2024年11月22日
比叡山の最も過酷な行の一つ、「十二年籠山行」を戦後初めて満行された三千院門跡門主の堀澤祖門老師。2019年1月に開催された致知出版社主催・新春特別講演会にご登壇いただき、その圧倒的な講話に1000人を超える参加者が固唾を呑んで聞き入りました。講話の中から、堀澤老師の青年時代の貴重なエピソードをお届けします。
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どうすれば自分を生み直せるか
〈堀澤〉
まず自己紹介としまして、私が「自分とは何か」「人間とはいったい何なのか」、こういうことを探究し始めたいきさつをお話ししておきたいと思います。
私は昭和4(1929)年生まれでございますから、今年でちょうど90歳になります。あと10年で100歳になるわけなんですけれども、私の若い頃には旧制高等学校というのがあったんですね。
私より1年下の方々は途中で新制大学に移行しましたから、私は旧制高等学校できちっと卒業できた最後の生徒なんです。そういうわけで、旧制高等学校の素晴らしさを肌身で体験した一人でございます。
私は新潟県の田舎の小千谷という所に生まれ、新潟高等学校に入りました。1年生は全員寮に入ることになっており、入寮式の後で寮長を務める先輩が、諸君に言いたいことがあるとのことでお話をいただきました。
旧制高等学校の生徒というのは、いまの高校3年生と大学1、2年生を合わせた3年間ですから、人間がちょうど大人に変わっていく非常に大事な時なんですね。で、その先輩がおっしゃるには、高等学校というのはただ勉強をする所じゃない、人間を変える所なんだと。
諸君はここで自分を生み直すことが肝心要。親の元を離れて一本立ちし、これから人生の荒波を乗り切っていく。この3年の間にそういう人間に自分を生み直すこと、「再誕」しなくちゃいけないんだと熱を込めて語ってくれたんです。
人生の問題についてまともに話を聞かされたのはそれが最初でした。
田舎出の生真面目な少年には青天の霹靂で、非常に感動しましてね。じゃあどうしたら自分を生み直すことができるのか。それについては、自分でやるんだと。自分で苦労して掴み出して初めて自分のものになるんだと先輩に突っ放されて、仲間との切磋琢磨が始まったわけです。
とは言っても、高校生ですから知識は圧倒的に足りません。とにかく先賢に学ぶしかないだろうというので、3年間は古今東西の古典という古典を無我夢中で読みまくりました。
これは自分とは何か、人間って何かという根本問題であって、若い高校生が3年くらいで解決できる問題じゃなかったんですけど、命懸けでそういう問題にぶつかった旧制高校の時代というのは、私にとっては輝いた時代でした。
残念ながらいまの日本には、そういう教育の場がないように思います。『致知』さんあたりによい知恵を授けていただいて、そういう中身を持った教育制度を新しく誕生させるべきじゃないのか。自分を持たない人間が他人の意見ばかり聞いて、はい、はいと言っているようなことでは真の独立はできません。いまの日本の有り様では、本当の意味で独立をしているとは言い難いと私は思うんです。
比叡山が突然頭に飛び込んできた
そういうわけであまり受験勉強はしなかったんですけど、たまたま京都大学に入ることができました。でも高校3年間の勉強を通じて、自分の性に1番合っていると思っていた哲学が何も与えてくれないことを実感したために、自分の行くべき道が分からなくなってしまいました。
恩師に相談したところ、まず自分の生活を確立してから本当にやりたいことをやればいいじゃないかと言われて、私は経済学部に進むことにしたんです。
それで経済学部の先生方のお話をいろいろ聞いて回ったんですが、私の心の琴線に何も響いてこないんですね。あぁ、こんな所に来るんじゃなかったという気持ちになって、学校へ行かずに下宿でゴロゴロしていました。
そのうち5月の終わりの私の誕生日がやって来て、さすがに深刻になりましてね。こんなことでいいのだろうかと本当に目の前が真っ暗だった。頭の芯が凍ったみたいになって、夜中になっても眠れないんです。
その時に不思議なことが起きました。比叡山のイメージが突然頭に飛び込んできたんです。
びっくりしましたね。私は高校生の時にちょっと仏教書に親しんだことはあるけど、比叡山とか最澄に特別関心を持っていたわけではなかった。なのに何の脈絡もなく比叡山のイメージが頭に飛び込んできましてね。そのうちにだんだんと頭の奥の凍った芯みたいなものが溶けてきた。疲れがドッと出てきて、そのまま倒れるようにして眠ってしまったんです。
翌朝目が覚めても、そのイメージはハッキリ残っていました。これは比叡山に行かなくちゃいけないと思って、ケーブルカーで初めて比叡山に登りました。
ちょうど新緑シーズンで、ひと雨降ったのか、全山が白い霧で包まれていましてね。奥へ奥へ歩いていくうちに、湿潤な霧や新鮮な緑が干からびていた私の感性の細胞に染み込んできて、何年ぶりかというくらいに気持ちがよくなってきた。
このまま下山するのが惜しくなって、お堂の入り口で線香を売っていたお爺さんに「私のような学生を置いてくれる所はありませんか?」と尋ねてみたら、「この先の無動寺というお寺の和尚さんが若い者が好きだと聞いているから、ひょっとすると泊めてくれるかもしれない」と教えてくれました。
その和尚さんが、叡南祖賢(えなみ・そけん)さんという方でした。ちょうど千日回峰行を満行なさったばかりで、眼光炯々としていましてね。その時、天台宗の青年僧たちを20人くらい集めて鍛え直しておられて、やる気があるなら入れてやってもいいと。その代わり飯炊きも掃除も手伝うことを条件に、私は加えていただいたんです。
そこは無動寺谷という回峰行の本場で、毎日明け方になると真っ白な行衣を着たお坊さんが姿を現して、お堂でジャリジャリと念珠を擦りながら拝んでは消えていくんです。
その回峰行者の中に、後に有名になりました葉上照澄さんという方がいらっしゃいましてね。東京帝大を出て大学教授を務めておられたんですが、仏門に入られ、ちょうど千日回峰行の300日目を行じておられました。この方が、京大の学生が来ていると聞いて興味を持たれたんでしょう。遊びに来いと言われて何度かお邪魔する間に、いろんなお話を聞かせていただきました。
葉上さんも叡南さんと同じように眼光炯々としていて、行者というのはやっぱり侵すべからざる雰囲気を持っていますね。「何のためにそんな厳しい修行をなさっているんですか?」と伺うと、「自分でやってみんと分からんわな」とただ笑っておられました。後で考えたら、あれは一つの誘いだったのかもしれません。
私はその葉上さんに出会って、命懸けの行の世界というものに目覚めたのです。大学でいくら経済学をやったところで、グルグルと渦を巻いているようにいつまでも出口が見えない。こういう行をやったら再誕の問題が解けるかもしれないという期待感が湧いてきまして、大学を中退して出家することにしたのです。
(本記事は月刊『致知』2019年5月号 特集「枠を破る」より一部を抜粋・編集したものです)
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◇堀澤祖門(ほりさわ・そもん)
昭和4年新潟県生まれ。25年京都大学を中退して得度受戒。39年十二年籠山行を戦後初めて達成。平成12年叡山学院院長、14年天台座主への登竜門「戸津説法」の説法師を務める。25年12月より現職。著書に『君は仏 私も仏』(恒文社)『求道遍歴』(法藏館)『枠を破る』(春秋社)など。