村田諒太も愛読するマルクス・アウレリウスの『自省録』が教えるリーダシップ

ローマ皇帝マルクス・アウレリウスによって書き記され、現在に至る1000年以上にわたって読み続けられてきた不朽の古典『自省録』。ある時には自らを叱咤し、ある時には自らを省み、ある時には大宇宙と大自然の恵みに感謝する。珠玉の言葉に溢れた『自省録』の魅力、マルクス帝の生き方を『「自省録」の教え 折れない心をつくるローマ皇帝の人生訓 』(草思社)などの著書がある早稲田大学名誉教授の池田雅之さんに語っていただきました。

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闘いの間隙を縫って書かれた『自省録』

当時のローマは、ネルヴァ(在位96~98年)に始まり、トラヤヌス(在位98~117年)、ハドリアヌス(在位117~138年)、アントニヌス=ピウス(在位138~161年)、そしてマルクス・アウレリウス(在位161~180年)と続く「五賢帝の時代」と言われ、世界史でも稀に見る平和と繁栄の時代でした。

イギリスの歴史家・ギボンもその『ローマ帝国衰亡史』の中で、五賢帝がローマ帝国を統治した百年を、「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)と呼び、世界史上人類が最も幸福な時代であったと記しています。
 
マルクス帝が先帝アントニヌス=ピウスの死後、その後を継いだのは、彼が40歳の時でした。
 
しかし、マルクス帝の治世になると、平和一色というわけではありませんでした。アジアやドイツとの国境に様々な異民族が次々侵入し、抗争に明け暮れる〝動乱の時代〟に突入していくのです。
 
実際、ローマ軍最高司令官という立場にもあったマルクス帝は、ローマの平和を守るため、自ら軍勢を率いて戦場から戦場へと帝国内を走り回り、実に8回もの冬を戦場で過ごすことになります。
 
マルクス帝自身は、戦争は人間の恥ずべき本性の現れとして険悪していましたが、彼の人生は、日中は異民族と闘い、夜は凍てつくドナウ川沿いで野営をし、戦禍で命を落とした部下や人々の累々と積み重なる屍を目の当たりにする日々であったのです。また、その間には、妻や子供の死など私生活上の逆境にも直面しています。
 
そのような凄まじい状況の中で、マルクス帝は闘いの間隙を縫って、野営のテントで蝋燭に火を灯し、夜な夜な独り自らを省み、言葉を書きつけていったのでした。
 
ただ、不思議なことに『自省録』では、先に述べた妻や子供たちの死など、彼を取り巻く外的な事柄には一切触れられていません。私たちが発見できるのは、専らマルクス帝が自分自身に向かって語り掛けた言葉だけです。それは一体なぜなのでしょうか。

マルクス帝は、哲学と政治を実母と継母の関係に譬え、時々憩いの場である哲学に戻ることができるからこそ、政治生活に我慢できるようになる、と『自省録』に書いています。おそらくマルクス帝は、皇帝という社会的立場の仮面を取り外したもう一人の自分、いわば自分の内面に向かってひたすら語り掛けていたのでしょう。
 
マルクス帝だけではなく、いまを生きる誰もが、社会的立場と本来の自分との間に、少なからぬ葛藤を抱えて生きているのではないでしょうか。自らの内面に語り掛ける、自らを省みる、というマルクス帝の行為は、実社会の自分と本来の自分との間を取り持ち、心の平静、生きる活力を得るための手段だったのかもしれません。

現代を先取りした優れたリーダー

在位中、異民族の侵入に悩まされ続けたマルクス帝ですが、内政においてはローマ市民の期待に応える善政を行いました。マルクス帝は自らの権力や能力を過信せず、人々の意見を広く汲み上げ、部下や組織の能力を発揮させていく優れたリーダーであったのです。
 
マルクス帝が大きな影響を受けたストア派の哲学者に、エピクテトスという人がいますが、彼はローマ社会では身分の低い解放奴隷の出身でした。しかし、マルクス帝は身分に囚われることなく、エピクテトスを自らの師と仰ぎ、その書物を熱心に学んでいます。
 
ストア哲学では、身分の低い者も高い者も、裕福な者も貧しい者も、人間は皆同じように考え、行動するものだと考えられていました。つまりストア哲学は、皇帝と奴隷、権力者と市民とを結びつける広い視野を持った思想だと言えます。そしてエピクテトスは、哲学者は自分自身の幸福のためだけでなく、広く一般の人々の利益に繋がるよう社会にその学びを生かすべきだとも考えていました。
 
マルクス帝は、ストア哲学の教えを実践し、教育施設への資金援助や貧民救済など、ローマ市民の幸せのために尽くしたのです。
 
また、マルクス帝は自分が皇帝になった時、義理の弟のルキウスを同僚皇帝とし、2人体制で統治に当たりました。先帝のアントニヌスはマルクス帝のみに帝位を譲りましたので、これは彼独自の試みです。様々な事情があったとは思いますが、マルクス帝は、2人体制のほうが自らを客観的に見つめることができ、バランスよく統治できると考えたのでしょう。
 
さらに、マルクス帝は解放奴隷出身のペルティナクスを抜擢するなど、実力を重視した斬新な人事も数多く断行しています。そうした人材を活用することで帝国の危機を乗り切っていったのです。
 
マルクス帝のリーダーとしての広い視野、謙虚な姿勢は『自省録』の次の言葉にも表れています。

宇宙全体を考えてみなさい。

そのなかのほんの一部が、君なのだ。

悠久の時間の流れを考えてみなさい。

そのなかのほんの短い時間が、君に与えられているにすぎないのだ。

さらに、運命に定められたすべてのことを考えてみなさい。

そのなかで、君の果たす役割のなんと小さいことか。

心のなかを掘り続けよ。

心のなかをよく見つめよ。

そして、自分自身を知れ。

人々の価値観が多様化し、目まぐるしく世の中が変化していく現代においては、上意下達的なトップダウンよりも、マルクス帝が行ったような様々な個性・立場の人々の意見を広く汲み上げ、その場の環境に柔軟に対応していける「フラットなリーダーシップ」が求められていると言われています。
 
そのような点では、マルクス帝が示したリーダー像は現代を先取りしているともいえ、私たちが学ぶべきことは多いと言えます。


(本記事は月刊『致知』2017年10月号 特集「自反尽己」から一部抜粋・編集したものです)

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◇池田雅之(いけだ・まさゆき)  
三重県生まれ。早稲田大学名誉教授。専門は比較文学、比較文化論。著書に「100分de名著 小泉八雲日本の面影」(NHK出版)「イギリス人の日本観」(成文堂)、訳書に『「自省録」の教え 折れない心をつくるローマ皇帝の人生訓 』(草思社)など多数。

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