ダウン症の天才書家・金澤翔子はなぜ10歳で般若心経に挑んだのか

テレビ番組「情熱大陸」(毎日放送)で紹介され話題となった書家・金澤翔子さん。5歳の時から母・泰子さんに師事し、書を始めた翔子さんは、20歳の時に初の個展を開催。その後もニューヨークやプラハなどで海外展をひらくなどその活動は多岐にわたります。天才書家と呼ばれる翔子さんが歩んだ壮絶な半生と、共に歩んだ道のりを母・泰子さんに語っていただきました。
(本記事は月刊『致知』2010年11月号 特集「人間を磨く」から抜粋・編集したものです)

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神様から鉄槌を食らわされた

振り返ってみると、翔子が生まれるまでは、いろんなことがうまくいき過ぎていました。だから、もし翔子が健常者だったら、たぶん鼻持ちならない人間になっていたんじゃないかと思うんです。

本当にいい気で生きていたものですから「知的じゃないものは美じゃないよ」なんてひどいことを嘯(うそぶ)いていました。主人ともお能の関係で知り合って、もし男の子が生まれたら「花伝書」に従って日本一の能楽師にしようとかいい加減なことばかり考えていたんです。

昭和60年に翔子が生まれた時、ダウン症のことは周りには知らされていたんですが、帝王切開でしたので、私は知らなかったんです。で、翔子は45日間、カプセルの中に入れられていました。

私は母が産院をしていたものですから、多少の知識があり、もしかするとダウン症かもしれない、と疑惑を持ちながら過ごした時期が2か月近くあったんです。それで私、このことは皆に知らせられない、と思いましてね。

母にも、まして主人には言えないから、一所懸命隠してたんです。で、2人の退院の日、意を決して先生に「娘はダウン症でしょうか」と尋ねたら「そうです」と言われたんですよね。

その時に本当に背筋が凍る思いでね。この子には知能が全くなく、一生歩くことができないと。その瞬間、ダーンッて、神様から鉄槌を食らわされたように感じました。

知能がまるでない寝たきりの子を、私がこの世に出してはならない。大きくなる前に揺り籠の中で始末しなきゃいけない、私と一緒に死ぬしかないと、ずうっと思い込んでいました。

最近、その頃の日記が出てきたんですけれども、すごい苦しみようでしてね。死にたくてもなかなか死ねなくて、非常に苦しくって。あぁ、この世には、どうしようもないことがあるんだ、ということを初めて知りました。

ダウン症児を持つ 母親たちに希望を

死にたいというんじゃなくて、死ななくちゃいけない、私が責任を取って始末しておかないとまずいだろうと。知能が全くないというのは、想像もできないほど恐ろしいことでしたから。

ただ、そうやって私のほうは動揺していましたが、翔子は賢くてね。私がお乳を薄めて衰弱死させようか、なんて馬鹿なことを思っていても、ニコニコニコニコしてましてね。結局このかわいさでお乳を薄めきれない。「かわいい」ってことが、子供を育てさせちゃうんですね。それがどうしても翔子を始末できない理由でした。

ただかわいそうに、生後45日間カプセルにいて、誰にも抱かれず育った翔子を初めて抱っこした時に、私泣いてましてね。

あの子が初めて見る母親の姿が、ずうっと泣き顔だったわけですよ。そうやって取り返しのつかないことをしてしまったんですが、空間を見て、ゆえもなくニコッと微笑む。私は、それが知的障がいの大きさであり、また強さではないかと感じました。

それと、時間の経過とともに徐々に立ち直っていく過程で、姉がある時、「ダウン症で医師になった人がいるのよ」と言ってくれたんです。きっと私を励ますために噓を言ったのだと思うんですが、その時に「希望」というものが初めて見えたんですよ。そして、いろんな訓練を始めたんですね。

私、いまとなってみれば、ダウン症はダウン症でよかったんじゃないかと思うんです。この世に生まれてきてくれた。それだけで十分なのに、自分が望む子じゃなかったから苦しかったんだって。

10歳で般若心経に挑む

翔子は最初、小学校の普通学級に入っていたんですが、4年生に上がる時、担任の先生から「もう預からない」と言われちゃったんです。それで私、またダーンと落ち込んだんですが、でもすごいと思うんですね、人生は。

というのは、その時にあまりにも膨大な時間があるので、翔子に般若心経を書かせようと思ったんです。

普通に考えれば絶対無理ですよね。大人でもなかなかうまく書けないのに、それを10歳の、しかも障がいの子に。でもやろうと決心して、毎晩私が罫線を引き、来る日も来る日も挑みました。

それで私も自分の子だから、容赦なく叱り飛ばしてしまうんです。「なんでいま頃、こんなこともできないの!」って。

翔子は叱られることがとっても辛いわけですよ。子供って叱って親を悲しませたくないし、親が嫌がることが絶対言わないんです。

だから本当に毎晩涙を流しながらだったんですが、遂に272字分を書き上げた後、翔子は畳に両手をついて「ありがとうございました」って言ったんです。

誰が教えたわけでもないのに「ありがとう」って。例えば「暑い、寒い」も皆に心配をかけると思って言わないし、そういう感謝の念とか、人を喜ばせたい、悲しませたくないという気持ちが人一倍強い。

翔子には知的障がいがあって、名誉心や競争心がないから、人を妬んだり、羨んだりすることもない。だからその分、心や魂が汚れていない。そういう翔子の姿を見ながら教えられたのは、愛情こそが人間の根本であり、本質なんだということでした。


(本記事は月刊『致知』2010年11月号 特集「人間を磨く」から抜粋・編集したものです)

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◇金澤泰子(かなざわ・やすこ)
昭和18年千葉県生まれ。37年明治大学入学。在学中に歌人馬場あき子に師事。能楽「喜多流」の喜多節世、書道「学習院」の柳田泰雲に師事。平成2年東京都大田区に久が原書道教室を開設。10年書道「泰書曾」に入会。柳田泰山に師事。著書に『天使の正体 ダウン症の書家・金澤翔子の物語』『天使がこの世に降り立てば』(ともに春秋社)『愛にはじまる』(ビジネス社)。

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