指導歴47年。流通経済大柏高校サッカー部監督・本田裕一郎の原点

習志野・流通経済大柏の両校で4度の全国制覇という偉業を達成した名将・本田裕一郎監督。幾多のプロ選手を輩出するなど選手育成にも定評のある本田監督に、その指導者人生の原点を語っていただきました。対談のお相手は、夏の甲子園で史上初となる2度目の春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭高校野球部監督・西谷浩一さんです。

スパルタ方式から自由主義へ

〈本田〉
私の指導歴は40年ですから、ちょうど西谷先生の倍ですね。

〈西谷〉
あぁ、40年ですかぁ。

〈本田〉
西谷先生はどちらかと言えばエリートコースを歩まれていますが、私の場合はまったく逆で、いつもゼロからのスタートなんですよ。大学を出て本当は新聞記者になりたかったんですが、何回も試験に落ち、市原市(千葉県)の教育委員会に拾われました。

そこで保健体育課の指導主事について小中学校の巡回指導をしたんですが、28歳の時に市原緑という新設高校に異動を申し出たんです。ただ行ったはいいけれど、部活はどこも同好会みたいな集まりで、サッカー部に選手はいない。そこで野球やバスケットなどとにかく運動経験のある子を寄せ集め、14、5人でスタートさせました。

〈西谷〉
未経験者ばかりで……。

〈本田〉
おまけにグラウンドは一度雨が降ると1か月間使い物にならず、少し乾いたなと思ったら石ころだらけ。ただ40年前ですから、親御さんにもスパルタ指導を大目に見てもらえたんです。安いマイクロバスを購入して遠征し、車中泊や野宿で朝から連戦。負けると意地になって夜中まで練習させる、そんなメチャクチャをやりました。

その甲斐あって7年目に県1位になり、インターハイにも出場できたんですが、当然の如く一回戦負けでまた悔しさが募り、どんどん指導がエスカレートしていくわけです。結局市原緑には11年間いたんですが、ある時サッカーの名門・習志野高校からオファーがあって赴任したんです。

〈西谷〉
本田先生の指導ぶりが評価されたのでしょうね。

〈本田〉
ところがですよ。前任者は西堂就先生といって、全国優勝を2回もしている名将なんです。しかしそこを退職されてから2年が経ち、チームは崩れかかっていた。部室の後ろを覗けばタバコの吸い殻の山で、県大会にも行けないぐらいにまで実力は落ち込み、それを再生させてくれという話でした。

当時の千葉は大阪におけるPLと同じように市立船橋を倒さないことには全国へ行けませんでした。市立船橋がグングン伸してくる時代でしたからここを破るためにはどうしたらいいかと考え、相手と180度違うことをしたんです。

市原緑時代は理不尽な指導ばかりをしていましたが、習志野ではスパルタ式を封印し、自由なスタイルを追求しました。そして厳しい練習を嫌がるようなクラブチームの子たちを集め、彼らと一所懸命遊びました。でも根がガツンといくタイプですから、自由さを前面に打ち出しながらも自分自身に対するストレスは凄かったですね。

53歳からの再チャレンジ

〈本田〉
月曜の練習を休みにするなんていうのも随分早く採り入れたんですが、当時のスポーツ界は365日練習していることが自慢の種になっていました。

皆さんからは「カメレオン」などと揶揄されるんですが、指導者は絶えず学びながら変わっていかなきゃいけないと思うんです。基本的な方針は変わりませんが、指導法はどんどん変えていかなきゃいけないと。

結果的に3年目頃にはインターハイに出るようになり、9年目には念願の全国優勝を果たしました。私としてはそのまま習志野で勤め上げる気でいたんですが、2001年に千葉県教員2,000人の人事異動が発表され、強制的に別の学校へ行かざるを得なくなったんです。ならばゼロからすべてをやり直したいと、まず県教員を辞しました。

〈西谷〉
どちらか行き先が決まっていたのですか。

〈本田〉
いえ。辞めてから自分の生き方を決める期間が3か月ほどありました。その時、流通経済大学から「大学だけでなく、高校のサッカーも強化していきたい」と誘われ、私学の流通経済大柏高校へ行くことに決めたんです。すでに53歳になっていましたが、もう一度チャレンジを決意しました。

そうして素晴らしい環境を期待して行ってみたら、なんと校庭がラグビー場なんですよ(笑)。流経はラグビーの強豪で、練習中の怪我が多いものだからグラウンドを耕運機で耕すんです。ふわふわのグラウンドでは、足首まで埋もれてサッカーなどできません。

サッカー部は同好会みたいなもので、素人同然の十数名がいただけでした。その時、習志野にいた新2年生となる選手など15人が私についてきてくれたんですが、彼らの生活場所がなかったため、県教員時代の退職金を注ぎ込んで格安マンションを買い、共同生活を始めました。

〈西谷〉
マンションまで買われて。

〈本田〉
当初はマイクロバスに選手を乗せて、そこらじゅうを転々としていましたね。ただ、幼い頃から工作なんかが好きでしたから、何かをつくったりするのが苦じゃないんですよ。グラウンドのU字溝(連結式の排水溝)も自分でつくってみたり、石拾いも私がしたり。そうしていると、周りが見かねて助けてくださるんです(笑)。

そんなことで2年目頃に専用グラウンドをつくっていただき、3年目からはずっとインターハイにも出場しているんですが、まだ1回しか優勝してません。選手権も1回、高円宮杯も1回。ですから習志野時代と合わせても、合計4回しか優勝できていない。40年もやってたった4回ですよ、先生。

〈西谷〉
いやいや、凄いことです。

〈本田〉
とんでもない。全国には8回も9回も優勝されている監督がいることを思えば、私なんて本当にまだまだですよ。

(本記事は月刊『致知』2012年7月号 特集「将の条件」より記事の一部を抜粋・編集したものです。『致知』には人間力・仕事力を高める記事が満載! 詳しくはこちら

本田裕一郎
――――――――――――――――――――――
ほんだ・ゆういちろう――昭和22年静岡県生まれ。順天堂大学卒業後、千葉県市原市教育委員会を経て、50年市原緑高校サッカー部監督就任。61年習志野高校に転勤し、平成7年インターハイで初の全国制覇。13年から流通経済大学付属柏高校の監督を務め、19年高円宮杯第18回全日本ユースサッカー選手権大会全国優勝。翌年1月の第86回全国高校サッカー選手権大会、8月のインターハイも制し3冠を達成。宮澤ミシェル、広山望、福田健二、玉田圭司ら多くのプロ選手を育成。著書に『高校サッカー勝利学』(カンゼン)。

西谷浩一
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にしたに・こういち――昭和44年兵庫県生まれ。報徳学園高校、関西大学で野球をプレー。平成5年大阪桐蔭のコーチとなり、同10年11月から監督に就任。13年にコーチに戻ったが、14年秋に監督復帰。甲子園7度(春4、夏3)出場。20年夏、第90回全国高校野球選手権記念大会優勝。24年春、第84回選抜高校野球大会優勝。西岡剛、中村剛也、中田翔ら、幾多の逸材を輩出。全国の大学の主力選手にも同校出身の選手は多い。

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