浜野製作所CEO・浜野慶一が危機の中で掴んだもの

もともとは小さな町工場だったヒルトップと浜野製作所。それぞれの工場を社会が注目する有名企業へと変革したのが山本昌作さんと浜野慶一さんです。しかし、工場火災に見舞われるなど、その歩みは決して順風満帆ではありませんでした。今回は浜野さんのお話から、困難を乗り越え、発展への道を切り開くまでのお話を伺いました。

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「この仕事に誇りを持っているんだぞ」

(浜野)
(初めは)私も両親の町工場を継ごうという気はありませんでした。理由は単純で、うちは家族経営でしたので経営幹部と言っても親父とお袋しかいないわけです。「職人が言うことを聞かねえ」「こうやっても儲からねえ」と言いながら毎日のように喧嘩をしていました。そういう姿を幼い頃から見てきたからか、実家の仕事には全く誇りが持てませんでしたね。

一方では「そうか、この人たちは学歴はないし、いまさら別の仕事をすることもできない。家族に飯を食わせるために、嫌々ながらこの町工場をやっているんだろうな」と勝手に思い込んでいたところもありました。

で、大学4年の就職活動の時でしたけれども、父から生まれて初めて「飲みに行かないか」と誘われました。共通の話題はないし鬱陶しいとは思いつつも、行く羽目になったんです。20分ほど経った時、父が

「慶一な、お父さんもお母さんも、毎日喧嘩をして仕事をしているように見えるかもしれんけど、二人ともこの仕事に誇りを持っているんだぞ」

と。この「誇りを持っている」というひと言は、食うために仕方なく町工場を続けていると思い込んでいた私にはとても衝撃的でした。

(山本)
確かにまさかと思うような言葉ですよね。

(浜野)
その時、感じたことが二つあって、一つはそんな誇りある仕事だったら、誰かが継がないと、この浜野製作所はなくなってしまうということでした。もう一つは、会社の規模や社屋の美しさ、社員の数だけで職業を判断していた自分を恥ずかしく思ったんですね。

後日「この仕事をしたいんだけど、どうしたらいい」と聞いたら、父は「おまえの代には、プレスのような量産の仕事はなくなっていくだろう。やるのなら少量多品種の板金加工のほうがいいと思う」と言って、最低10年は別の工場で働いて社長として必要な技術を身につけるよう、アドバイスしてくれました。

結局、9年目に父が亡くなって家業に入ったわけですが、考えてみたら、いま私がやっていることは父が死ぬ前にアドバイスしたことと同じなんですね。時代の変化に応じて、いろいろと業態を変えてきましたから。いま思うと、小さい会社だったけど、父はそれなりに商才もあって頑張ってやってくれていたと思います。

困難が教えてくれたこと

(浜野) 
父が亡くなった1993年に会社を継いだ後、経理を担当していた母と工場を切り盛りしてきましたが、その母も2年後に亡くなり、さらに2000年には隣の解体現場からのもらい火で、工場が全焼してしまうんです。

(山本) 
そうでしたね。

(浜野) 
工場は燃えても請け負った部品は製造しなくてはいけないと思ったものですから、燃えている最中に近くの不動産屋に駆け込み、何とか工場を確保することができました。しかし、肝心な機械がありません。中古品を買おうにも、30万円のお金がないんです。それからは一人いた従業員にも給料が出せないほどお金に困窮し、取り立てに負われる毎日でしたね。

しばらくすると、出火元の元請けの大手住宅メーカーが6000万円を保証してくれることになりました。これでひと息つけると思っていたのですが、あろうことか、受取日の前日に、そのメーカーが倒産してしまうんです。テレビでその事実を知った時は、茫然として言葉を失いました。

(山本) 
そういう大変な状況の中から、よくぞ再建を果たされたものだと思います。

(浜野) 
当時、私たちの取引先は四社しかありませんでした。しかも、そのうちの3社は従業員5、6人という零細企業でしたから、私たちは本当に4次下請け、5次下請けの仕事をしていたんですね。

そういう会社に営業に行ってもボリュームある仕事はもらえないと思いましたから、大学時代に可愛がってくれた先輩に事情を話し、部品をつくらせていただける会社を紹介してほしいとお願いしました。

その先輩は工面して4社紹介してくれましたが、どこも既に数十年も前から取り引きをしている競合他社が何社もあったんですね。営業すると「なかなか浜野さんのところに仕事は出せない」と言われ、でも、そこしか行くところがなくて、何度も何度も足を運びました。しかし、最後には居留守を使われたり、目の前で大きく罰点(×)をされたり……。

それでもめげずに通い続けていたところ、私の前で罰点をした人がある時、手招きするんです。不思議に思って近づくと「浜野君、これができるか」と単品の試作部品を2個だけ、しかも2週間という短納期で発注してくれました。もちろん「ぜひやらせてください」と二つ返事で喜んでお引き受けしましたが、私たちは後発中の後発の会社じゃないですか。2週間と言われて2週間で持っていっても、何らインパクトはないと思いましてね。半分の1週間で持っていったんです。

「お急ぎだと思いましたので、半分の1週間で持ってきました」と言ったら「へえー」という顔をされ、驚いたことにその2日後、「相談があるから来てほしい」と。この時も10日間の短納期の仕事を5日間で仕上げ、そこから少しずつ注文をいただけるようになりました。流れが変わってきたかな? と感じたのはこの頃です。

(山本) 
試作部品は何と言ってもスピードが最高の武器です。「これで勝てるんだ」という感覚を得られたわけですね。

(浜野) 
それまで玄関口での図面のやりとりだったものが、コーヒーを出していただけるまでになりました。その方は「どこも量産品の継続した仕事ばかりをやりたがる。20年、30年と付き合いのある会社でも試作の部品など少数の物を短納期でやってくれるところなどほとんどないんだ」とぼやくようにおっしゃいました。

そして月に200万円のまとまった仕事を発注してくださるようになったんです。後発の会社でも、まだまだ入り込める隙があることをこの経験を通して実感しましたね。それからも徹底した短納期で道を切りひらいてきました。

(山本)
おっしゃる通り、知恵を絞れば勝てるんですよ。

(浜野)
そうやって少しずつ業績が回復してくると、「我われを取り巻く環境がスピードを増して変化していく状況下において、時代の変化に応じた事業を行う必要がある」という焦りみたいなものが生まれ始めました。

私にはもともとロボットや装置の開発をしたいという思いがありましたが、そんなことをやっている仲間は誰もいないわけです。しかし、幸いに産学官連携の波に乗れたこともあり、いまのような半導体製造装置、航空宇宙関係部品なども手掛けることができるようになりました。

火事の時4社だった取引先は、現在4500社に増やすことができました。従業員も53人を擁するまでになっています。

(本記事は月刊『致知』2019年10月号「情熱にまさる能力なし」から一部抜粋・編集したものです。『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載! 詳しくはこちら

◇浜野慶一(はまの・けいいち)
昭和37年東京都生まれ。東海大学政治経済学部卒業後、都内の精密板金加工メーカーに就職。平成5年先代の死去に伴い浜野製作所社長に就任、設計・開発や多品種少量の精密板金加工などの他、電気自動車「HOKUSI」、深海探査艇「江戸っ子1号」の開発にも携わる。著書に『大廃業時代の町工場生き残り戦略』(リバネス出版)。

◇山本昌作(やまもと・しょうさく)
昭和29年京都府生まれ。立命館大学経営学部卒業後、父親が創業した山本精工所(現・HILLTOP)に入社。鉄工所でありながら、量産、ルーティンのない会社へと変革。現在では、スーパーゼネコンやウオルト・ディズニー、NASAなどの仕事も請け負っている。名古屋工業大学工学部講師。著書に『ディズニー、NASAが認めた遊ぶ鉄工所』(ダイヤモンド社)。

 

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