりなりにも定着した。これは江戸幕府を倒し近代国家を樹立する、その勤皇の志士たちの理想である。それが今日実現した。だから、それはそれで結構なことだ。

しかし、喜んでばかりはいられない。既に前号(第47回)において指摘したように、心の荒廃が甚だしい。日本国家が安定するには治安、経済の安定が必要である。ここまでは日本は成功した。では、心を何処に置くか。その支えが分からず右往左往。さ迷っているように見える。

九度山に入り真田庵を拝観

紀の川を上流に東へと進み、途中橋を南に渡る。そこは奈良県から和歌山県。九度山町(くどやまちょう)である。ここに真田庵を見つけた。

「えっ、ここが真田幸村の……」

そう、ここがあの有名な真田昌幸と幸村(信繁)が高野山麓に蟄居(ちっきょ)されたその住いである。この親子は信濃の上田城に籠って徳川秀忠の大軍。3万を数千の兵で翻弄しその進行を阻止した。これは痛快である。

しかし、徳川家康が関ケ原で勝利した。その為にこの地、九度山に幽居された。父昌幸はここで亡くなる。が、幸村は巧妙に抜け出し、大阪城に籠った。そして、冬の陣、夏の陣と大活躍する。

真田丸という砦を築いて徳川軍と対峙、奮戦。最後は家康の本陣まで突き崩す壮絶な戦いを挑み絶命した。天下にその武名を残した。その歴史上の人物がここに……。ゆっくりと拝観した。感慨深い。

高野山“幻の酒”の由来

慈尊院は『紀ノ川』の小説にもしばしば出てくる。が、弘法大師の御母君(玉依御前=たまよりごぜん)が居られた縁(ゆかり)の寺である。高野山は下界と違い極度に寒い。昔はマイナス10度にもなるとか。

その山からお大師さまが下りてくると、玉依御前はお酒を振舞われ体を温められた。あるいは高野山に贈られた。その酒が爪剥酒(つまむきしゅ)である。

「爪剥酒……?」。妙な名前である。無論、由来がある。申すまでもなく山上での修行は厳しい。気温が著しく下がる。玉依御前はやはり母親である。

「我が息子よ」と心配になる。だが、高野山は女人禁制である。といってジッとしてはいられない。せめて一杯のお酒でもと。米の一粒一粒の籾殻(もみがら)を爪で剥いだ。その米を醸造して造られたのが、このお酒である。

お大師さまの母君。その温かいお心が、その細やかなお心遣いで伝わって来るではないか。また、この町は九度山である。「九度山?」。私は迂闊にもこの名前の由来も知らなかった。たまたま出逢った観光客が教えてくれた。

「お大師さまは出家をしたが、母親を捨てたのではない。ひと月に九度、下山して母親を慰められた」

今、思えば高野山の僧侶としては恥ずかしい。赤面の至りである。とはいえ母親思いなのだ。それだけではない。この慈尊院から高野山大塔まで何と約20キロである。その道標に一町ごとに石柱がある。180基。その山道を歩いて往復され、それもひと月に9回。健脚は健脚であるが、20キロの山道を……。

「う~ん」。呻るばかりである。

つづく

           〈第49回の配信は12/11(水) 12:00の予定です〉

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小林義功
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こばやし・ぎこう――昭和20年神奈川県生まれ。42年中央大学卒業。52年日本獣医畜産大学卒業。55年得度出家。臨済宗祥福僧堂に8年半、真言宗鹿児島最福寺に5年在籍。その間高野山専修学院卒業、伝法灌頂を受く。平成5年より2年間、全国行脚を行う。現在大谷観音堂で行と托鉢を実践。法話会にて仏教のあり方を説く。その活動はNHKテレビ『こころの時代』などで放映される。著書に『人生に活かす禅 この一語に力あり』(致知出版社)がある。

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