近江牛のブランドを守る——新保吉伸の原点

有名レストランを含む年間300軒以上の店が、その肉を卸して欲しいと要望する精肉店店主の新保吉伸さん。常に最高の牛肉を求め続ける新保さんの原点を語っていただきました。

正直と誠実が道を開く

(新保)

平成13年にBSE(牛海綿状脳症)問題が起きて、当社には長い間、どん底の状態が続きました。 

滋賀県草津市で精肉店を営む父から独立し、同じ市内で地元の近江牛を中心に扱う精肉店を開いたのは平成2年のことです。私が27歳の時でした。当初はお客様の数が少なく低迷していた業績も、飲食店等への納入を開始し、取引先に恵まれたおかげで、ようやく軌道に乗り始めました。 

BSE騒動が起きたのは、そんな矢先のことです。日本人の牛肉離れに、深刻な不況が追い打ちを掛け、取引先の飲食店は軒並み窮地に追い込まれていきました。 

ある日、近江牛を仕入れてくれていた、主たる取引先の社長に呼ばれました。「BSEの影響でお客様がまるで来ない。どうしたらいいだろう」という相談です。近江牛を使った高級路線では持ち堪えられる状態ではなくなり、どう考えても当社とは取り引きをやめたほうがいいと思われました。しかしご自身の口からはそれを言い出しにくかったのでしょう。私はその気持ちを慮り、「低価格路線がいいでしょう。うちとの取り引きをやめましょう」と切り出しました。 

売り上げの核となっていた取引先がなくなるのは、大変な痛手でした。BSE騒動は長引き、その他の取引先も減っていきました。数か月で資金は底を突き、ホームページをつくってネット販売も行っていたのですが、こちらも受注ゼロに。それでも、営業している以上、店頭にはお肉を置かなければなりません。 

当然売れるはずもなく、アルバイトの人に持ち帰ってもらったり、お客様にただ同然で買っていただいたりするほどでした。遂には、社員やアルバイトが去っていき、22人いた従業員が、私とアルバイト3人だけになってしまいました。 

そんなどん底状態にある平成15年、近江牛を飼っている畜産農家の高校時代の友人が訪ねてきました。そして、「BSEの影響で近江牛を出荷しても買ってもらえない。餌をやり続けなければならず、餌代の借金が膨らむばかりで、生活もままならない。他の生産者もみな同じ状態だ」と窮状を訴えてきたのです。 

私は友人の案内で畜産農家を訪れ、肉の販売をしている自分よりも、牛を育てている生産者のほうがもっと苦しんでいるという現実を目の当たりにしました。そして、自分は近江牛とその生産者の方々にこれまで育てられたのだ、ということに気づいたのです。 

「近江牛のブランドを守るのは自分の使命ではないか」との思いが、その時私の心に湧き起こりました。そして信頼できる餌を使い、良心的に近江牛を育てている生産者を何らかの形で応援することが必要だと考えました。 

自分にできることは何か? そう考えて思いついたのが、近江牛の農家が生産に取り組む過程を、ホームページを通して情報発信していくことでした。 

私は、自分の店のことは後回しにして、牧場に行き、近江牛を育てる様子をカメラやビデオで撮影し、文章を添えてホームページで紹介していきました。また、彼らの頑張りを記事に取り上げてもらおうと、新聞社にも出向きました。 

さらに、どこの誰が飼っていた牛かということがはっきり分かるようにすれば、お客様にも安心して食べていただけるはずだと考え、業界に先駆けて、生産から販売までの過程を明確に記録するトレーサビリティシステムを構築しました。システムの構築には多額の費用が掛かりましたが、どん底だった当社には資金もなく、私個人の定期預金を崩して捻出しました。 

そして平成17年の暮れ、この一連の活動が新聞に紹介されたことで、地元の保育園や幼稚園から「子どもたちはお肉を食べたがっている。貴店のお肉なら、安心で安全だからぜひ仕入れたい」との連絡が入りました。 

それからは、当社のホームページを見て取り引きをしたいという声が少しずつ増えていきました。また、取引先には、生産者がどんな思いで牛を育て、命のやり取りをしているのかを直接見ていただくようにしました。当社が仲立ちの役割をしながらも、生産者と取引先が直接やりとりできるようにしたのです。 

こうしてひたすら畜産農家を応援する形で取り組み、ネットと私の店でその農家の牛を扱う仕組みをつくってきました。その結果として、当社の取引先ができ、売り上げもついてきて、どん底の状態から脱却することができました。 

利に走るのではなく、真面目な思いで牛を育てている生産者を、真面目に応援していく。そのことの大切さを気づかせてくれたのは、他でもないBSE騒動そのものでした。 

どんな状況に置かれても、正直に、誠実に、人の役に立つことを思って仕事をしていれば、きっと物事はうまくいくようになっている。大きな苦難を経て、そんなことを感じるとともに、生産者やお客様のさらにお役に立つためにはどうしていけばよいか。日々そのことに思いを巡らせています 

 (本記事は月刊『致知』2010年5月号「致知随想」から抜粋・編集したものです)

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