日本とトルコの友情物語——エルトゥールル号遭難事件が教えること

129年前の1890(明治23)年9月16日、オスマン帝国(一部が現在のトルコ)の軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本町沖で遭難しました。不幸にして500名を超す人たちが命を落としましたが、地元民の献身的な救護活動によって69名が帰国を果たすことができました。この美談は両国の友好の証として語り継がれていますが、その一人で「NPO法人エルトゥールルが世界を救う」の設立に携わった西廣真治さんに、この実話と学ぶべきことについて語っていただきました。

村人を動かしたのは真心だった

使節団を乗せたエルトゥールル号は9月16日夜、台風に煽(あお)られ、怒濤に押し流され、和歌山県潮岬近くに浮かぶ大島の樫野崎の岩礁に座礁、沈没してしまいます。

乗っていたほぼ全員が海に投げ出され、瞬時に波に呑み込まれたことでしょう。だが、数人が何とか岸に泳ぎ着き、岩にしがみつきました。怪我した体を引きずって必死に断崖をよじ登り、力尽きて倒れてしまいます。

そこにたまたま台風の様子を見回っていた大島の若者が来合わせました。もちろん、彼はエルトゥールル号のことなど何にも知りません。倒れているのは見たこともない異国人。切れ切れに漏らす言葉もさっぱり分かりません。だが、災難に遭って必死に助けを求めていることは確かです。

救わなければ――とっさに若者の胸を占めたのは、ただただこの一念でした。若者の連絡を受け、多くの島民が駆けつけました。生きている人が他にいるかもしれない。村長の沖周の陣頭指揮で救助が始まります。とは言え、あたりは漆黒の闇。断崖の下からは怒濤逆巻く轟音が噴き上げます。

文字どおり島民総出の救護が続きます。冷えきった体を乾いた布団や着物を持ち込んで、あるいは人肌で温める。貧しい小村にもかかわらず、非常食として蓄えていたサツマイモ、それに鶏まで持ち出して食事を提供する。数少ない医師も駆けつけて治療に当たる。

このようにして救い出されたトルコ人は、69名に上りました。エルトゥールル号遭難事件は死者500名を超える大惨事でしたが、その中で69名もの命が救われたのは、大島島民の奮闘があったからに他なりません。

95年後、215名の日本人を救助

救い出された69名のトルコ人は、翌年1月、全員無事にイスタンブールに帰り着きました。移りゆく時代の中で、地元の和歌山でさえ、エルトゥールル号遭難事件の記憶は薄れていきました。だがトルコの地で、静かに静かに受け継がれていたのです。

1985(昭和60)年、イラン・イラク戦争の最中、イラクのサダム・フセイン大統領は、48時間後からイラン領空を飛ぶすべての飛行機を撃墜すると宣言しました。この時、この地域から脱出しようとイランの首都テヘランにあるメハラバード空港に215名の日本人が集まっていました。

フセインの声明を受けて、空港から飛び立つ航空機はありません。万策尽きて、テヘラン駐在の日本大使が、かねてから親交のあった日本に駐在しているトルコ大使に電話し、窮状を伝えて相談しました。

トルコ大使の答えは二つ返事でした。
「救出はトルコが引き受けます。エルトゥールル号の恩返しです」
これはすぐにトルコ本国に伝えられ、トルコ航空の2機が救助に派遣されました。多くのパイロットや乗務員がこの任務を志願したといいます。

救われた日本人には、なぜトルコが危険を承知で自分たちを助け出したのか、よく分かりません。そのことを聞くと、返ってくる答えは一つでした。
「エルトゥールル号の恩返しです」

紀伊半島の片隅で発揮された真心は恩となってトルコの多くの人々の胸に刻まれ、世代を超えて恩が送られ、95年後に報恩となって現れたのです。

知恩報恩の輪を広げたい

2010(平成22)年、大阪でJCI(国際青年会議所)の世界会議が開かれました。日本JCでは各県のJCが一つの国を受け持って対応することになっています。(所属していた)和歌山JCが受け持ったのはトルコでした。

その時、私はエルトゥールル号のことは、そういえばそんな話を聞いたことがあるといった程度で、うっすらとしか頭にありませんでした。ところが、出会ったトルコJCのメンバーは口々にエルトゥールル号遭難事件で受けた恩を語り、感謝を述べるのです。

これがきっかけになりました。エルトゥールル号の話をもっともっと広めなくてはならない。その思いに駆られました。私だけではありません。縁に結ばれた人たちが同じ思いで集まり、ついにNPO法人「エルトゥールルが世界を救う」の発足に至ったのです。

最近、一つの発見がありました。エルトゥールル号遭難事件から間もなくのことです。救助にかかった食料費や医療費を支払いたいという申し出が、日本政府を介して大島に届けられました。

村長は、ただただ助けたいとの一念でやったことだから、経費の支払いは要らないと答えました。その返書の一部として遭難者の治療に当たった3人の医師がしたためた一文が、カルテとともに見つかったのです。そこには村長が答えたことが簡潔に述べられ、治療費は遭難者の義援金にあててほしい、と書かれています。

まっさらな真心、と思わずにはいられません。その真心が恩を生んだのです。その恩はそれを受けた者の胸に刻まれ、伝えられ、恩に報いる行為となって発現した。知恩報恩の輪の偉大さを思わずにはいられません。このことを少しでも伝え、広めていくのが私の役目だと思いました。

(本記事は『致知』2016年9月号の特集「恩を知り恩に報いる」の記事より一部抜粋したものです。あなたの人生や経営、仕事の糧になる教え、ヒントが見つかる月刊『致知』の詳細・購読はこちら

西廣真治(にしひろ・しんじ)
昭和45年和歌山県生まれ。平成7年同志社大学法学部政治学科卒業後、日興證券(現・SMBC日興証券)入社。大阪、東京、ロンドンなどで活躍し、14年父親が経営する日本料理店「ちひろ」を継ぐ。24年NPO法人「エルトゥールルが世界を救う」設立に携わり、理事に就任。

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら