2021年05月14日
月刊『致知』には毎号、心の琴線に触れる記事が掲載されています。過去の記事の中から、掲載当時、大きな感動を呼んだエッセイ「グリコと松下、友情をこえた創業者同志の絆」をご紹介いたします。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
松下幸之助との出会い
2人とも一文無しから商売をはじめたのだから「文なし会」といつとはなしに名付けられた。江崎さんは戦後間もなく長男をなくした。あとを継がせるべく専務として育成中のことで、江崎さんは失望落胆した。すでに70歳近くになり、孫はまだ幼い。
「もうこれ以上、事業は広めるべきではない。大阪だけでこぢんまり縮小した方がいい」
と忠告し、そうするようにすすめた。どうしたものだろう、江崎さんは決断がしにくいので松下さんに相談した。
「私があんたのところの重役になろう」
「すると松下さんは『江崎さん、今さら何をいうのか。ここまで営々と築きあげたグリコはもうあんた一人のものではない。日本のグリコだ。
やりなさい。親類がどういおうとやりなさい。あんたがこれだけ広げたことはたいしたことだ。もう息子さんのことでくよくよしなさんな。よし私があんたのところの重役になろう。なんでも相談に乗ろう。
あんたが死んで、あとうまくいかんようやったら、私がうちの若い者を引っぱってきて応援する。
お孫さんのことは引き受けたから、あんたはいままで通り積極的にやってほしい。いやいっしょにやろうじゃないですか』
そういって力強く励まし、私の肩をゆさぶってくれた。さすがの私も、このときばかりはなすすべもなく、ただ男泣きに泣いた。松下さんの友情はほんとうにうれしかった。持つべきものはほんとうの友人だということを、しみじみ感じた。
松下さんは、江崎さんの孫の勝久さん(現江崎グリコ社長)が大学を卒業したとき、
「はじめから江崎グリコに入れると甘やかされるから一人前になるまでうちで鍛えてやる」
と、3年間預かって鍛えた。また江崎グリコが株を公開すると、さっそく株をもって、死ぬまで重役として応援しつづけた。
江崎さんと松下さんの交友は深く、友情というより、切っても切れぬ人間的なつながりになっていた。松下さんを盟友にもったことは、私の誇りであり、心の財産だと、話されたこともある。 たかが子供の十銭菓子からグリコ王国を、電気ソケットから世界一の家電王国を築いて悔いなき生涯を終えたふたりは今、あの世で熱海の湯につかりながら、あれこれ話がはずんでいることだろう。おふたりに受けた有形無形の深い感銘が温かく甦ってくる。