感謝の力が不可能を可能にする——画家/詩人・河村武明が掴んだ人生の法則

音楽活動をしていた34歳の時に、突然、脳梗塞を発症、言語障がい・聴覚障がい・右手麻痺・失語症という重度障がい者になった河村武明さん。その絶望を乗り越え、いま画家・詩人として活躍する河村さんが掴んだ人生の法則――。

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歌を歌うことだけが 生きる希望だった

(河村)

1967年、僕は徳島県阿南市で生まれました。父は歌がとても大好きで、もう40年以上、80歳になるいまも市のコーラス部に参加して元気に歌っています。そんな父の影響なのでしょう、僕も歌が好きになり、小学生の頃からギターを弾いて歌っていました。

中学・高校では、横浜銀蝿、矢沢永吉、ビートルズなどの音楽に夢中になり、大学でも最初に訪ねたのは軽音楽部。ここでいまも付き合ってくれる大切な仲間たちと出逢い、バンド活動とバイトと恋に忙しい大学生活を送りました。

人並みに就職活動をし、大阪の上場企業に就職しましたが、「サラリーマンは自分に合わない」「自由に生きたい」と思い、退社しました。その後は様々な職業を転々としながら、並行して「たけかめ」という音楽ユニットをつくり、平日は仕事、土日はライブハウスなどで歌を歌う充実した日々を過ごしました。仕事は全く続かない男でしたが、歌は裏切らない、歌だけが自分の唯一の救いでした。

世の中には不可能、無理だと言われることを実現していく人がいます。その反対に「どうせできるわけがない」とすぐ諦めてしまう人がいます。当時の僕は後者のすぐ諦めてしまう人間だったように思います。仕事も音楽も家庭を持つことも、人並み以上に何一つ成功したことがない人間でした。あの出来事が起こるまでは。

与えられたことを感謝して受けよ

(河村)

あの出来事とは、2001年10月、自宅に一人でいる時に、突然脳梗塞で倒れたのです。発見されるまでに48時間が経過していました。そして、搬送された病院のICU(集中治療室)から個室に移ったその日、僕は「言語障がい・聴覚障がい・右手麻痺・失語症」という重い後遺症が残っていることを知らされたのでした。 

まさか自分が障がい者――言葉は何一つ喋ることができないのに声を上げて泣きました。火がついたように泣いたのは、大人になってから初めてのことでした。運も神様も周りの人間からも、すべてから見捨てられたと感じ、「34歳で自分の人生は見事に終わった。これ以上生きていても何一ついいことはない。僕は世界で一番不幸だ」と本気で思いました。 

それは深い絶望でした。なぜなら、歌を歌うこと、音楽を聴くこと、ギターを弾く右手など、脳梗塞は僕が得意だったものをわざわざ選んだかのように、そのすべてを奪っていったからです。本当の絶望を経験した人は「周りの景色がモノクロになる」と言いますが、僕も本当にそうなりました。「死」が僕を強く誘っていました。 

40日間の緊急入院が終わると、家族の支えを受けながら、隣接するリハビリテーション病院で本格的なリハビリに取り組むことになりました。 

当初は「喋ることができる薬、言葉の聞き取りができる薬、右手が動く薬があるのなら、それぞれ1億円出してでも買いたい!」などと考えていました。しかし、次第に友達とくだらない話をしたり、ギターを弾いたり、日常の会話やありふれた挨拶のすべてが愛おしいことだった、発病する前の自分は、本当に幸せだったんだという思いが込み上げてきたのです。 

そしてはっと気づかされたことがあります。それは、日常の当たり前のことがどれほどありがたいことであったか、日常に感謝することがどれほど大事であったかということです。病気の原因の一つは、自分の“感謝不足”にあるのだと気づかされたのです。幸せとは手に入れるものでも、望むものでもなく、気づくものでした。 

それからの僕は、この障がいを喜んで受け入れ、「ありがとう」と感謝するようにしました。とはいえ、重い障がいを抱え、本心ではちっとも「ありがとう」という気持ちにはなれませんから、最初は本音の苦しい心をごまかして、無理矢理でも「ありがとう」を毎日毎日ひたすら言い続けました。 

感謝とは「ありがとう」を発すること。「ありがとう」の言葉を言わなければ感謝ではない、苦しい時は無理矢理でもよいのです。 

実は脳梗塞になる前、不安定な仕事と音楽活動をやりながら精神世界にも興味を持ち、自分なりに生き方を模索していました。特に経営コンサルタントの舩井幸雄先生に惹かれ、ある時、先生の著書で「宇宙学」という教えが紹介された記事を見ました。 

その中に「与えられたことを感謝して受けよ/与えられぬことを感謝して受けよ」という教えがあり、非常に感銘を受けたのです。以来、「宇宙学」の教えに接すると、自分の魂が喜んでいるように感じました。 

脳梗塞で倒れてからしばらくは、最大の絶望に直面し、「宇宙学」の教えについて考える心の余裕はありませんでした。しかし、入院・リハビリを経験していく中で、冷静になって考えてみたところ、「これほどの障がいがやってきたというのは、僕の心・行動に問題があったんだ。誰のせいでもなく、悪いのは自分だ。やっぱり、この病気、障がいは与えられたものだ」と直感しました。宇宙の真理の前では、「障がいをいただいた」という謙虚な気持ちになれたのです。 

与えられたことを感謝して受けよ――この「宇宙学」、神様の美しい言葉・詩を、自分の行動を反省しながら実践・行動するのはいましかない。病気や苦難が、自分が積み上げてきた業(カルマ)を清算してくださる。そう思うと、障がいのおかげで業がなくなり、体が軽くなった気がしました。僕にとって病気や苦難は感謝すべきありがたいものになったのです。  

そうして2か月ほど経ったある日、なぜか以前見た北野武さんの映画『HANA-BI』で大杉漣さんが演じた、すべてを失った刑事が車椅子に乗って絵を描き始めるシーンを思い出したのです。赤いベレー帽をかぶり、絵を描くことで生きる喜びを見出した刑事、いまだ忘れられないシーンです。 

すべてを失った僕も絵を描いてみたらどうだろうか。何となくリハビリ病院の近くのお店で安いスケッチブックと筆を購入し、病室に戻って左手で筆を持ち、試しに動かない右手を描いてみました。

すると、不思議なことに 言葉はなかなか出てこないのに、絵ならすらすらと踊るように描けたのです。しかも絵を描いたのは、小学生の図工の授業以来でした。

僕は祈りを込めて、麻痺した右手の絵の横に「右手 自由 祈」という文字を記しました。下手な絵と文字でしたが、僕の心に眩しい光が差し込み、絶望が希望に変わった瞬間でした。これは、苦しい時も「ありがとう」と感謝した効果だったのかもしれません。

それからというもの、僕は毎日毎日、勉強本を見ながら無邪気に絵を描き、少しずつ、少しずつましな絵ができるようになっていきました。絵に添える詩には、「たけかめ」の歌詞や絶望の体験、生かされている感動などを書き、次々と作品を仕上げていきました。

(本記事は月刊誌『致知』2019年6月号「看脚下」から一部抜粋・編集したものです。)

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◇河村武明(かわむら・たけあき)

昭和42年徳島県生まれ。京都の地元バンド「たけかめ」を結成し、音楽活動に従事していた平成13年、34歳の時に脳梗塞で倒れ、重度障がい者に。動く左手を使って絵と詩で表現活動を始め、多くの反響を得る。現在は、全国での個展・講演、企業広告、雑誌連載などを行い、その活動は広がり続けている。著書に『ありがとうの奇跡』(ヒカルランド)などがある。

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