料理道具で生み出す幸せの連鎖——飯田屋六代目店主・飯田結太

後列右から3番目が飯田氏

 8400超のアイテムを揃える料理道具専門店として、多くの人が訪れる飯田屋(東京・浅草)。しかし、かつては通信販売の台頭やリーマン・ショックなどの不況を受け、経営は厳しい状況にあったといいます。そこから飯田屋はいかにして有名店になったのでしょうか。6代目店主の飯田結太さんに語っていただきました。

苦境から一躍有名店へ

(飯田)

約800メートルの通りに沿って、170を超える商店が軒を連ねる東京・浅草の「かっぱ橋道具街」。私が6代目店主を務める飯田屋は、包丁や卸し金、フライパンなど8400超のアイテムを取り揃える料理道具の専門店です。 

当社は1912年に創業し、建具屋や飲食用品店など時代のニーズに合わせて業態を変えてきたのですが、通信販売の台頭や2008年のリーマン・ショックによる不況の煽りを受け、一時3億7千万円に上った売り上げは1億円まで激減。経営は非常に厳しい状況へ追い込まれていました。 

私が入社したのはそんな最中の2009年、25歳の時でした。もともと学生の時に起業し、IT関連の仕事をしていましたが、当時社長だった母が業績悪化に苦しんでいることを知り、力になりたいと感じたのです。 

入社後、経営を立て直そうとまず取り組んだのが商品の値下げでした。しかし、結果は大失敗。宣伝が不十分だったことに加え、原価の安い低品質な商品を多く仕入れたことで、常連さんの信頼まで失ってしまったのです。社員からも「とんでもない後継者が来た」と見放され、完全に自信を失ってしまいました。 

ところが、落ち込んでいた私の前に“神様”が現れます。 

「この店で食材を一番柔らかくおろせる卸し金はどれ?」 

それは和食店を営むお客様でした。初めての質問に戸惑いつつ、メーカーに問い合わせて様々な卸し金を自ら使い比べ、明らかに食感がよかった一品を提案。すると「これだ!」と高額にも拘らず即決でご購入いただけたのです。 

お客様が求めるぴったりの商品を提供できればこんなに気持ちのいい商売ができるのかと、私は仕事にやりがいと可能性を実感していきました。 

また、それからしばらくして「クロムアレルギー」という特殊な金属アレルギーに悩むお子様を持つお客様が、クロムを含んでいないケーキ型を探しに来られました。 

アレルギーが起きない道具で、子供にケーキの味を教えてあげたい。その思いに応えるべく奔走しましたが、ご要望に合う商品を探し出すことはできませんでした。 

なぜ、これまで商品ともっと真剣に向き合ってこなかったのだろう。私は自らを恥じると共に、料理道具はお客様の人生に関わる大切な存在なのだとハッとさせられました。そうしたお客様との出逢いが転機となって料理道具と向き合う姿勢が180度変わり、2011年、飯田屋を料理道具専門店へ全面転換することを決意したのです。 

そして検討の末、「少量在庫・多品種展示」を採用。お客様の多様なニーズに応え、「これが欲しかったんだ!」と喜んでもらいたい。その一心でした。さらに様々な料理道具を使い比べて得たデータをインターネットで公開したところ大きな話題となり、当店は業績低下状態から一転、人気店となりました。

飯田屋の店内にはあらゆる分野の料理道具が並ぶ

料理道具を通じて人々を幸せに

(飯田)

しかし、業績が黒字に転じたのも束の間、新たな問題に直面しました。業績に反して社員の離職が相次ぎ、昇給や休日の確保など福利厚生を充実させても歯止めが掛からないのです。辞めていく社員に理由を訊くと、衝撃的な答えが返ってきました。

「飯田さんと働きたくない」

確かに当時の私は売り上げ至上主義で、ミスをした社員をよく怒鳴りつけていました。実際社内では愚痴や陰口が蔓延、売上伝票や商品の紛失も珍しくありませんでした。

仕事は増えているのに人手が減り、現場を一手に担うことになった私の体はストレスでみるみる痩せ細り、高熱や手の震えに常時悩まされるようになっていきました。

そんな私を見兼ねたのか、母が紹介してくれたのが人と経営研究所所長・大久保寛司さんの勉強会でした。「社員は何のために働くと思いますか?」との問いに答えられない私に、大久保さんはこう諭してくださったのです。

「社員は会社の売り上げではなく、自分と家族の幸せのために働いています。その幸せをつくるのが社長の仕事です。あなたは社員の幸せをどれだけ考えていますか? 指を自分に向けてみてください」

初めはよく理解できませんでしたが、思えば私は店の責任者であるにも拘らず、ミスや離職の要因を自分ではなく社員に求めていました。

お客様を喜ばせるとともに、社員も幸せにしなければ本物の経営者とは言えない。そう気づき、毎日朝と夜の2回、日々感じている感謝を社員と伝え合う場を設けました。また売り上げノルマを設けず、全社員に決裁権を譲渡し、お客様の喜びのためならパート社員もひと月300万円、160時間までは自由に使ってよいなどの大胆なルールを導入していきました。

私たちの仕事はただ料理道具を売るのではなく、それを通じて人々に幸せを提供する「喜ばせ業」である。社員全員が目の前のお客様を喜ばせるために働いていこうと理念をつくり、その結果、離職は収まっていきました。

現在、総従業員数は8名ながらおかげさまで売り上げは3億円を超え、私は一昨年社長へ就任。昨年は東京商工会議所主催「勇気ある経営大賞」で優秀賞をいただきました。

飯田屋のいまの目標は、店内で商品を試して自分にぴったりの商品に出合える料理道具店へと「深化」すること。そのためにこれからも料理道具を通じ、お客様、そして社員の幸せを追求し続けたいと強く願っています。

(本記事は月刊『致知』2019年8月号「後世に伝えたいこと」から一部抜粋・編集したものです。あなたの人生、経営・仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

◇飯田結太(いいだ・ゆうた)――1984年生まれ。明治大学卒業。飯田屋6代目店主。

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