新元号「令和」の出典、『万葉集』の魅力とは??

新しい元号「令和」が発表され大きな話題を呼んでいますが、その出典となったのが、現存する最古の和歌集『万葉集』です。しかし、名前は聞いたことがあっても、実際に読んだことがある、という方は少ないのではないでしょうか。『万葉集』の成立の歴史やその魅力について、長年、『万葉集』に親しんできた小柳左門さんにお話しいただきました。

編纂者・大伴家持を突き動かした思い

(小柳)

防人の歌をはじめ、『万葉集』には名もなき市井の人々が詠んだ和歌がたくさん出てきます。その昔、外国では詩をつくる人は一部の知識階級だけに限られていました。ところが、日本では天皇から一般庶民に至るまで、老若男女を問わずいろいろな人たちが歌を詠んでいるのです。

『万葉集』は8世紀後半に成立した日本に現存する最古の和歌集で、全20巻の大著。第3巻の初めに出てくる磐之媛命(仁徳天皇の后)の御歌が350年頃と最も古く、第20巻に載っている大伴家持の歌が758年ですから、実に400年以上にわたって詠み継がれてきた歌が4500余首も収録されています。

編纂者の中心とされる大伴家持(718~785年)の業績は本当に立派だったと思います。

大伴家は代々武門で、かつては隆盛していたものの、時代と共に衰退し、そういう中で家持は生まれました。宮中を警護する非常に大事な役目を担っていたにも拘らず、段々と中央から離れていく悲しさ。また次々と唐の文物が入ってくる中で、日本の文化、ことに美しい言葉を守っていこうという決意。こういったやむにやまれぬ強い思いが、家持を突き動かした原動力になったのでしょう。

万葉仮名という独自の方法を使って、日本人の言葉と心をそのままに残していこうとした大変な努力が、『万葉集』には結実しているのです。

同時に、家持自身も優れた歌人であり、心に沁みる素晴らしい歌をたくさん残しています。『万葉集』で最多の480首、つまり全体の一割は家持の歌です。

もっとも、家持1人の力でこれだけの大事業を成し遂げたわけではありません。口頭伝承されてきた古代の人々の歌がいろいろな人の手によって集められ、それを家持が最終的にまとめ上げたのだと思います。

4500首以上ある中で、最も多く詠まれているのは恋の歌、相聞です。また親しい人の死を悼む挽歌、自然の美しさを詠んだ歌や歴史を回顧する歌など様々の歌がありますが、いずれも痛切な思いが溢れて、真心が込められているからこそ、1300年の時を超えたいまなお現代の人々の心を打ってやまないのでしょう。

心に残る万葉の名歌

(小柳)

それではここで、いくつかの万葉の名歌を味わってみたいと思います。『万葉集』を開けば感動的な和歌が山ほどありますが、紙幅の関係で3首に絞ります。『親子で楽しむ新百人一首』(致知出版社)を編纂した時も、あれも入れたい、これも入れたいと思う歌がたくさんありました。今回は、いずれも『新百人一首』に収録したものから取ることにします。

まず1つ目は、志貴皇子(天智天皇の子)が自然を詠んだ高雅なこちらの歌。

石走る垂水の上の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも

(石の間を勢いよく流れ、滝に流れ落ちていく水。その水辺のほとりに若々しい蕨が芽吹いて、一斉に萌え出す春がいよいよ巡ってきたことだ)

これは「歓の御歌」という題がついている通り、春を寿ぐ代表的な歌です。「石走る」は「垂水」や「滝」に掛かる枕詞で、岩の上を水が勢いよく流れるさまを表しています。芽が出たばかりの早春の蕨の輝きがまるで目に浮かぶかのようです。歌の調べがおおらかで美しく、春の訪れを歓ぶ気持ちが朗々と歌われており、自然と一体になる日本人独特の自然観がここに凝縮しているように思います。

2つ目は、『万葉集』はもとより日本を代表する歌人で、歌仙と称されている柿本人麻呂の不朽の名作です。

東の野に炎の立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ

(東の野原に曙の光が照り始めるのが見え、空を大きく振り返って眺め見ると、西の空には月が傾いて沈んでいくことよ)

人麻呂が仕えていた軽皇子が大和の国の安騎野で狩りをした時の歌です。軽皇子の父君で、若くして亡くなった草壁皇子もかつてこの地で狩りをしました。

その時のことを回顧しながら詠んだ長歌に続く反歌(長歌の後に添える短歌)の一首ですが、夜が明け始めて東の空に太陽の光がかかり、西の空に満月が沈んでいくという壮大な情景を詠むと同時に、昇る太陽にはこれから始まろうとする新時代への希望が、沈む満月には昔を懐かしみ、故人を偲ぶ悲しみが込められており、非常に荘重な素晴らしい歌です。

3つ目は、『万葉集』の最後に収録されている大伴家持が詠んだ歌を挙げましょう。

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事

(新しい年が始まる初春のきょう、降っている真っ白な雪が積もるように、今年こそますます善きことが重なりますように)

先ほど触れたように、大伴家持は苦労人でした。ある時、謀反に関与したとの理由で罪を着せられ、因幡の国(現在の鳥取県)の長官に左遷されてしまいます。その新年の宴で詠んだのがこの歌です。

家持の人生は決して順風満帆ではありませんでしたが、必死の思いで『万葉集』の編纂に打ち込んだことでしょう。どんなことがあろうとも、雪のように美しく清らかな心で生きてゆきたい。そして、希望を胸に新しい年に向かっていこうではないかという、家持の切なる願いがこもった歌です。 

(本記事は『致知』2018年12月号「古典力入門」から一部抜粋・編集したものです。あなたの人生、仕事の糧になる言葉や教えが見つかる月刊『致知』!詳細・購読はこちら

小柳左門(こやなぎ・さもん) 

昭和23年佐賀県生まれ。修猷館高等学校、九州大学医学部卒業。九州大学医学部循環器内科助教授、国立病院機構都城病院院長などを経て、平成25年より社会医療法人原土井病院病院長、26年より「ヒトの教育の会」会長。医学関連以外の著書に『白雲悠々』(陽文社印刷)。共著に『名歌でたどる日本の心』(草思社)『日本の偉人100人』(致知出版社)など。編著に『親子で楽しむ新百人一首』(致知出版社)がある。

 

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